学校配布の問題集はダメなのか?

公開日 2025/05/01

新年度になると新しい教科書や副教材が配られますが、
中には高校生を悩ませる教材があります。
↓例えばこういうのです

何が悩ましいのかというと、
悪く言うと解答冊子が雑なんですね。
このような教材は学校の先生による解説を前提として作られているので、自分で進めていくには難しいところがあります。(もちろん個人差があります)
多くの場合、数学ならば「チャート式」シリーズなど解答解説が丁寧に書かれた本で学習する方が捗るので、基本的には私はそちらを使ってやるよう勧めています。

あまりにも

しかし最近、YouTubeを中心にこのような教材がひどく虐げられている節があります。
「もらったらすぐに捨てろ」みたいな。
冗談でしょうが、純粋な高校生はそのまま捉えてしまっても不思議ではありません。
なので少しフォローをしておこうと思います。

まずは、
もしも使う教材によって成績が決まると思っているのならば、その考え方を捨ててください。
クリアー数学を使っていても、難関大学に合格することは可能です。
それよりも説明が懇切丁寧な参考書の方が効率が良い、
とお考えのあなた。
間違ってはいません。短期的には。
すぐに分かって満足できるのはそのような参考書かもしれません。

もがいているか

しかし、長期的に考えると効率なんて何を使っても大して変わらないと思います。
なぜかと言うと、
クリアー数学を使って勉強するならば、雑な解説の行間を自分で補いながら勉強する必要があるからです。
教科書や授業プリントと読みながら、他の参考書を読みながら。
解説と闘っている時間が、真の実力を養成していきます。
丁寧な参考書を読むよりも時間はかかりますが、その分忘れにくく、基礎が盤石になります。

つまり、参考書学習には薬と同様に副作用があります。
なんでも手助けしてもらいながら育った子どもは大人になって一人でできることが少なくなるように、
手取り足取り教えてくれる教材ばかり使っていると、自分で学ぶ力、思考力はつきにくくなります。

どうでもよい情報を遮断する

公開日 2025/04/17

突然ですが、受験生はSNSアプリを削除しましょう。
ショート動画アプリも消しましょう。
見てたら脳が萎縮します。

すみません、これくらい強く書かないと伝わらないので。

世界に発信されている情報のほとんどは、
どうでもよい情報です。
どうでもよい、というのはもちろん個人差があります。
某芸能人が逮捕されたというニュースは、毎日不特定多数としゃべらなければならない人にとっては話のネタとなる価値があるかもしれませんが、ほとんどの人には関係のないことです。
つまり情報の価値に絶対はない、という前提があることをご理解ください。
その上で、日々どれだけ自分がどうでもよい情報を受け取っているかを振り返ってほしいと思います。
というか、ほぼ覚えていないのでは?

浅い情報

特に今の情報過多の時代は、浅い情報を取り過ぎている可能性があります。
浅い情報とは、30秒動画のような文脈のない、想像力のいらない情報です。
それを見ている時はもしかしたら楽しいかもしれません。
(それも脳がハッキングされたような状態なのですが)
しかし、何が残りますか?
その9割は覚えていないでしょう。
残り1割は何か?
漠然とした不安のようなものや何かを買いたい購買意欲です。
要は、スマホをスワイプしながらずっとテレビCMを見ているのですね。

私も子どもの頃はよくテレビを見ていましたが、
なんでテレビはネガティブなニュースばかり流すんだろうと思っていました。
世界のことを知るという点では大事な面もありますが、遠いところの〇〇事件を知ったところで一体何の役に立つのか。
(その答えを20代になってから知りました。)

インターネットで得られる情報だけで、「旅に行かなくて良い」という人の感覚が理解できません。
観光地のきれいな写真がいくらでもある。
ストリートビューがある。
現地人の生活もググればわかる。
浅い情報に侵された末路、という感じです。
デジタルの情報というのはただでさえ断片的だというのに。
一見たくさんの情報を手に入れているようで、
実は「深さ」という点では、実物を感じることに比べてはるかに情報量が少ないのです。
情報通のつもりの人は、生物よりも機械に近いのでは。
だからここに、AI時代を生き抜くヒントがあると考えます。

