AIで志望理由書

公開日 2025/11/14

朝はやや寒くなってきました。
推薦出願の季節です。

生徒がChatGPTで推薦書類を書くという話をしていました。
これについての意見を書きます。

AIは道具


AIも所詮は道具であり、どのように使うかが重要です。
使い方が悪ければ使わない方がましです。
当然、すべてAI頼みはNGです。

どのように使うかは、使う人によります。
そこで重要となる視点が、
面接でのふるまいです。

例えば、ほとんどの受験生に当てはまると思いますが、
文章の書き方を知りません。
言葉遣いや構成などを知らないので、皆最初に書く文章はぐちゃぐちゃです。
また、普段から同年代の人としか喋らないでいると、話す時の言葉選びも下手です。
つまり、いくら志望理由書をAIを利用して上手に書いても、
言葉の使い方を知らなければ面接時に書類と実際の話し方の差が大きくなってしまう、ということです。

知識についても同様ですね。
たいそうなことを書いていても、面接で自分の言葉で喋ることができなければバレてしまいます。
(受験生側がAIを使うことは大学側も知ってはいますが。)
相手は大学教授です。
高校生の何十倍も知識と経験があります。

効果的な使い方

あまり背伸びをしても、自分のふるまいは追いつけません。
だから、ある程度自分が書きたいことを書いてみた後に、それをブラッシュアップしてもらいましょう。
添削ですね。
修正の範囲は、自分の言葉で話すことができる程度。
そして、AI添削をきっかけに語彙力を上げましょう。
AIにすべてをやってもらうという姿勢ではなく、吸収できるものは吸収しましょう。
大学は向上心のある人を欲します。

平均点

もう一つの注意点です。
AIはどのようにしてユーザーの質問に答えているでしょうか?
インターネット上にある情報や、直接人が教えた情報を頼りにしています。
ちなみにChatGPTは有料の情報にはアクセスしていないようです。
つまり、みんなが手に入れることができる情報から答えを生成しています。
これは、
AIの答えは平均点レベル
ということです。
AI頼みで書かれた文章が、熱意を持った人の文章に勝てるはずがないんですね。

これからどうするか

公開日 2025/11/06

高校生は3学年とも進研模試がありました。
自己最高点だった生徒も、思うように行かなかった生徒も、
模試の後が大事です。
このような節目でどう行動していくかが、80年の人生を左右すると言っても過言ではありません。
これは、高校までの勉強の成績で人生が決まるという意味ではありません。
大事な時に、どのように考え行動していくか。
人間には癖がありますから、未来の自分に正の影響を及ぼす行動をとるか、負の影響を及ぼす行動をとるのかも同様にその人の癖がでます。
だから、20年、30年と経過した時に全く異なる結果になります。
高が模試で大袈裟な、
という考えでは、入試やその先でうまくいくはずがありません。

当日のことを話し出す

生徒に模試はどうだったか、模試の結果を受け今後どうするか、と尋ねると
多くの生徒が、

過去問を解いた時はこうだったんだけど・・・
途中で集中が切れて・・・
ここはケアレスミスをしてしまって・・・

と言った内容を話してくれます。
私はそういうことを答えて欲しいのではありません。
結果が悪かったことやその言い訳を聞きたいのではありません。
100歩譲って、話を聞いてくれる人がいないのならば聞きますが、私が最も興味があることは、

これからどうするか?

です。
例えば過去問より問題が難しかったとか、そんなことはあって当然です。
自分の力でなんとかなるものではない。
影響力の範囲
でも書いたとおり、自分の影響力は限られています。
試験問題をコントロールすることはできません。自分をコントロールしてください。

模試で言えば、
模試のための準備が適切だったか?
その準備の成果が反映されたか?
次へ向けて改善することは何か?

必ずこれらに答えてください。
続けていれば、間違いなく成長していきます。
これをせずに毎回同じことをしていても、良くて現状維持、十中八九衰退です。

これからどうするか?
過去は教訓とすることはできても、決して取り戻せません。
学生の時が一番楽しかった、と言う人にはなってほしくありません。

集中できないという人へ

公開日 2025/10/30

「試験中に集中できない、集中力が切れる」
という話をよく聞きます。
こう子どもが言うと、
この子は集中力がないから、集中力をつけないといけない、とか
試験に真剣に取り組んでいない、
などと考える方が多いのではないでしょうか。

私もかつてはそうでした。
が、こう言う生徒が昔に比べ多いこと、学力関係なくいることが引っかかりました。
しばらく調べたり考えたりしているうちに、一つの仮説ができました。

