役割があれば成長する

公開日 2026/04/27

人間形成のためには環境が大事だという認識はかなり広まってきているように感じますが、私の中で最近再認識しつつあるのは、責任感の重要性です。

約20年前、当時私は高校生でしたが
生意気にも最近の小中学生はどこか幼いなと感じていました。
歴史で勉強する過去の同年代の人々は自分より大人のようでした。
15年前、当時大学生でしたが
最近の高校生はどこか幼いなと感じていました。
さすがに少し成長してその感覚を疑い、あるとき誰かから
自分が成長している分そう見えるだけと聞いた時、確かになあと感心しました。
その「時代が経るにつれ子ども時代が長くなる」という仮説は今までずっと自分の中にあったのですが、最近その仮説は正しいように思えてきました。

自分の仕事があるか

現代の
洗濯機がないので、洗濯板で服を洗います。
湯沸器がないので、薪を焚いて風呂を沸かします。
ロボット掃除機がないので、箒で掃きます。
家事が大幅に減っています。
これはつまり、家庭における個々の役割が減ってきているということです。
昔は洗濯係がサボれば、みんな臭い服を着る羽目になっていたのが、
今は乾燥機付き洗濯機に放り込んでボタンをポチっと押すだけで終わります。
洗濯係は家族の中で責任重大ですが、もうそんな仕事はありません。
これが子どもっぽくなっている原因なのかもしれません。

何も役割がなければ、
自分が何をしようが直接的に困る人が周りにいません。
直接的に、というのは、実際には困る人が出てくるが、それが本人にとって察知しにくいということです。
これでは責任感が育ちません。
自分がニートだろうが、一生独身であろうが他人には関係ない、となります。
これを否定しているわけではありません。
社会の構造上の問題であり個人の問題ではなく、良いとか悪いとかは私にとってはどうでもよくて、ただ事実を捉えようとしているだけです。
責任を持つ経験の少なさが、「社会の子どもっぽさ」を招いているのかもしれないと。

進路に関心がない

将来どうするか、何も考えてないという生徒は少なくありません。
この要因の一つは、自分の人生に責任を持てていないことなのだろうと思います。
簡単にいうと、いつまでも子どもっぽい、です。
これまで自分の仕事がなかったのなら仕方がないとも言えます。
お子さんが将来を真剣に考えていない、と悩まれている方は、
まずは役割を与えてみると良いかもしれません。



勉強をしない人を待ち受ける未来

公開日 2026/04/20

ここで言う「勉強」とは、学校で教わるものに限りません。
数学や理科などだけではなく、人生に関わるものすべてという広範的なものです。
児童生徒にもわかりやすく言うと、スポーツも含みます。

そして「勉強をしない」とは、ある目標に向かって主体的に取り組むことがない、とします。

ほぼ惰性で生きていける

今は多くを望まなければ、特に頑張らなくても誰でも高校や大学へ入れてしまいます。
給料が高くなくて良いのならば、すぐに働けます。
さらに数十年後は、働かなくとも生きていけるようになる可能性は十分出てきました。
良い学校に入り良い給料の出る会社への就職を目指すという従来の流れはいつまで通用するのかわかりません。
極端な話、お金が価値を無くすとまで言われています。
なんとなく世界がそういう空気を漂わせはじめていることに、子どもたちは勘づいているのかもしれません。

勉強の必要はないが

ならば1日10時間受験勉強をすることに何の価値があるのか、と疑う人がいても全く不思議ではありませんね。
ただで衣食住が手に入るのならば、なぜやらねばならないのか?と。
そう思う人はこれからもっと増えていくのではないでしょうか。

子ども時代に勉強をしなかった人がどのような人生を送るのかを予想します。
それは、つまらない人になる、です。
退屈な暮らしでよければ延々と他人が投稿した動画を見ていてください。

