今が大事か、未来が大事か

公開日 2020/05/27

あなたは今、1万円を受け取ることができます。
しかし、それを受け取らなかったら、1か月後に1万1千円を受け取ることができます。
すぐに1万円をもらうこと、
1か月後に1万1千円をもらうこと、
どちらを選びますか。

どちらを選んだ方が優れている、という話ではありません。
個人の考え方の違いでもあります。
すぐにもらうことを選ぶと、確実に1万円が手に入ります。
1か月後を選ぶと千円多くもらえますが、
もしかすると自分はもういないかもしれません。
1万円の価値が半分になっているかもしれません。

時間割引率

という考え方があります。
ある報酬について、時間の経過とともに価値が割引されるとき、単位時間当たりの割引率のことを言います。
上の質問で、Aさんは前者を選んだとします。
Aさんは1か月後にプラス千円もらえるという選択を捨てて、すぐに1万円を受け取ることを選びました。
このとき、Aさんの1か月当たりの割引率は10%です。
また、1か月後に1万2千円をもらえるときに今の1万円を選んだ場合、時間割引率は20%です。
つまり、時間割引率の高い人ほど「せっかち」、
低い人ほど「我慢強い」ということです。

次に、こうするとどうでしょう。
今もらえるのは1万円、
1か月後にもらえるのは1万500円。
この場合、1万円をもらう人が多いと思います。
しかし、ここに追加して
1か月と3日後ならば、1万1千円もらえる、
となるとどうでしょう。
1万1千円の方が良い、となりませんか。

つまり、近い将来は時間割引率が高いが、遠い将来はそれが低い、ということです。これを双曲割引といいます。
中学校で習う、反比例のグラフを思い出してください。
最初は傾きが急で(価値がどんどん低くなる)、後になるほどそれが緩やかになりますよね(価値の低下が緩やか)。

このように、人は将来の価値を低く見積もってしまいがちです
将来の価値を上げるためには我慢強くあった方が良いです。
しかし、我慢というのは長く持ちません。
だから、「我慢」はするべきではありません。
「適応」していくのが良いです。
価値を上げる行動を続けるのには仕組みが必要です。
学校という仕組みがなければ、これほど多くの子どもが、あれほどの量の勉強を続けることは不可能でしょう。

成績を上げようとする前に

公開日 2020/05/20

こんにちは
ツイッターにずっとこのブログの更新履歴を呟いていたはずが、なぜか古いものが消えててちょっとがっかりしました。自動化してたのに。

さて、マズローの欲求階層説はご存知でしょうか。

ここでは詳しく説明しませんが、
簡単に言うとピラミッドの上の方の欲求を満たそうとするためには、まず下の階層の欲求を満たさねばならない、ということです。
例えば、生理的欲求、つまり食事や睡眠を十分に摂ったりできれば、次の安全欲求、安全に生活したいという欲求が生まれてくる、というものです。

学業の成績を上げたいという欲求は、自己実現の欲求、承認欲求、社会的欲求あたりに分けられると思います。
それより下の階層の欲求が満たされていないと、その欲求は湧いてこないということですね。

経験上、あまり勉強をしたがらない子ども(大人もですが)はやはり、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求が満たされてないだろうと推測できることが多いです。
例えば、単純に睡眠不足であるとか、一番多いのは人間関係ですね。
同年代と合わないとか、いじめに遭っているとか。
こういうのから真っ先に解決しなければなりません。
環境を変えるのが手っ取り早いですね。消耗してるのはもったいないですし、その環境にいるだけ損ですからさっさと逃げましょう。軽く聞こえてしまうかもしれませんが、最も合理的な解決策です。(合理的な判断というのが難しくもあるのですが。)

あとは健康面です。
一番下の生理的欲求。
毎日同じ時間にしっかりご飯を食べていますか。
昼間100%の力を発揮できるくらい寝ていますか。

出来ているなら感謝しましょう。

勉強以前の「基礎・基本」ですね。

電気料金の話

公開日 2020/05/13

なぜ勉強するのか?
おそらくほとんどの人が一度は抱いたことのある疑問でしょう。
大人になってから、学校の勉強は必要なかったとか、もっと専門的なことを勉強すべきだとか言っている、過去の自分を正当化しようとする人もいますが、
活かし方を知らないか、活きていることに気づいていないだけです。