機械のような人間にならないように

ごちゃごちゃと書きましたが、
とにかく無駄な情報を取り入れないようにすることが重要だと思います。
普通に生活していたらどんどん入ってきてしまうので、自分で遮断しようとする必要があります。
私はSNSをほとんど使いません。
LINEはニュースタブを消しています。
そのようなアプリが悪いとかいう話ではありません。
自分で管理できればよいです。
使える制限時間をつけるのも良いですね。

先取り勢に勝つ遊び

公開日 2024/12/05

家でゴロゴロしているだけでも大学生にはなれる時代ですが、
難関大(特に東大)は競争が激しくなっています。
競争が激しいというよりは、入試において求められる学力が上がってきている、という方が正しいかもしれません。
その影響か、近年は「先取り」、つまり学校の授業進度よりも早く勉強を進め、受験を有利に進めようとする動きが大きくなってきています。英検を早々に取ってしまう人も増えてきましたね。

今回は、そのような「先取り勢」に勝つというテーマです。

先取りしても、しなくてもよい

もちろん、トップレベルの難関大学へ行きたいならば、もう先取りは必須と言えます。
高1の時点で高3の内容に手をつけている人もいるくらいです。
小学生の頃からかなりの勉強量(一般的な高校生よりも多い)をこなして中学受験をし、最難関の大学へ行くような人はやはり優秀でしょうし、社会への貢献度が高いのは間違いありません。

ですが、
今回書きたいのはそのようになろう、というものではなく、
そうやって学校の勉強をやっている同年代と将来、対等に戦えるにはどうするか?
という視点です。

今何をしている

持っている時間は誰でも同じで、未来がどのようになるかはその時間をどのように配分していったかによると考えます。
例えばある日の1時間で、英語の勉強をしたAさんとランニングしたBさんがいたら、
Aさんは英語が上達するが心肺機能は変わらない。
Bさんは英語力は変わらないが心肺機能が向上する。
ただそれだけのシンプルな話です。
人による特性だの才能だのは議論を始めると複雑になりすぎるので手に負えません。
まずはこの「時間配分」から考えてみてはいかがでしょうか。

つまり、
トップレベルを目指す先取り勢が勉強している間に別のことをしておけば、
将来の総能力はトントンだということです。
だから、
もしも食べるのも寝るのも忘れるくらい熱中できることがあれば、興味もない受験勉強に時間を配分せずに好きなだけやると良いと思います。
そうすれば、その分野に関しては先取り勢の勉強並みにできるということです。

ここで99%の確率で来る質問に答えます。
寝る間も惜しんでゲームをやる人が先取り勢と同等なわけがないのではないか?
一理あります。
特に、スマホでやるソーシャルゲームなどを長時間やったところで身に付く能力は高が知れています。
なぜならば、それは脳をハックするゲームだからです。プレイする人間が気持ちよーくなれるように設計されており、喩えるならば接待を受けているようなものです。
気遣ってもらっている側の能力が伸びるはずがありませんね。
自分でやっているようで、実はやらされているところが怖いところです。

しかし、そのようなゲームをするのではなく、
表に見えない、自分の能力値や武器の攻撃力や会心率、敵の防御力をもとにダメージ計算する数式を知り、最も早く敵を倒せる武器と防具をつくる。クリティカル距離も考慮し、何発の弾でダウンがとれるかを計算して効率よく敵を拘束する、そして仕留める。ときにはチームを作り、役割分担をして鮮やかに討伐。
(書いてあることを理解する必要はありません。)
こんなふうに遊んでいれば、現実でも役にたつ能力が磨かれます。
そのようなゲームのためのシミュレーターソフトを自前で作りネット上に公開してしまうような猛者もいます。
これはもはや完全に仕事として成り立ちますね。

このようなレベルで「遊んで」いれば、学校のテストで高得点を取らなくとも食い扶持に困るような状況にはならないと思います。
めちゃくちゃ勉強している人と同等の能力を手に入れているんですからね。
土俵はいくらでもあるわけです。