勉強、つまり何か目標に向けて試行錯誤を繰り返しながら成長する経験のないまま大人になると、
「学校を卒業したら勉強しなくて良い」と言う大人になります。
(真意は不明ですがこういうことを言う人がいると聞いて驚きました)
これは言い換えると「自分はつまらない人になります」という宣言です。
大人になってからでも遅くはない、というのは楽観的すぎると思います。
子どもは、大人から見ると超人的な体力を持っています。なかなか真似はできません。
それに18歳までの経験により行動規範が形成されますので、そうそう変化は起きないんですね。

逆に18歳までに何かに打ち込んだ経験があると、
「頑張り方」を習得します。
それが生涯学習の原点となります。
常に勉強を続けて、様々なことが見えるようになります。
自分にとっても他人にとっても面白い人になれる、ということですね。


反復練習は、同じことの繰り返しではない

公開日 2025/12/17

基礎基本を身につけるには、反復練習が欠かせません。
何かを習得するときには次の3つの段階に分かれます。

分かる

できる

身につける

私は「できる」と「身につける」を明確に分けます。
「できる」とは、考えたら自分の思うようになること。
「身につける」とは、考えずとも勝手に身体が動くこと。
例えば、歩く、走ることは、ほとんど全ての人が「身について」いることです。

「できる」で終わっている

今の教育課程は、やることが多すぎて「身につける」までに至らない児童生徒が多いと思います。
昔から読み書き算盤、と言われますが、漢字を書けない、計算ができないで義務教育を終了してはいけません。
加えて「叱る」ではなく「褒める」が是だという二分法的思考(あるいは洗脳)が広まってしまったがゆえに自己中心的な態度の子どもが多くなったとも聞きます。
そのような状態で高等教育を受けられるわけがありません。

反復練習

身につけるには、反復練習が欠かせません。
しかしこの言葉のせいなのか、反復練習をただ回数をこなすことと捉えている人も多いという印象を受けます。
例えば英単語を覚えられない、という生徒は、
反復数が少なすぎるか、ずっと同じことを繰り返しているかです。
同じことしかしないから、すぐに飽きてしまうのです。
ここには、そういう生徒へのアドバイスを書いておきます。

英単語ならば以下のような勉強の仕方があります。
・音読する
・聞く
・ノートに繰り返し書く
・例文を読む
・辞書を引く
・想像する
・動詞ならその動作をする
・英文を書いてみる
・語呂合わせを作る

これらを全部やったことがありますか?
ある日は音読、またある日はひたすら書いてみる、など日々やり方を変えてみてもよし、
1日の中でいろいろやってみるもよし。
いろいろ試していくうちに、自分にとって覚えやすい方法がだんだんと分かってきます。

つまり、毎日全く同じ動作をするのではなく、
様々な刺激を加え、覚え方も日々鍛錬していくのが反復練習の本質です。
その結果、呼吸をするように英単語が言え、計算ができ、より高度な学習へとつながっていくわけです。

100点はクソ

公開日 2025/11/20

タイトルからお目汚し失礼しました。
100点取ったらうれしいですよね。
私もうれしいです。

しかし、
この「100点病」によって我々の成長が妨げられています。
だからあえて書きます。100点はクソであると。

価値のないノート

身なりを整えることと、ノートを作ることは全く違います。
人前に出る時は、ある程度キレイな格好でなければなりません。
が、それとノート作りが一緒になってしまっている人が多いのではないでしょうか。
ノートをキレイにしてどうする。

「ノートをキレイに」ということの意味は、
解いた問題が全部マル
のようなノートです。
次のようなノートは良いものです。
・整理されている
・読みやすい
これらは逆に必要です。自分にとって読みやすいものであればよいです。

そうではなくて、良くないのは、
間違ったものを全部消して、正解だけ書いてあるようなノートです
そんなものは要りません。
正解だけ書かれたようなものは、本屋に行けばいくらでもあります。