前置きはここまでにして、
電気料金の話をします。
電気使用量の明細を見たことはあるでしょうか。
見るというか、読む。

電気使用量

〇〇省の公文書みたいになってすみません。
明細の真ん中に、先月の使用電力があります。
4月の使用量は、63kWh です。
kWh(キロワット時)は電力量の単位です。
電気料金は、この電力量にしたがって請求されます。

中学2年生で学習しますが、
電力(W)=電流(A)×電圧(V)
電力量(J)=電力(W)×時間(s)
という関係です。(Jはジュール、sは秒,second)
(電力と電力量は違います。)
つまり電力量の単位はWsですが、
kWhのkは1000倍、hは時間(hour)なので同じものです。

家庭にある電化製品には、消費電力が記載されています。
例えば、これ↓

「定格」というのは最大値と思っておけば良いです。
実際の消費電力はこれより低いということです。
この空気清浄機をフルパワーで2時間使ったとしましょう。
このときの電力量は、
26(W)×2(h)=52(Wh)=0.052(kWh)
となります。
現時点の電力量料金は、
1kWh当たり17.46円なので、(最初の120kWhまで)
空気清浄機使用分の料金は、
0.052×17.46=0.90792円
約1円となります。
12時間だと5円くらいですね。
ちなみに、12畳用のLEDシーリングライトは消費電力が52Wでした。同様に12時間煌々と点けっぱなしていると、料金は約11円です。
1ヶ月30日とすると、約327円です。

このように、
電力量料金は消費電力と時間の積で決まります。
また、
電力量=電流×電圧×時間
なので、単純に電圧が高いからと言って電気料金が高くなるわけでもありません。長くなるので詳しくは書きません。
使っている製品が、どれだけ電気料金がかかっているのか計算してみてください。

逆転は「幻想」です

公開日 2020/05/06

たまに見ますよね。
E判定から逆転合格! とか
これ、かなり難しいものだと思っておいてください。
いや、実際に存在はします。
3年生の最初の模試はD判定・E判定ばかりだったけれど、センター試験でB判定まで上がって合格した、などという例はあります。
これは偏差値50前後の層では比較的起こりやすいです。
なぜかというと、このあたりは人数が多く、周りより少し成績が良くなると順位が大きく上がりやすいからです。

標準正規分布

上のグラフは、横軸が偏差値(1刻み)、縦軸が全体を10としたときの人数の割合です。
偏差値50ちょうどは、全体の4%程の人数ということです。

ある試験は、100点満点中平均点が50点、標準偏差が10点であったとします。
この場合、偏差値50の人と60の人の点数の差は10点です。
同様に、60の人と70の人の点数差も10点です。

しかし、上のグラフを見れば分かる通り、人数の割合が違います。
ここで、仮に受験生が10万人いたとします。
偏差値50の人が点数を10点上げれば、偏差値は60になり、順位はおよそ50,000位から16,000位まで上がります。34,000人を抜きました。
一方、偏差値60の人が点数を10点上げれば、偏差値は70になり、順位はおよそ16,000位から2,300位まで上がります。13,700人しか抜けません。
このような仕組みになっているので、偏差値50前後では逆転現象が起きやすいと言えます。
上位ほど逆転は難しくなっていくということです。

また、基本的に学校の方針に従って受験対策を進めていくと、皆がほとんど同じことをするので逆転は起こりにくいです。当然ですよね。もちろん程度の話ではあります。
自分がどれだけ学力を上げようとも、他人が同様に上げれば順位は変わりません。
逆転を狙うのならば、それなりの覚悟が要ります。
他人以上に成果を挙げなければなりません。
(比べすぎるのも良くないのですが)