集中している時間が長すぎるのではないか

学生たちは忙しすぎます。
学校の教科のカリキュラム以外にも、よく分からない探究活動、課外活動、塾や習い事の掛け持ちなど。
そこへスマホの追い打ち。
暇がない生徒が多いと感じます。
平日だろうが休日だろうが「集中」することを求められるのならば、
集中力が切れて当然なのかもしれません。

2024年長崎大の英語の入試問題で、脳の2つのモードの話がありました。
1つは集中モード。
目の前の一つのことに力を集中させます。
もう一つは拡散モード。
集中とは真逆で、リラックスしているときをイメージすれば良いと思います。

つまり、集中できないという人は、
脳が集中モードのときが多すぎて、拡散モードに入る時間が少ないというのが仮説です。
集中しすぎて疲れているのではないかということです。

入試の文章中では、迷路に喩えられていました。
集中モードは迷路の中にいて、一つ一つのルートを探っている状態。
拡散モードは迷路を上から眺めている状態。
この拡散モードの時に、
今まで得た情報を俯瞰的に見て、整理したり、
時には一見関連のない情報が結びついて自分の中でイノベーションが起こったりするようです。
(確かにそういう感覚はありますね)

拡散モードを言い換えるとぼんやりしている時間です。
いかがでしょう。
ぼんやりしている時間、少なくなっているのではないでしょうか。
常に何かに追われている感覚があったり、スキマ時間にスマホを見ているならば要注意です。

だから、集中できないのが悩みの人への解決策の一つは、
ぼんやりする時間を意図的に作る、ということです。
受験生によくおすすめしているのは手ぶらで散歩です。
体力の維持のためにも有効です。



いきなり解き始めない

公開日 2025/10/23

日曜日に中3の模試がありました。
試験を解く様子を観察していたのですが、全員に共通する点を見つけました。

「はじめ」
の声とともにまず解答用紙を取り出し、名前と受験番号を書きます。
その後です。
皆さんすぐに第1問を見て解き始めます。

それではいかん

こんなことをしていると、将来余裕のある日々を送ることができません。
常に、目の前のことで頭がいっぱいになってしまいます。
今でもそうなっていませんか?

まず何をやるべきか。
全部見ることです。
試験が始まってから1、2分の間にやることは、第1問を解くことではありません。
問題冊子をパラパラとめくって、全体をつかむことです。
「ああ予定通りだな」
「今回はこの大問が少し変わっているな」
「この問題は後回しにすべきだな」

この1、2分で問題を解き進めるよりも、
大きなアドバンテージを得られます。
実際にこんなことも起こります。

最初の問題が全体で最も難しいもので、そこに時間を使いすぎて解ける問題を解かずに終わった。
試験を解き進めていたら、中盤で見たことのない形式の問題に出会い動揺してしまった。

本番の入試の要項には、
「進んでいくにつれ問題が難しくなります。」とも、
「模試と同じような形式で問題を作ります。」とも、
書かれていないのです。

視野狭窄

「目の前のことしか見えていない」
2週間前に書いたことですが、視野が狭いと余裕がなくなり、判断を誤ります。
視野というのは、時間的視野を含みます。
簡単にいうと、少し先を想像できるか?ということです。
大学卒業後のことを何も考えずに大学へ行きますか。
キャリアを考えずに就活しますか。



まるでたけのこ

公開日 2025/10/16

子どもの成長はとても早いですね。
自分の娘を見ていても、日々いろいろな動きができるようになったり、それまでとは違う表情を見せたりと驚きの連続です。
塾で片付けをしていたら、
中学生の時から通ってくれている生徒の模試結果が出てきたのですが、平均点に届いていないものばかりでした。それが今では進学校の生徒でもあまり書けないような解答を書けるように成長しており感慨深いです。
大人ではあまりこういうことはないですからね。

塾講師として仕事をしていて最も喜ばしい瞬間が、
生徒の成長を感じられた時です。
もちろん、以前解けなかった問題を解けるようになったときもそうなのですが、
それよりももっと抽象的な、学習能力面だったり、人間性の成長が見られた時の方がうれしいですね。
(特に私が教えているわけではないのですが)
例えば、宿題をやってこないことがあった生徒が、宿題の範囲を超えて勉強するようになっていたり、
言いたいことをまとめられずに話が長かった生徒が、要点を伝えられるようになっていたり。
こういうのを見ていると、
この子は学校を卒業してもしっかりやっていけるようになるだろうな、と謎の安心感が生まれます。

それとともに、
それだけ成長が早いということは、子どもにとっては1日1日が大人よりも貴重な時間であるということです。
その時間を無駄にしないように、大人側も真摯に向き合わねばならないなと、身が引き締まる思いです。