勉強ができれば偉いのか

公開日 2024/11/14

学校というのはその性質上、テストの成績が良い生徒やスポーツで表彰される生徒が「偉く」なりがちです。
今から書くことを、例えば中学生に説いたとしても、あまり理解は得られないかもしれません。それは仕方のないことですが、ぜひ心に留めておいて大人になってから思い出して欲しいと思います。

滑稽だ

成績が良ければ他人から賞賛されるので、「自分は偉い」と勘違いするのも無理はないかもしれません。
成績が良いことは、確かに素晴らしいことではあります。間違いありません。
が、よく考えてください。

例えば、
英単語が10問出題される小テストで満点を取った人がいて、
おれは満点だーって威張っていたらどうですか?
たったそれだけで、って思いませんか。
小テストでなくとも同じです。
たかが入試で(あえて「たかが」と書いています。)、そのとき一回だけ合格点を取れたからって偉いですか?
地球上で知り得るものごとの中からほんの、ほんの少しだけ取り出した試験で高得点を取ることが、そんなに偉いですか?宇宙から見たら素粒子レベルにも満たないのに?
たったそれだけで。

立場は平等でない

勘違いしてはいけないことを書きます。
今書いている「偉い」というのは、人としての話です。
AさんとBさんが人を殺した時に、Aさんは罪を償い、Bさんは罪を問われない、ということがあってはならないですね。そういう意味で人は平等であるべきです。(それが地球でのコンセンサスです)
だから学校の勉強ができるだけで人の扱いのレベルが変わってはいけない。同様に、天狗になってはいけない。

しかし、一方で「偉さ」は存在します。
それは立場です。
学校ならば、生徒より先生の方が立場は偉いです。
立場の偉い人、言い換えると責任のある人が存在しなければ、学校という組織は続けられません。
何か問題が起きた時に収拾がつかなくなってしまいます。
組織運営をスムーズに行うために偉い人が存在します。
だから学校にいたら、先生の言うことを聞く必要があります。
これを理解せず、平等を誤解した結果がモンペということですね。

監視する

「立場の偉い」人も誤解します。
立場が偉いのを人として、生物として偉いと、ときに錯覚するのです。
どこにでもいます。
学校にも職場にも国の機関であろうと。組織には付き物です。
だから、立場の偉い人(権力者とも言います)を、偉くない人が監視しなければなりません。
勘違いして暴走しないように。
偉い人自身だけの問題ではないということです。
猛威を振るう前に、そうでない人が抑制しないといけない。
そうなる前までは、偉くない人にも責任があります。
そうなってしまったら最後。
その組織が崩壊するまで暴走が収まることはないでしょう。


学力も格差、大学も格差

公開日 2024/11/07

今年度から東洋大学で「学校推薦入試 基礎学力型」が始まったことは受験業界では有名です。
簡単に説明すると、推薦状がもらえたら2科目の試験を受けるだけでよく、志望理由書などの書類不要、面接もなし、12月に合否が分かる入試です。さらに併願可能。
もはや、推薦入試とは?というものですが、今後主に私立大学においてはこの動きは加速するでしょう。

現在国内には約800の大学があります。
その内私立大学、私立専門職大学は600ほどですが、その半分以上は入学者が定員割れとなっています。
学生集めに苦しんでいる大学は、様々な手を打ってきます。必然です。
この入試のように、早期に入学(候補)者を確保する施策が増えていくことはほとんど明らかです。

皆さんがおそらく考えることは、受験生の学力低下です。
易きに流れるのが人間ですから、このような制度に飛びつくのは想像に難くありません。
さすがに大学側もある程度の対策は打つはずで、合格・入学手続き後に宿題が課されることなどあるのだと思います。(調べてはいません)
しかし、2月の一般選抜まで戦ってきた受験生に及ぶことはないでしょう。(傾向です)
データによると、国公立大学は入学者のうちの一般選抜組は80%弱、上位国立大では90%超になります。
受験生本人の気持ちの話ではなく、12月で受験終了する場合と3月に終了する場合とでは、追い込み方が違いますから差が広がるのは当然のことです。
誤解されないように書いておくと、これは個人の話ではなく日本全体としてそのように向かっている、という話です。

