断捨離

公開日 2022/12/28

今年最後の記事です。
12月はあっという間に過ぎてしまいました。

一説によると、人生の体感時間の半分は19歳だそうです。
つまり、0歳から19歳までに感じる時間の長さと、19歳から80歳までに感じる時間の長さが等しい、ということです。
幼いうちは身に起こること全てが新しい経験ですから、密度の濃い時間を過ごしますが、
段々と経験が貯まるうちに新しい経験は減り、体感時間は短くなります。

ということは、
時間があっという間に過ぎてしまう、というのは新しいことをしていない
とも言い換えられます。
または、心が動くような体験が少なかったとも言えるでしょうか。
これは私にとって非常に反省すべき点です。

ものを教えるという立場である以上、
常に(自分にとって、または自分以外の人間にとって)新しいことにはアンテナを張り、情報を取り入れる、あるいは自ら体験しに行く必要があると考えています。
己の経験無くして語ることはできないからです。
伝聞、つまりは他者から、インターネットなどから情報を仕入れて話すだけなら誰にでもできます。そういうものの価値はおそらく薄いです。
それらの情報に全く価値がない、というわけではありません。
ただ、現実味に欠けるのです。
現実味のない話を聞いても、そこには熱もありませんし、したがって面白味がないのです。

歳を取ったら新しい経験が少なくなる、というのは言い訳です。
私はこの世のことの、10のマイナス9乗も知らないと自負(?)しております。
いくら経験を積んだからって、仮に不死を手に入れたとしても、この世の100%を知ることなんて不可能でしょう。勉強すべきことは山積みなわけです。
これを改めて自分の胸に刻み込んで新しい年を迎えようと思います。

新しいことをすると書きましたが、
新しいことをするのにも準備が要ります。
いらないものを捨てることです。

先日ある生徒と話していて、
机が散らかっているとのことでした。
高校生あるあるですが、使わなくなったプリント類が大量にあります。
そんなふうになっている人は、
「全部」捨ててしまいましょう。

大抵は、
「今後使う機会があるかもしれないからとっておこう」
「捨ててしまったら、使える時に捨てたことを後悔するからやめておこう」
と考えて本棚や押し入れなどにどんどん溜まっていきます。
使う機会、ありません。
捨てて困ること、ありません。
今すぐ捨てましょう。

一度出した学校課題のプリント、返ってきて復習したことありますか?
ほとんどの人は「No」です。
一度も見ていないと思います。
捨てて困るものは残っていないでしょう。
どこかに代わりのものはありますし、そもそもそんなことはまず起こりません。
クリアファイルがパンッパンになって見苦しい人、
年末は整理する良い機会ですよ。


「捨てる」
というのは大事なことです。
なぜなら、捨てないと新しいものは入ってこないからです。
中学生高校生にはまだ分かりにくいかもしれませんが、
生きていると色んなものが溜まっていきます。
モノだけではありません。
知識や考え方、人間関係もそうです。
溜まること自体は良いのですが、
自分にとってあまり重要でないものも溜まっていきます。
プリントと一緒です。
溜まっていくのを放置していると、どんどん身動きが取りにくくなっていきます。
それを「執着」といいます。
そして、その執着ががちがちに固まっていくことを私は老化と呼びます。
だから、ときどき捨てる必要があります。
自分にとって大切なものを見極める、という意味でもあるということです。

空間に強くなりたいなら外で遊べ

公開日 2022/12/21

ものすごく寒くなりましたね。
12月に平地で雪が積もるのって長崎ではめずらしい気がします。
もう少し降ってくれれば雪合戦できるんですけどね。

雪遊びでも学べることはたくさんあります。
雪の冷たさを肌で感じます。
「0°Cで水は凍ります。」とテキストで学習するのとは違います。
靴下、靴を履いていても、地面から熱を奪われ足が霜焼けになります。
「熱は高い方から低い方へ移る。」と習うのとは違います。
机上では学べないことで溢れています。

大学生の時幾何学の授業を受けており、その時の教授がおっしゃったのですが、
「最近の学生は空間を見る力がない」
その当時(11年前です)の私は、「よくある『最近の若者は〜』の類だな」とか思ってたのですが、少しずつその言葉の意味が分かってきました。
11年前ー2011年ーといえば、東日本大震災の年です。
スマホが普及し始めた時期です。
イノベーター理論で言えば、インターネット利用者がレイトマジョリティーに入ったあたり?でしょうか。
つまり多くの人が手軽にインターネットを利用し始めた時期です。



私の世代が少年だったころから、子どもの遊び方は急速に変化していきました。
ほとんどが外で遊んでいたのが、室内遊びへと変わっていきました。
神社で遊んだり、山の中を駆け回ったり、道路でボール遊びしたり。
そこから少人数で部屋の中でゲームやネットで遊ぶようになりました。
子どもの変化ではなく、環境の変化です。
どこも人の手が加わっていき、伸び伸びと遊べる場が減りました。
公園で遊んでいるとうるさいと苦情がきますし(公園が狭いからですね)、ちょっと冒険しようとしたら不審者がいるから行くなと決めつけられます。道路で遊んだら危ないと叱られます。
道草食う暇もなく、学校は車で送り迎えです。
外で遊ばなくなって当然です。

空間認識力、という観点で見れば、
現代人のそれは低下傾向であると考えるのが自然です。
3次元空間よりも2次元平面を見ています。
子どもは家でしか遊べません。
外で人を観察すると、老若男女スマホとにらめっこです。
Googleマップやカーナビが目的地へ導いてくれます。
教授の言ったことが、徐々に分かってきますよね。