間違いという財産を消してはいけない。

100点病にかかっている生徒はすぐにわかります。
人に見られて何か言われるのがいやだから、隠して書く。
間違いを認めること=否定されるという感覚。
大人にも責任がありますね。

0点こそ至高

もちろん目指すのは100点です。
別に90点でも80点でもよいです。
ただ、
100点は、ゲームオーバーです。
もうそれ以上がありません。
つまらない。

0点ならば?
それだけ知らないことがあるということ。
楽しい楽しい、ゲームの始まりです。



いきなり解き始めない

公開日 2025/10/23

日曜日に中3の模試がありました。
試験を解く様子を観察していたのですが、全員に共通する点を見つけました。

「はじめ」
の声とともにまず解答用紙を取り出し、名前と受験番号を書きます。
その後です。
皆さんすぐに第1問を見て解き始めます。

それではいかん

こんなことをしていると、将来余裕のある日々を送ることができません。
常に、目の前のことで頭がいっぱいになってしまいます。
今でもそうなっていませんか?

まず何をやるべきか。
全部見ることです。
試験が始まってから1、2分の間にやることは、第1問を解くことではありません。
問題冊子をパラパラとめくって、全体をつかむことです。
「ああ予定通りだな」
「今回はこの大問が少し変わっているな」
「この問題は後回しにすべきだな」

この1、2分で問題を解き進めるよりも、
大きなアドバンテージを得られます。
実際にこんなことも起こります。

最初の問題が全体で最も難しいもので、そこに時間を使いすぎて解ける問題を解かずに終わった。
試験を解き進めていたら、中盤で見たことのない形式の問題に出会い動揺してしまった。

本番の入試の要項には、
「進んでいくにつれ問題が難しくなります。」とも、
「模試と同じような形式で問題を作ります。」とも、
書かれていないのです。

視野狭窄

「目の前のことしか見えていない」
2週間前に書いたことですが、視野が狭いと余裕がなくなり、判断を誤ります。
視野というのは、時間的視野を含みます。
簡単にいうと、少し先を想像できるか?ということです。
大学卒業後のことを何も考えずに大学へ行きますか。
キャリアを考えずに就活しますか。



勉強している人としていない人の差

公開日 2025/10/09

勉強というのは、学校で習うものだけを指すのではありません。
学校で習うことはほんの少しです。
(しかし、何をやれば良いか分からない人にとってはかなり効率的に世界を学べます。)
ゆえに、学校を卒業すれば勉強が終わるのではなく、生涯続けるべきものです。
高校や大学卒業時にすでに勉強した人としていない人の差は出てきますが、歳を重ねるにつれさらに大きくなっていきます。
卒業した後の方が年月が長いので当然です。
どのように変わってくるでしょうか。

視野

最も大きく違いが出るのはこれだと思います。
前提として、Aさんは視野が広いがBさんは視野が狭い、などという単純な話ではありません。
視野が広い人が、ある条件下で突然視野が狭くなってしまうこともあります。

勉強する習慣、姿勢のない人は視野が狭くなりがちです。
自分から半径3メートルくらいしか見えていないのでは、と。
喩えるならば、3メートル先に壁があって、その壁の外から音は聞こえてくるが、壁の向こうで何が起こっているかは全く分からない、または気に留めない、という感じです。
我ながら分かりにくい喩えです。
具体的には、
自分に起きたこと、自分の家族や友人から聞いたことくらいにしか関心のない様子です。

もちろんこれは極端な例です。
程度があります。
学ぼうとしない人は、視野の大きさが変わりませんが、
学ぼうとする人は次第に視野が広がっていきます。
赤ん坊の時は半径3メートルだったのが、
5メートル、10メートル、
町、市、県、
国、地球、太陽系、・・・
というふうに、考えられる範囲、想像できる範囲が広がっていきます。
つまり、スケールが大きくなっていきます。

スケールが小さいとどうなるか

自分とその仲間(半径3メートル以内にいる)の利益だけを考えます。
スケールが国レベルの人は、地球上で戦争を起こします。
スケールが地球レベルの人は、宇宙進出を考えます。
さて、どの程度が良いのでしょうか?