勉強している人としていない人の差

公開日 2025/10/09

勉強というのは、学校で習うものだけを指すのではありません。
学校で習うことはほんの少しです。
(しかし、何をやれば良いか分からない人にとってはかなり効率的に世界を学べます。)
ゆえに、学校を卒業すれば勉強が終わるのではなく、生涯続けるべきものです。
高校や大学卒業時にすでに勉強した人としていない人の差は出てきますが、歳を重ねるにつれさらに大きくなっていきます。
卒業した後の方が年月が長いので当然です。
どのように変わってくるでしょうか。

視野

最も大きく違いが出るのはこれだと思います。
前提として、Aさんは視野が広いがBさんは視野が狭い、などという単純な話ではありません。
視野が広い人が、ある条件下で突然視野が狭くなってしまうこともあります。

勉強する習慣、姿勢のない人は視野が狭くなりがちです。
自分から半径3メートルくらいしか見えていないのでは、と。
喩えるならば、3メートル先に壁があって、その壁の外から音は聞こえてくるが、壁の向こうで何が起こっているかは全く分からない、または気に留めない、という感じです。
我ながら分かりにくい喩えです。
具体的には、
自分に起きたこと、自分の家族や友人から聞いたことくらいにしか関心のない様子です。

もちろんこれは極端な例です。
程度があります。
学ぼうとしない人は、視野の大きさが変わりませんが、
学ぼうとする人は次第に視野が広がっていきます。
赤ん坊の時は半径3メートルだったのが、
5メートル、10メートル、
町、市、県、
国、地球、太陽系、・・・
というふうに、考えられる範囲、想像できる範囲が広がっていきます。
つまり、スケールが大きくなっていきます。

スケールが小さいとどうなるか

自分とその仲間(半径3メートル以内にいる)の利益だけを考えます。
スケールが国レベルの人は、地球上で戦争を起こします。
スケールが地球レベルの人は、宇宙進出を考えます。
さて、どの程度が良いのでしょうか?



11月進研模試は狙い目

公開日 2025/10/02

定期テストお疲れ様でした。
勉強したのに取れなかった、という問題を解き直しましょう。
自らを顧みるものだけが成長できます。

ターゲットは進研模試

高1、2年生の次のターゲットは11月の進研模試です。
10月の目標です。
まずは過去問を3年分観察しましょう。
解くだけではありません。観察です。
観察すれば、どのような勉強をしておくと得点しやすいかが見えてきます。
過去問は最初に手をつけるものなので、まだ手元にない場合は学校の先生に頼んで回収してください。
直前にやるものではありません。

高偏差値を叩き出すチャンス

高1生は受験層が幅広いので7月も11月も1月も偏差値が高く出る傾向がありますが、
高2生もチャンスです。
特に、11月から理科と社会が始まりますがこれが狙い目です。
この時期に理社を勉強している生徒は多くありません。
だから、平均点は上がりにくく、標準偏差が低くなります。
準備した生徒にとって偏差値70は難しくありません。
私が高2のときに地理で75点くらいを取ると偏差値80でした。
そういう成績を取ってみたいならば、この回の模試はかなりやりやすいです。

標準レベルの問題を確実に

高2の理科で言うと、
学校で使用している問題集の基礎〜標準レベル(例えば化学のセミナーで言うと応用例題くらい)をできるようにしておけば高得点が望めます。
九大レベルを考えているならば70点、長大レベルならば55点、できれば60点を超えてほしいですね。
(もちろん問題の難易度次第ですが)
1か月あれば十分です。
この時期に皆と差をつけましょう。

全部やろうとしない

公開日 2025/09/27

高校生の定期テスト期間中です。
中学生の中間テストは5教科ですが、高校生は科目が多くて大変ですね。
多いと、国語2科目、数学2科目、英語2科目、理科社会3科目ですからね。
中学生も高校生もテスト準備期間として与えられるのは1週間か2週間です。
中学生と同じ感覚で、高校生のテスト勉強が終わるはずがありません。
特に高1生は、それを自覚してほしいと思います。

撃沈しないように

中学生のころからコツコツやってきた人は特に注意が要ります。
高校の定期試験範囲は、2週間では終わりません。
それは言い換えると、
全範囲満遍なく勉強するならば、普段からやっておく必要がある、
ということです。
とはいえ、普段から淡々とできる人は少数派ですから、対処法を伝えます。

全部はやらない

全範囲やるという前提を捨ててください。
これは、端から諦めるという意味ではありません。
優先するものを決める、ということです。

例えば、将来の大学入試で重要な科目を優先する。
ある科目の中でも、基本問題だけは徹底する、などです。

多くのやるべきことの中から、自分で優先順位をつけて取り組む経験は仕事を始めてからも活きてきます。

リハーサルをする

演奏会や運動会では予行演習をします。
本番前に、当日の動きなどを確認しますね。
しかし、試験となると皆これをしなくなります。
だから本番で「やらかす」んですね。

具体的には、試験の前日に新しく知識を入れない。
2日前には予定しておいた内容を終わらせ、リハーサルに入ります。
つまり、勉強したことを発揮できるかをチェックします。
前に勉強した問題を解ける状態ができているかどうか。
試験の問題は、ほとんどが一度は解いたことがある問題だということを理解していますか?

