人類総依存症計画

公開日 2024/07/03

自習室に来て、荷物を置く、椅子に座る
次に何をしていますか。

なんとなくスマホを見る

違う、そうじゃない。
20秒以内にテキストやノートを取り出して、
すぐさま問題を解き始める。
これが合格する受験生の行動です。

ドーパミン

神経伝達物質の一つで、快く感じる原因となる脳内報酬系の活性化において中心的な役割を果たしている。
eヘルスネット より

快楽を得ようとするときに脳内に放出される物質です。
例えばギャンブルでたまたま大金を得ると、またその快感に浸りたくなりギャンブルを続けてしまいます。
そこに関与する物質です。
ドーパミンは悪い物質、というわけではありません。
学習能力を高めたり、意欲を出すのにも役立っています。
しかし、その使い方(というより使われ方)を間違えると「依存症」になってしまいます。

SNSをつい見てしまうのも依存症の一つです。
例えばどのタイミングでドーパミンが出ているかというと、
通知が来た時
アイコンの右上に出てくる数字
こういうのに刺激されます。
それでなくとも、脳を刺激してくる仕掛けはいろいろな場所に施されています。

スマホゲームは、定期的にユーザーを「気持ち良くさせる」仕組みを作っています。
ログインボーナス
ガチャ
期間限定装備
あらゆる手を使って、そのゲームに時間を使ってもらうようにします。
(それ自体が悪いとは言えません)

我慢できない

ここからは別にデータとかがあるわけではなく、
私の直感に近いものです。

長期的にものを考える、あるいは深く抽象的な思考をする力が平均的に弱くなってきているのではないかと思います。
簡単に言い換えると、
人が目の前にある、すぐに得られる報酬に飛びつくようになってきている
ということです。
他の言い方をすると、ヒトがそれ以外の動物に近づいている、逆戻りしている。

何かを得たいと考えてから、それを手に入れるまでの時間がとても短くなっています。
我々は普段そのような環境に身を置いているので、それが当たり前になってきています。
欲しいものがすぐ手に入るから、我慢をする必要がない。
その代償として、先のことを想像できなくなる。

そもそも動物は、種を存続させるため、食べるために生きていますから、
そのような状態に違和感はないのですが、
皆さんはどう思われるでしょうか。

なんでSwitch持っていっちゃダメなの?

公開日 2024/05/15

先週LINEで自習室の利用について注意喚起をしましたが読んでいただいたでしょうか。
今回は「ルール」について考える記事です。
最後までお読みください。

近年は携帯電話・スマホを持っていくことが許されている学校が増えましたね。
少し前までは禁止のところがほとんどでした。
持っていくことは許されていても、校内での使用を禁止または制限されているのではないでしょうか。
ではなぜ制限されるのか、そのような校則が作られているのか考えたことはあるでしょうか。

スマホでなくとも、基本的には小学生のときから、
学校での学習に関係のないものは持っていくことが禁止されていたと思います。
(または保護者の方が禁止していた)
なぜでしょう?

そのルールは必要なのか

例えばの話。
学校へゲーム機を持っていったとします。
スマホでも良いです。
授業中に、となりの人がゲームしてたらどう思いますか。
学校は国語・数学・英語などの教科を勉強するところでありゲームをしにくる場所ではないは当然わかりますね。ほとんどの人にとっては不快だと思います。
その場の勉強する雰囲気を邪魔していることになります。出ていってもらいたいですね。

しかし例えば、
ゲーム機を持っていったとしても、
授業中はすごく授業に集中している生徒が、休み時間とか昼休みだけ、ゲームしていたらどうでしょうか?
別にいいんじゃない?
ってなりませんか。

つまり、
ゲームやスマホそのものの問題ではないんです。
それを使う人、使い方の問題なんです。
もし、
上で書いたようにゲーム機やスマホを学校へ持っていったとしても、
使うタイミングを間違えずに、学習進度にも支障がないとすれば、
それらの持ち込みを禁止する必要があるでしょうか。
ありませんよね。

皆がある程度の節度を持っていれば、
わざわざルールを作る必要などないんです。
正確には、最低限のルールだけでいいんです。

ルールが全くいらないわけではないが

ルールをなくせば良いわけではありません。
人は皆それぞれ、少しずつでも感覚が異なります。
となりの人がゲームをしていようがしてまいが何も気にならない人もいます。逆にかなり神経質な人もいます。
集団生活をする上では、できるだけ多くの人の最低限の快適さを求めなければなりません。

しかしルールが多すぎると、自由度が低くなり、物事に柔軟に対応できなくなっていきます。
国家のレベルでも同じですね。
細かいルールを作りすぎると成長を阻害します。

ルールを作る理由

本来ならばいらないルールでも、作らざるを得ない状況になることがあります。
先ほどの例で言うと、授業中にもゲームをしちゃう人です。
授業や自分の勉強の邪魔にならないように、休み時間だけにする、というように節度を持っていればよかったものを、他人に迷惑をかけるような行動をしてしまったがために、
「学校にゲーム機・スマホを持ってきてはならない」
というルールが新たに設定されるわけです。
つまり、
自分で自分の首を絞めている。