なぜ逆転が話題になるかというと、まれな現象だからです。
ずっとA判定で、無事合格しました!
と言っても、「当然だ」と耳に入らないですよね。

自由と責任

公開日 2020/05/05

※普段やらないスタイルで書いてみました。思いついたままに書いただけなので読みにくいです。読むのが好きな方だけ読んでみてください。
他の記事の方が役に立ちます。たぶん

某感染症に関して、まだまだ我々は知識が不足しています。
先日も少し書きましたが、現代というのはかなり多くの人があらゆる情報にアクセスできる時代です(国によってはそうでないところもありますが)。大学の図書館に行かなくとも、少々調べれば専門的で高度な情報を手に入れることができます。テレビやラジオがなくても、ニュースであったりバラエティ番組やドラマ・アニメなどの娯楽を好きな時間に愉しむことができます。その反面、フェイクニュースなどの誤った情報や不正確な情報も、すさまじいスピードで拡散されていきます。Twitterが良い例です(決してTwitterを批判しているわけではありません)。では正確な情報を手に入れられる人とそうでない人というのはどのような差があるのかというと、一つはリテラシーの差であると思うのです。リテラシーとは、英語で literacy 「読み書きの能力」という意味です。ある特定分野の知識があるときに「~のリテラシーがある。」というふうにも使われています。リテラシーを発揮するためには様々な力を鍛える必要があります。漢字を読めるようにすることはもちろん、文の意味を理解すること、文と文のつながり(文脈)を理解すること、その文章を理解するために必要な前提知識、情報源を把握することなど、枚挙に暇がありません。そもそも文章を全て読まない人もいます。このように非常に多くの要素からリテラシーは形成されるので、個人個人のリテラシーの差が生まれます。では、リテラシーの低い人が情報を受け、それを発信してしまうとどうなるかというと、山梨県のCOVID-19感染者の女性に関するインターネット上の情報のようなものが出てきます。あまり詳しくは書きませんが、2020/05/04時点ではまだ不明な点があったにも関わらず、家族も同罪というような風潮が一部であります(本当かどうかは分かりません)。不確かな情報が拡散され、それを真実だと思い込む人がいるということです。このような情報を発信したり、鵜呑みにしてしまう原因は、感情的になっていること、具体的には恐怖でしょう。そういうのを流したとして、何か得があるわけでもないでしょう。もちろん私はすべての人間の人生を知っているわけではありません。感情的になってしまうような状況に陥って苦労されている方もいらっしゃるでしょう。しかし、だからといって他人を傷つけるようなことはあってはならないですよね。そうしても何も事は好転しません。感情的にならないようにするにはどうすれば良いかというと、一つは知識を得て、それを基に考えること、想像することです。地域・性別・職業・家族構成など、個人が置かれる環境はこのような要素が複雑に絡み合ってできています。まずは自分の知らないものがいくらでもあることに気づくこと。そして他者を知り、重んじること。自分と異なる人を知るということは、想像力を養ってくれるに違いないと確信しています。私は、簡単に言うと、人々が自己中心的になっていかないかが心配です。極度に感染症を恐れることは、自滅行為も同然です。ただただ、犠牲を少なくしつつ復興していくことを目的とすべきではないでしょうか。中には、この感染症があと1か月ほどで完全に「終息する」と考えている方もいるようですが、ほぼ不可能です。政府の方針も基本的には当初から感染者をゼロにすることが目標ではなく、感染者数をある程度抑えて常に医療機関に重症者を受け入れられる体制を整えていこうという「収束」であるだろうと考えます。したがって我々は、長期的にウイルスとどう対峙していくかを考え動くべきだということです。そのための「新しい生活様式」ですね。政府に責任があると騒ぐ人、自己責任だと主張する人もいますが、どちらかというわけにはいきません。政府は政府なりの対策を講じてもらわないと国民は困りますし、国民は政府や地方自治体にばかり頼らず、自分らでできることをやらねばなりません。誰かに責任転嫁しようとしたところで、身を滅ぼすのはその人自身です。
自由は、タダでは手に入りません。