こういうことを考えていると、
世の中が便利になっていく分、ヒトの生物としての能力はだんだんと弱くなるのではないかと思います。地球上の他の生物と比べて、極めて異質な存在になるのかもしれません。
それって一体どうなんでしょう、という問いかけです。

お前らが休んでいる時、俺は練習している

公開日 2022/12/14

お前らが寝ている時、俺は練習している。
お前らが練習している時は、当然俺も練習している。

プロ通算50戦50勝という偉業を成したアメリカの元プロボクサー、フロイド・メイウェザー・ジュニアの言葉です。
今年の9月に日本で試合が行われたので記憶に新しい方もいらっしゃると思います。
メイウェザーの人柄などはさておき、
知っている人もそうでない人も、この言葉から学べることがあると思います。


成績が上がらないと嘆くならば、
一度自分を振り返ってみましょう。

成績というのは2種類あり、
過去の自分と比べた学力と、他人と比べた学力があります。
過去の自分を上回れるほどの勉強をしているでしょうか。
他人よりも勉強をしているでしょうか。
いずれにしても、このシンプルな質問にYesと答えられるでしょうか。

勝ちたい相手よりも多く練習する。
この簡単な論理に「気づかないふり」をしていては永遠に勝つことはありませんね。
どうしても、このシンプルな論理にいろいろ付け加えて複雑にしてしまうものですが。
まるでこの国の〇〇家のようです。)
自分と正直に向き合うことが大切だということです。

何かの記事で読んだのですが、
現代は「時間を無駄にしたくない人」が多いそうです。
本当にそうなのかは知りませんが、
自分の時間を無駄にしたくないから、なんでも効率や費用対効果を追求する(コスパという言葉を見ることは多いですね。)、他の人の反応を見てから意思決定する、というような行動が多いといいます。
また別の本からですが、若い世代は「相手の機嫌を伺うのが非常に上手い」らしいです。

「とりあえずやってみる」精神が少ないと言い換えられるでしょうか。
もし、「学校や職場に通ってはいるが、帰ってスマホをいじっていたら1日が終わってしまい、何か新しいことをしてみたいが、かと言って何をすれば良いか分からない。」
というような状態になっているならば、
とりあえず外に出ることを勧めます。
人はスマホではありませんので、無駄なことも必要です。


やや話が外れたように見えますが、
とにかく効率なんぞ考えずにまず行動し、人よりも多くの時間をかければ、良い成果というのは得られます。効率は後から上げるものです。
さらに他人と競争して勝ちたいのであれば、
メイウェザーの言うように、人が休んでいる時も起きている時も練習すれば良いのです。

一流の成果を出している人の練習を見たことがあるでしょうか。
インターネット上の情報だけを見ていませんか。
それなりの成果を出している人は、見栄えの良いことは公表しますが、泥臭い部分を見せることはあまりない、ということを知っておいてください。

ということで、
タナカ塾は正月も開けます。
来る来ないは自由です。
ただ私は、他の人・組織が休んでいる間も鍛錬したい人のために場を提供したいだけです。

思考力は責任から生まれる

公開日 2022/12/07

学習指導要領が改定され、
「思考力・判断力・表現力」が重視されるようになりました。
これらが今まで必要なかったかというとそうではないと思いますが、なぜこのような改革が行われたのでしょうか。

理由の一つは、
ものすごく変化の激しい時代になったからです。
変化の要因はインターネットです。
人と人との通信手段は、手紙→電話→メール→チャットと変化し、人同士のコミュニケーション速度、知恵の集まる速度が大幅に増大しました。
またコンピュータの開発で人が一生かけても到底できないような計算を瞬時に行うこともできるようになりました。
このような背景から、次々に新しい製品やサービスが登場し、既存のものはすぐに「型落ち」になります。流行り物はすぐに下火になります。〇〇の刃も今ほとんど耳にしません。
これは昭和・平成では考えられなかったことです。
(中高生のみなさんはわからないかもしれません。)

変化が激しいと、これまでのような軍隊組織は通用しなくなります。
軍隊組織というのは、階級が下のものが上のものの命令によって動いていく組織です。
上の方から下の方まで命令が伝わるのには時間がかかります。下の方から動くために上の承認をもらうにも時間がかかります。
これでは命令が伝わる間に変化が起き、伝わる前に新たな命令を下す必要が出てきます。組織は機能しなくなります。
つまり、常に上の命令を待っていては何もできなくなってしまいます。
(とは言ってもピラミッド組織が全くの悪であるとは思いません)

だから、自分で「思考」し、「判断」する必要があるわけです。

ただ軍隊組織の中で育つとその感覚がなかなかわかりません。
仕方のないことです。
親、学校、私のようなものを含め上の世代の人間は気をつけなければなりません。
どのように接すれば下の世代の思考力が育つのか?という問題についてです。

責任を持たせる

ということが必要不可欠ではないでしょうか。
軍隊組織では責任はすべて上の者にあります。
学校では先生、会社では上司、家では親です。
責任のある者は、必死に「自分で」考えます。
責任があれば、考える「必要性」が出てきます。
逆に責任がなければ考えなくて良いので考えません。
考えるというのはエネルギーのいる作業なので、必要性がなければしないのです。
楽な方を選ぶというのが極々自然な発想です。

自分で考え判断できるようにさせるためには、
その人を支配してはなりません。
経験が豊富だと、つい自分の物差しで判断してしまいます。
自分はこうだった、自分の頃はこうだった、だからこうすべきだ、と。
今日の物差しは、明日には目盛りが合わなくなっています。
責任を持たせずに、
「将来のことを考えろ」
「自分のために勉強しろ」
と言ったところで、その人は動きません。
自分のしたことの責任は上の人が取ってくれるからです。