そのことに気づいて欲しいものです。

自習室も同じ

自習室でときどき次のような行為が見られます。
(他の生徒から聞いたものを含みます)
授業時間中のことです。

・スマホをいじる。例えばLINEやインスタ、Tiktokなど。
・塾での学習に関係のない雑談をしている。

このような行為が続く場合は例えば以下のようなルールを設定せざるを得なくなります。

・自習室のスマホ持ち込み禁止。
・授業時間中(毎時10分〜00分)の雑談一切禁止。
・禁止事項をn回行った場合は以降自習室利用を禁止。

このようなルールを設けることは、
塾にとっても生徒にとってもデメリットの方が大きいです。
塾にとってはルールを設定、管理運営する労力がかかりますし、
生徒にとっては、緊急で連絡したい時や少し調べものをしたいときにスマホがないと不便でしょう。

ご協力をお願いいたします。

季節で考える勉強スケジュール

公開日 2024/05/01

ベトナムへ行ってきましたが、
4月は乾季で雨が少なく、1年で最も暑い時期です。
13時ごろは40℃近くになりました。
特に今年は気温が高かったようです。
病院やホテル、都市部のビルでもない限り、すべての部屋にエアコンを装備していることはないので本当に暑い。
だからか最も暑い時間は仕事などせずに休んでいる人が多かったですね。
(夕方から夜になると23℃くらいになって日本の夏よりも過ごしやすいです。)
寒い地域に住んでいる人の方が学力が高いという説を見たことがありますが、わかる気がします。

それで思い出して記事を書いています。
日本も季節によって気温が大きく違います。
ならば季節によって勉強の仕方が変わっても何ら不思議ではないですね。

〇〇の秋

食欲の秋とか、スポーツの秋とか、読書の秋とか言われますね。
やはり勉強も秋が最もしやすいです。
なぜなら過ごしやすいから。
涼しく感じるくらいが一番頭が働きやすい気がしませんか。
つまり秋から冬にかけてはじっくり考える勉強をするのに向いています。
科目で言うと数学や物理ですね。

夏は理社!

逆に暑い時期は考える気力を失いやすいです。
だから夏は、そんなに考えることのない科目、暗記ものの多い科目、
つまり化学・生物・社会などが最適。
受験生の夏休みには理社をやれと言われますが、これが理由の一つです。
暑くて数学なんてやってられない!→理社をやろう!
というわけです。
(英数は継続してやってくださいね)

時間でも考える

1年でなくとも、1日でも気温差はありますから、
1日のうちでどの時間帯にどの科目をやるかも考えられます。
気温の低い朝は数学、昼間は理科、夜は英語、
というふうにです。
気温でなくとも、共通テストの時間割に合わせても良いでしょう。

自分の勉強を最適化したい人は試してみてください。

一度都市へ出てみては

公開日 2024/04/24

今回の記事は私からの提案です。
日本の人口はすでに減少へ転じており、さらに長崎県は転出超過の県であることはご存知のことと思います。
2023年の統計によれば、長崎県の転入超過数はワースト5位です。
つまり全国5位の不人気県であるということです。
どんどん長崎の人口は減っていっています。

引用:https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2019/11/1572912445.pd

国の人口が減るのは仕方ないとして、
長崎がこれほど不人気なのは寂しいですね。

ただ一方で、身近な話になりますが
当塾では最近、長崎大学や長崎県立大学を希望している生徒が多いです。
実家から通いたい、という意見が多いです。
これは私の感覚だけの話ではなく、実際長大の志望者は増加しました。
長大入試情報サイトの過去の入試データから抜粋してきました。
一般選抜前期日程の倍率です↓

令和5年度は、前年に共通テストが(特に数学)大幅難化した反動で受験生がより上位を目指す傾向が強くなり、長大は受験者が減少したとみていますが、令和6年度はここ15年で最も多い受験者数となりました。

それで私がなぜタイトルのようなことを提言するかというと、
長崎県がもっと活気づくためです。

格差が固定される

県からは人が流出していて、戻ってこない。
これは地域がより閉鎖的な空間になることを意味しています。
閉鎖的な空間というのは学校や職場などで考えるとわかりやすいでしょう。
いわゆる風通しのよくない空間です。
一度内部で階級が作られてしまうとそれがなかなか変わらない空間です。
変わらないというのは競争においては負けを意味します。
これだけが理由ではありませんが、相対的に居心地がよくない空間、すなわち人口が流出する地域というのはそういう空気感が少なからずあります。
それがますます加速してしまうのではないか。

要するに、地域の発展には定期的に空気の入れ替えをすることが不可欠です。
東京などの都市が強い理由の一つがこれです。
多様な人材が入ってきやすい空気感です。
そういうのは若い人ほど好みます。

だから長崎の高校生にはぜひ県外へ出てもらって、(ひいては国外へ出てもらって)
長崎へお土産を持って帰ってもらいたいと思うのです。
長い目で見ると、その方が県外に留まるよりも県に富をもたらします。
遣唐使と同じです。
高校生でなくとも良いのですが、
大学進学というのは外へ出る大きなチャンスになるものですからね。