受験生の学力差は広がっていきますが、同時に大学の方も格差が広がります。
ストレートに書いてしまいますが、お金さえ払えば入学できる学校はいくらでもあります。
そのような学校へ通う学生は何をやっているのか。少し考えたら分かります。
(学生の批判ではありません)
学生に迎合するような学校の存在意義とは?
淘汰されていくと思います。

とにかく勉強する

学生たちには勉強を頑張って欲しいと思います。
変に賢ぶって、悟ったフリをして、無気力になっていませんか。
もちろん社会のせいもありますが、そんなことを考えていても仕方がない。
まずはがむしゃらにやってみてはどうか。

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
獣ゆく細道 椎名林檎と宮本浩次

リバウンドを防げ

公開日 2024/10/02

勉強の成果が出るのには時間がかかります。
出題範囲の狭い小テストは、やった分結果がすぐに出ます。
一方模試や実力テストは、頑張った分の結果が出るのにしばらく時間がかかります。量をこなしていないと、なかなか目に見えて成果が出ません。
成果が目に見えないので、途中でやめてしまう人は案外多いです。
ダイエットや筋トレと同じ。
あと1ヶ月続けていたら成果が出るはずだったのに、やめるから0に戻ってしまうんです。

勉強は呼吸のように

ダイエットを失敗する人は、対症療法から入ります。
カロリーの低いものを食べる。むしろ食べない。
とりあえず運動してみる。
ネットで売っている怪しいサプリを飲む。

勉強では例えばこうです。
勉強法を検索する。
良い参考書探しをする。
「3ヶ月でMARCH合格」みたいな動画を観る。

目先はよくなる(気がする)のですが、すぐにリバウンドします。
根本的に解決するには、原因療法が必要です。
ダイエットならば、徐々に食習慣を変えていく。
勉強ならば、身の回りのもの、あらゆるものから学ぶ。

人間の体は、腸内細菌が欲しがるものを食べたくなると言われています。
高カロリーのものを習慣的に食べている人は、腸内細菌の好みがそれなので、その細菌が優勢である限り高カロリーの食生活が続きます。少しずつ腸内を変え、太りにくいものを好む細菌に入れ替えなくてはすぐに元通りです。

勉強も同様。
普段からものを考える習慣のない人が勉強が続くことはありません。
学校の勉強が特別なものなので、机に向かうのが一大イベントです。
毎日花火大会に行きたいですか?
私は勘弁です。

つまり、勉強は「いつの間にかやっているもの」になるのがベストです。

思考力をつけたいなら

公開日 2024/09/25

寒さ暑さも彼岸まで。
少し過ごしやすくなってきましたね。
受験生には普段から運動するように言っていますが、この気温ならば朝夕の散歩もしやすいのではないでしょうか。
特に、車やバスで学校へ通っている生徒は要注意です。

今回は思考力の話です。
思考力と言っても、主に2つに分類されます。
・速く、浅い思考
・遅く、深い思考
です。
もちろん、2つのうちどちらかではなくグラデーションがあり、速さと深さは完全従属でもありません。
しかしグラデーションまで考えてしまうと説明ができませんので、2つに分けて話します。

速度重視の思考

例えば、会話で使います。
ときどき返しの上手な人がいますよね。いわゆる頭の回転の速い人です。
共通テストで必要な力の一つです。
現在の共通テストは、特に国語・英語・数学は時間との勝負になっています。
英語は時間内に解き切る人は2割いないのではないでしょうか。
(すべて解答している人はもっと多いでしょうが、しっかり理解を伴って解答している人が2割もいないということです。)
深く考えるというよりも、どれだけ速く正確に答えられるかが勝負の鍵ということです。

思考のスピードを上げるには?

他人と関わることです。
1人でスピードを上げるのは限界があります。
私の体験としては、
大学生のときにファミレスでアルバイトしていました。
あるチェーン店なのですが、常に少ない人数で店を回す必要があり、そこですごく鍛えられました。
お客さんが少ない時も掃除や仕込みなどやることが決まっており、バイトの中にはサボってやらない人はいましたが、私は真面目なので時間内にすべてやり切ることを目標にしていました。
初めはポンコツでしたが、徐々に慣れていきました。
要は何か追い立てられるものがあるかどうかです。
都会の人がせっかちなのもそのためですね。

深度重視の思考

物事をより抽象的に捉えるのに必要な思考です。
例えばある問題を多角的に捉えて思考実験をしたり、哲学的な考えに耽るときの思考です。
こちらは学校のテスト、入試で測ることが難しいです。
(小論文なら少し測れそうです。)

深く思考するためには?