車があれど足は必要

公開日 2025/09/11

これだけAIが台頭してくると、必ずこういう人がいますね。
「AIが全部考えるから勉強は必要ない」
この問いは真正面から捉えるものではありません。
特に考えなしだったり、適当に匿名でネットに書き込んでいるに過ぎません。

しかし、こういう問いを考えのきっかけにすることはできます。
学校で勉強することは無駄だ、という人はどのような考えをもってそう言うのか?
今後どのように勉強していくのがよいのか?
国の方針にそのまま従っていてもよいのか?

試験の問題のようにすぐに答えが出せるようなものではありませんが、自ら問いを立てるきっかけとなり、それが自分自身を成長させます。
バカな意見だ、と一蹴するのも、
それはそれでもったいないと思います。

歩けなくてよいのか

AIが発達すれば勉強が必要ないという人は、これまでの文明の発達を例に挙げます。
自転車や車があるから脚力は必要ない。
メガネがあるから視力も必要ない。
同様に、AIがあるから考える力も必要ない。

本当にそうでしょうか。
いくら車があるからと言って、普段運動しない、歩かないような生活をしているとたちまち体が弱くなります。
脹脛は第2の心臓とも言われます。生物の体は頭、手、足、と別々に機能しているのではなく、絶妙なバランスの上に成り立っているので、どこかが弱くなると他の部位にも影響を及ぼします。
江戸時代の飛脚ほどの脚力は要らないかもしれませんが、ある程度の脚力は持っていないと快適に生きることはできなくなるのではないでしょうか。
AIがあるからと考えることをやめてしまうと、退化するのは脳だけではなく、体全体なのではないでしょうか。

AIの発達はあまりにも速過ぎます。
もし医療が全く発展しておらず、数千年、数万年をかけるならば、AIを前提とした新人類が誕生、正確にはAIを前提とした個体が生き残りやすくなり、脳機能が低下しても全体でバランスをとった人間になることができるかもしれません。
しかしAIの発達は人類の進化のスピードを遥かに超えています。到底追いつけるものではありません。

歩いて健康を保てる程度には、
勉強して知識をつけておくのが良い、と思うわけです。

影響力の範囲

公開日 2025/07/10

インフルエンサーという言葉ができて久しいですが、インターネット上で人々にものすごく影響を与える人たちのことをいいます。その人の発言によって、人がものを買ったり、流行ができたり、ときには国際問題を動かすこともあります。

人にはその人だけの影響力の範囲があります。
アメリカ大統領には全世界への影響力がありますが、
私には諫早市を動かす影響力さえありません。

自分の力が及ぶことなの?

明日がどのような日になるのか。
1年後がどのようになるのか。
10年後がどのようになるのか。
というのは、今何に時間を使っているのかにより定まっていきます。
明日がより良くなるための行動をしているか。
これは言い換えると、
自分の力が及ぶことをしているか、ということです。

JRで働いているわけでもないのに、
電車の本数が少ない、という文句をいつまで言ってても、何も変わりません。
本当に電車の本数を増やしたければ、
JRに入社して重役まで上り詰めるか、政治家の秘書から始めて国土交通大臣になれば良いのではないでしょうか。

それに比べれば、
もっと身近でできることはたくさんあると思います。
電車の話ならば、もしかしたら引越すだけで解決かもしれません。

どんな人でも影響力が最も強く持てるのは、自分に対してです。
これは自己責任論ではありません。
自分の持つ影響力の範囲を理解することで、生活を充実させて欲しいということです。
もちろん影響力は、大きくしたり小さくしたりすることができます。
勝手に大きくなることもありますけどね。

ブラック勉強

公開日 2026/06/19

高校生に、将来どのような仕事がしたいか、と話していると
まあまあ「ブラック企業に入りたくない」という返答をもらいます。
しかしそこから、
「ブラック企業ってどんな企業?」
と訊くと、
「う〜ん」
と、明確な返答が来たことはありません。

皆さんは、ブラック企業とかブラック労働と聞いたら、何を思い浮かべるでしょうか。

労働時間が長すぎること?
給料が低いこと?
会社の命令に全て従わないといけないこと?

