合わせすぎではないか?

公開日 2024/02/21

昨今は個人個人のニーズに合ったものがよしとされています。
車や家といった高額なものから、毎月定額のサービスまで、あらゆるものの選択肢が増えています。
Googleは検索結果を覚えて、その人が買いそうな商品の広告を表示しますし、YouTube等動画サイトはその人が興味のありそうな動画を次々に繰り出します。
塾も同様です。
一人一人に合った教材を選んだり指導をしてくれる塾の方が今は多いです。

今回の記事はそういうサービスを否定するものではありません。
私自身もそのようなものを提供しています。

ただ、世の中全体的にそちらに偏りすぎているのではないか、と考えています。

テレビの良さ

私自身はもう家にテレビは置いていませんし見ていませんが、
子どものころはもちろんよく番組を観ていました。
「どうぶつ奇想天外」とか好きでした。アニメもいくつか観ていました。
毎週決まって観る番組がある一方で、特に目的もなく観ているときもありました。
家族の誰かが点けていたのをそのまま見る感じですね。
朝のニュースや天気予報は、自分から観るというよりは親が観ているから自分も観ているんです。

つまりランダムな要素があるんです。
観ようとは思ってなかったけれど、観てみると面白くなって見続ける、ということもあります。
逆につまらないものもあります。
いろいろ観ていたら、その分少しずつ視野が広くなります。
この「観るつもりはなかったが見ることになった」ことで新しい世界を見つけることができるのが、テレビの良さだと思うんですね。

これが今や「観たいものだけをすぐ観れる動画の方が効率が良い」と言われるようになってしまいました。

バランス良く

これが間違いだというわけではありません。
しかし、「自分の観たいものだけが観れる」というのは「ランダムな出会い」が失われること、すなわち自分の生きる世界が狭くなることを同時に認めなければなりません。

おすすめの動画は基本的には似たジャンルのものばかり出てくるので、似たような動画ばかり観ることになります。
塾でたとえるならば、
その生徒に合わせたペースで指導、そして生徒が勉強することは、その生徒にとっては無理がなく「楽に」進んでいける反面、受験という観点ではいつまでたっても周りに追いつけない、ということでもあります。
今の自分よりも成績上位の世界が見えないわけですね。

言いたいのは、
「約束された出会い」と「ランダムな出会い」があるが、
世界が前者に偏っているということです。
だからときには効率の良さを忘れるのも大事だということです。
そもそも前者が効率が良いとは限らないのですが。

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