1人になることです。
物理的にも精神的にも孤独になることです。
じっくりと時間をかけて考えることは、人と一緒にいるとできません。
孤独の時間が長すぎて変な方向へ思考してしまうことには注意ですね。
人間ときにはバカになることも大事です。

どちらも大事

速い、深いに優劣はありません。
人によってどちらが得意かは違います。
ただ分かりやすいのは速さなので、速い方が評価されやすいです。
深い思考が得意な人は創作や研究系の仕事が良いと思います。
ただ、どちらの思考力も鍛えられますから諦める必要はないですね。


他人はコントロールできない

公開日 2024/09/04

ネットを見ていたら
中3の子の実力テストの点数が赤点だったからスマホ禁止にした、
という趣旨の書き込みを見つけました。
残念ながら、その子が今後伸びる可能性は非常に低いです。
理由は

・依存(気味)のスマホを禁止にしたところで隠れて使う(本人の意思に関係なく)
・完全に使えない状態にしたとしても、他人からの強要であり自分の意志ではないので、受験後はすぐに元通りとなる

からです。
個人差はありますが、14、5歳というのは大人に片足を踏み入れ始めている年齢です。
自律・自立の精神を養っていく年齢です。
ここで大人が手を出しすぎると、何も自分で判断できなくなってしまいます。
支配されているから、自分の力では何もできない、と無意識に考えるようになります。
投票しても何も変わらないから選挙には行かない、と言う大人のようです。

もちろん、これは手を貸してはいけないということではありません。
まだ親の半分も生きていない子どもが何も知らないのは当然ですからね。
(中高生も、親が「親」の仕事をするのは初めての経験だということを知りましょう。)

自分しか変われない

小学生までならなんでも親の言うことを聞いていた、かもしれません。
しかし中学生になればそれは終わります。
もう親の思い通りにはならなくなります。
それからは大人と一緒です。
ある人の考えや行動を変えるということは、並大抵のエネルギーでは叶いません。
不可能だという前提に立った方が良いでしょう。
何せ他人なんですから。

このブログも、
いろいろな人の目に留まり、その人が考え方や行動を見直すきっかけ、参考になればと思い書き続けていますが、変わる人はほとんどいないと思っています。
1人でもいれば満足です。

他人を変えることは難しいですが、自分を変えることは容易です。
余裕を持って生きるコツの一つです。

コミュ力とは

公開日 2024/08/21

コミュニケーション力が必要などと言われますが、
果たしてそれを理解している人はどれくらいいるのか?
「コミュニケーション力」という言葉自体曖昧なものなので、
私の解釈の仕方の一つとして書いておきます。

まず前提として理解しておかねばならないことは、
コミュニケーションとは自分と相手、2者以上で成り立つということです。

例えば授業において、
「pq=-1は必要条件でしかないので、十分性を確認しなければならない」
みたいな説明をしたとして、
いくら講師側の知識が豊富で物事を理解する力に長けていたとしても、
生徒側が「必要条件」などを理解していないとそれが伝わらないということです。

当たり前のことのようですが、コミュニケーション力が「個人の能力」として語られる場合が多く、双方向という前提が抜け落ちている場合があるので注意したいところです。

becauseの使い方

コミュニケーションの齟齬が起きる例を紹介します。
「英文において『because』を文頭で使ってはいけないのか?」
という問いについて。

webを検索すると、次のような回答が得られます。


Because Mary is often late for the class, I don’t like her.
のような英文はよろしくない。通例、
I don’t like Mary, because she is often late for the class.
のように後ろに置く。
becauseは相手にとって新情報が含まれるときに用い、英文では旧→新の順に書くので後ろにするのが普通。



これは一見何も問題のない回答のようですが、
質問の答えになっていない可能性があることがわかるでしょうか?

