車があれど足は必要

公開日 2025/09/11

これだけAIが台頭してくると、必ずこういう人がいますね。
「AIが全部考えるから勉強は必要ない」
この問いは真正面から捉えるものではありません。
特に考えなしだったり、適当に匿名でネットに書き込んでいるに過ぎません。

しかし、こういう問いを考えのきっかけにすることはできます。
学校で勉強することは無駄だ、という人はどのような考えをもってそう言うのか?
今後どのように勉強していくのがよいのか?
国の方針にそのまま従っていてもよいのか?

試験の問題のようにすぐに答えが出せるようなものではありませんが、自ら問いを立てるきっかけとなり、それが自分自身を成長させます。
バカな意見だ、と一蹴するのも、
それはそれでもったいないと思います。

歩けなくてよいのか

AIが発達すれば勉強が必要ないという人は、これまでの文明の発達を例に挙げます。
自転車や車があるから脚力は必要ない。
メガネがあるから視力も必要ない。
同様に、AIがあるから考える力も必要ない。

本当にそうでしょうか。
いくら車があるからと言って、普段運動しない、歩かないような生活をしているとたちまち体が弱くなります。
脹脛は第2の心臓とも言われます。生物の体は頭、手、足、と別々に機能しているのではなく、絶妙なバランスの上に成り立っているので、どこかが弱くなると他の部位にも影響を及ぼします。
江戸時代の飛脚ほどの脚力は要らないかもしれませんが、ある程度の脚力は持っていないと快適に生きることはできなくなるのではないでしょうか。
AIがあるからと考えることをやめてしまうと、退化するのは脳だけではなく、体全体なのではないでしょうか。

AIの発達はあまりにも速過ぎます。
もし医療が全く発展しておらず、数千年、数万年をかけるならば、AIを前提とした新人類が誕生、正確にはAIを前提とした個体が生き残りやすくなり、脳機能が低下しても全体でバランスをとった人間になることができるかもしれません。
しかしAIの発達は人類の進化のスピードを遥かに超えています。到底追いつけるものではありません。

歩いて健康を保てる程度には、
勉強して知識をつけておくのが良い、と思うわけです。