入試でも同じことが起こる

決まった試験範囲のために準備するという点では、
入試も定期テストも同じです。
つまり、定期テストで失敗した人は、そのままでは入試でも失敗する可能性が高いということですね。

点の取れる試験を

公開日 2025/09/19


学校の定期テストや実力テストの問題を見ていると、
ときどきあまり点数を取らせる気のないテストに出会います。
数年前ですが、平均点が30点に満たないものも見たことがあります。
そこまでの自己満テストは少ないですが、テストはもっと点を取らせるものであっても良いんじゃないかと思います。
定期テストなんかは平均点70点、80点くらいでも良いと思います。
正規分布を取るようなテストである必要がない。
評定も高校によってはほとんど4と5しかつけないところもあり(推薦対策)、もはや機能してません。


ぱっと思いついただけなのですが、
校内実力テストの方は、生徒ごとに難易度を選べるようにしても良さそうです。
それぞれの科目で3段階くらい選べるようにする。
または前回の成績に応じて挑戦できるレベルが変化する。
難易度
⭐︎⭐︎⭐︎
⭐︎⭐︎
⭐︎
があったとして、前回⭐︎⭐︎のテストで70%以上ならば⭐︎⭐︎⭐︎と⭐︎⭐︎のどちらかを選択、のように。
3種類のテストは先生たちがすべて作る必要はなく、外部に委託。
(すでに実力テストを外部委託している中学校もあるようですね。)

諫早の高校は、東京のような大都市の高校と異なる点があります。
大都市の高校は、人口が多く高校数も多いため細かく高校の偏差値が刻まれており、ある高校には入学時点でほとんど同じ学力の生徒が集まります。
一方諫早市の高校は、諫早高校を例に取っても、全国でもトップレベルの生徒がいたり、中学での実力テスト得点率が65%くらいの生徒まで、非常に幅が広いんですね。
両者の実力を同時に測るテストを作るのは難しいのが当然です。どちらかに寄せれば、もう片方の実力を測ることが不可能になります。
だから難易度選択制、少し良いかもと思いませんか?

車があれど足は必要

公開日 2025/09/11

これだけAIが台頭してくると、必ずこういう人がいますね。
「AIが全部考えるから勉強は必要ない」
この問いは真正面から捉えるものではありません。
特に考えなしだったり、適当に匿名でネットに書き込んでいるに過ぎません。

しかし、こういう問いを考えのきっかけにすることはできます。
学校で勉強することは無駄だ、という人はどのような考えをもってそう言うのか?
今後どのように勉強していくのがよいのか?
国の方針にそのまま従っていてもよいのか?

試験の問題のようにすぐに答えが出せるようなものではありませんが、自ら問いを立てるきっかけとなり、それが自分自身を成長させます。
バカな意見だ、と一蹴するのも、
それはそれでもったいないと思います。

歩けなくてよいのか

AIが発達すれば勉強が必要ないという人は、これまでの文明の発達を例に挙げます。
自転車や車があるから脚力は必要ない。
メガネがあるから視力も必要ない。
同様に、AIがあるから考える力も必要ない。

本当にそうでしょうか。
いくら車があるからと言って、普段運動しない、歩かないような生活をしているとたちまち体が弱くなります。
脹脛は第2の心臓とも言われます。生物の体は頭、手、足、と別々に機能しているのではなく、絶妙なバランスの上に成り立っているので、どこかが弱くなると他の部位にも影響を及ぼします。
江戸時代の飛脚ほどの脚力は要らないかもしれませんが、ある程度の脚力は持っていないと快適に生きることはできなくなるのではないでしょうか。
AIがあるからと考えることをやめてしまうと、退化するのは脳だけではなく、体全体なのではないでしょうか。

AIの発達はあまりにも速過ぎます。
もし医療が全く発展しておらず、数千年、数万年をかけるならば、AIを前提とした新人類が誕生、正確にはAIを前提とした個体が生き残りやすくなり、脳機能が低下しても全体でバランスをとった人間になることができるかもしれません。
しかしAIの発達は人類の進化のスピードを遥かに超えています。到底追いつけるものではありません。

歩いて健康を保てる程度には、
勉強して知識をつけておくのが良い、と思うわけです。