上記の質問は、
「Because she is often late for the class.」
という英文を書いてはダメなのか、という問いであるかもしれません。

これに対する回答は、
「Becauseは接続詞であるから、主節と合わせて使う必要がある。ただし、口語では問題ない。」
となります。
このように、
同じ質問でも、その文章だけでは質問者の意図が完全には伝わっていないことがよくあります。
ちなみにchatGPTに同じ質問をして返ってきた回答は次のとおりです。

ーーーーーーここからーーーーーー

「because」を文頭に置くこと自体は文法的には間違いではありませんが、特定の文脈で適切かどうかが問題になります。文頭に「because」を置くと、その後に続く文が原因や理由を説明する副詞節となります。そのため、通常は主節(メインの文)とともに使用されます

例えば、以下のような文は問題ありません:

  • “Because it was raining, we canceled the picnic.”

ここでは、「Because it was raining」が理由を示す副詞節で、「we canceled the picnic」が主節です。

しかし、「Because」で始まる文が単独で使われると、不完全な感じになり、文法的には不適切とされることがあります。

例えば、「Because I was tired.」という文だけでは、主節がないため不完全な文になります。この場合、「Because I was tired, I went to bed early.」のように続けるのが正しい使い方です。

したがって、文頭に置くことは可能ですが、主節と一緒に使うことが重要です。

ーーーーーーここまでーーーーーー

一つの例に過ぎませんが、
これが「通じていない」ということです。
どのようにしたら回避できるでしょうか?

質問者目線では、
できるだけ詳細に状況を伝えることです。
今回の例では「前提」が重要です。
「becauseを文頭で使う」というのが曖昧だから、回答者はまず頭に浮かんだ「新旧情報の話」をしてしまいます。
逆に回答者側にできることも、
まず前提を確認する、ということです。
どのような文でbecauseを使うのか、という点を質問者に問うのが先です。
大抵の場合、質問者はそもそもどのような前提での話なのかを理解していません。

つまりコミュニケーション力というのは、
相手の話の背景を探りながら、また知識量・経験量などを見積もった上で応答する力であり、
この力は相手にも求められる、ということです。
ゆえに、
相手に話が通じないと感じる場合、自分自身も力不足であるということです。

ちょっと、聞いてる?

公開日 2024/08/07

人は想像以上に話を聞いていないものです。
大勢の人を前にして話をしたことがある方ならばわかると思いますが、
自分が話していることを終始聞いているのはせいぜい2割ほどです。
もっと少ないかもしれません。
学校の校長先生の話をずっと集中して聞いている生徒は数えるほどでしょう。

1対多数ではなく、1対1で話していても、
お互いの話をすべて理解していることは稀ではないでしょうか。

すべて伝わると思ってはいけない

あなたは、今目の前にいる人が考えていることがすべて分かっているエスパーですか。
分かっている?
あ、私医者じゃないんで、病院はあちらです。

お互いのことをすべて知っている、というのは恋愛小説の中だけにしてください。
すべて知りえることなどありません。

すべては無理ですが、
半分くらいならばできるかもしれません。
互いに理解し合うための材料の一つとして、言葉があります。
言葉を学ぶ意義はそこにあります。
言葉を知らなければ、自分の考えていることを表現する術が減ります。
(言葉がないと、表現の仕方はときに物理的暴力になります)
言葉を知らない子どもなどなおさら。
いくら口で注意しようが、分からないものは分からない。
赤ちゃんは表現力がないので泣きます。
だから大人は言葉を教え、表現力をつけさせなければならない。
また、時間をかけて理解しようとせねばならない。
これは大人同士でも同じことですね。

1対1で

1対複数は、よっぽど話が上手かったり、
そもそも共通する興味のある話でもない限り、誰かは聞いていません。
その人は自分に向けた話ではない、と思っています。
塾では最大4人同時に話しますが、それでも油断すると誰かが上の空です。
大事な話は1対1で。
立場的に有利な側が2人いるのもおすすめしません。
対話ではなく面接になります。

逆に考えると

つまらない話だと思っても聞いていれば何か発見があります。
知識が足りないために理解できない、ということが多々ありますし、
つまらない話とはどういうものか、を学ぶ場にもなるからです。
話を聞かない人の方が多いので、
「普通」じゃない人になりたいならば、
人の話をよく聞いておくだけでも差をつけられます。