人によって違うはずです。
「ブラック」に特に定義はありません。

だから、労働時間が長いことを気にしない人もいますし、
特別お金はいらないと言う人もいますし、
命令されるほうが楽と考える人もいます。

「ブラック」が社会を動かす

おそらく皆さんが考えるブラックというのは、必ずしも悪ではないことも知っておきましょう。
有名企業にもかなり長時間働く人がいます。
イーロン・マスクが週80時間以上働くことはよく知られていますね。
日本の法定労働時間の2倍です。
365日働く人も少なくないでしょう。
そういう人たちにとっては週40時間に制限されることは苦痛なんです。
そして、働いて働いて働きまくる人たちが社会を動かしていることは事実です。

念の為に書いておくと、
私は全員に対して、身を粉にして働けと書くつもりはありません。

のんびりとやっていきたい人はそうすれば良いと思います。
過労死が社会問題になった時期もありますし、何より健康が大事です。

しかし、よくわからぬまま「ブラックは悪」という考え方が広まっているような気がしており、
これでは衰退の一途だなと感じるわけです。
何が正義かは一旦置いておいて、
(何が人類にとって最善なのか、競争社会なのか、共産主義的な何かなのか、私には分かりません)
世界は競争、弱肉強食です。
「ホワイト」労働(勉強)をしている人が、
「ブラック」労働(勉強)をしている人に勝つ術はありません。

それはあなたにとって、
本当にブラックなんでしょうか?


学校配布の問題集はダメなのか?

公開日 2025/05/01

新年度になると新しい教科書や副教材が配られますが、
中には高校生を悩ませる教材があります。
↓例えばこういうのです

何が悩ましいのかというと、
悪く言うと解答冊子が雑なんですね。
このような教材は学校の先生による解説を前提として作られているので、自分で進めていくには難しいところがあります。(もちろん個人差があります)
多くの場合、数学ならば「チャート式」シリーズなど解答解説が丁寧に書かれた本で学習する方が捗るので、基本的には私はそちらを使ってやるよう勧めています。

あまりにも

しかし最近、YouTubeを中心にこのような教材がひどく虐げられている節があります。
「もらったらすぐに捨てろ」みたいな。
冗談でしょうが、純粋な高校生はそのまま捉えてしまっても不思議ではありません。
なので少しフォローをしておこうと思います。

まずは、
もしも使う教材によって成績が決まると思っているのならば、その考え方を捨ててください。
クリアー数学を使っていても、難関大学に合格することは可能です。
それよりも説明が懇切丁寧な参考書の方が効率が良い、
とお考えのあなた。
間違ってはいません。短期的には。
すぐに分かって満足できるのはそのような参考書かもしれません。

もがいているか

しかし、長期的に考えると効率なんて何を使っても大して変わらないと思います。
なぜかと言うと、
クリアー数学を使って勉強するならば、雑な解説の行間を自分で補いながら勉強する必要があるからです。
教科書や授業プリントと読みながら、他の参考書を読みながら。
解説と闘っている時間が、真の実力を養成していきます。
丁寧な参考書を読むよりも時間はかかりますが、その分忘れにくく、基礎が盤石になります。

つまり、参考書学習には薬と同様に副作用があります。
なんでも手助けしてもらいながら育った子どもは大人になって一人でできることが少なくなるように、
手取り足取り教えてくれる教材ばかり使っていると、自分で学ぶ力、思考力はつきにくくなります。