県外、国外から情報を持って帰り、地元に還元することは
その地域はもちろんその人自身にも利益のあるものであることは想像に難くないと思います。
だから、実家から出たくなくとも、一回外へ出てみてはどうか?ということです。

常に一手先を行く考え方

公開日 2024/04/03

すでに皆さんご存知の通り、
現代、少なくとも日本国内では競争する必要性が以前より少なくなりました。
実際(今のところは)そんなに頑張らなくとも生きていけると思います。
ですが、格差が広がることはもう目に見えていますね。
また、いくら世界が豊かになっても競争が終わることはないでしょう。
少なくとも我々が寿命を迎えるまでは。
今日は競走で勝ち抜くための考え方の一つを紹介します。

新しいこと

を始めようとしたとき、何を考えるでしょうか?

〇〇大学を目指そう
今年は早起きして勉強しよう
資格取得に挑戦しよう
〇〇へ行きたい
〇〇が欲しい
・・・

願望は尽きないと思いますが、
多くの人は5秒後にこう考えます。

果たして自分にできるのか

心配ありません、正常です。
他にもいろいろと考え出します。

どれくらい時間がかかるのか
お金かかりそう
コスパ悪いかもしれない
そもそも自分には向いていないかもしれない
・・・

こうやって悩み始めますよね。
やらない理由を作り出します。
もう一度書きますがあなたは正常です。

ちょっと変えるだけ

これを少し変えるだけで、競争に勝てるようになる、と言ったら信じますか。
理屈はすごくシンプルです。
Simple is the best.

ではどう考えるか。

〇〇をしたい

どうすればできるだろうか?

これだけです。
何か欲しいもの、したいことがあれば、すぐさま
どうすれば手に入れられるか?
どうすればできるか?
を考え始めます。

多くの人は
まず先述のようにいろいろ悩んでから、どうしようかと考えはじめます。
その「悩む」過程を飛ばしてしまう。
ただそれだけです。
それだけですが、もうすでにスタート地点が違います。
「悩む」時間は様々ですが、1日のときもあれば1週間、1ヶ月なんてこともザラだと思います。
その時間分の差がつくということです。
こんなに簡単に差がつけられることはあるでしょうか。

あと40週間しかないが〇〇大学へ行きたい→ではどう勉強を進めると良いか?
予算が少ないが〇〇へ旅行したい→ではどのように費用を削るか?はたまた稼ぐか?

こんな感じですね。
これで常に一歩リードっていうことです。
はい、今からはじめましょう。



「運も実力のうち」とはどういうことか

公開日 2024/03/20

入試に運は付きものです。
大学受験の世界では、
「英語が受験校を決め、数学が合否を分ける」
と言われることがありますが、特に数学は解けるか解けないかで大きく点数に差がつきます。
数学でなくとも、例えば英語の文章で自分が知っている知識がそのまま出てきたら、文章を読まなくてもほとんど正解がわかってしまう(予想できる)こともあります。
今回は「運」について解説します。

「運も実力のうち」と聞いて何を考えますか?
多くの人は、(実力)=(自分がこれまでつけてきた力)×(0〜120%)
と捉え、(0〜120%)の部分を運と考えるのではないでしょうか。
100%の力を発揮できる時もあれば、80%、120%のときもある、ということです。
そしてこの運を不可抗力、自分では管理できないもの、と考えます。

「運」を変える

世界平和はとても一個人で叶えられるものではありませんが、
入試程度ならば運の操作は可能です。
「運」要素をひとつひとつ潰していきましょう。

全部勉強

実はほとんどの受験生ができていないことです。
皆全科目全範囲を網羅できずに本番を迎えます。
なぜかというと、
量を把握していない、多いので時間が足りない。
この二つです。
全部の勉強が完了していないので、勉強し終わったところが出題されるかしないか、という運要素が出てきてしまいます。
(勉強に終わりはありません)
例えば数学ならば、チャート式(青)やLEGENDのような網羅系参考書を制覇すれば、長大医学部だろうと満点が可能ですが、例題だけでも約1000題あり、これをスムーズに解けるように準備できている高校生はごく少数です。
その量を3年生になってから始めるとすごく大変です。

身体のメンテナンス

何よりもまず健康でなければ、高パフォーマンスを発揮できません。
試験当日風邪を引いていたから結果が悪かった、というのも実力です。
風邪が悪いわけではないです。
自分自身のメンテナンス不足です。
メンテナンスを怠らなければ、試験当日に体調不良となる確率は低く抑えることができます。
少し厳しいのではないか、と思われた方、もう少しお付き合いください。

自責思考と他責思考

運を管理できるかできないか、というのはすなわち、
自責思考と他責思考です。
自責思考とは、ある結果は自分によって起きたこと。
他責思考とは、ある結果は外部要因によって起きたこと、と捉えることです。
私はこの二つのうちどちらが良いと考えるのではなく、バランスが重要だと考えます。

いくらたくさん勉強して、どんな問題にも対応できるよう準備できるようにしたつもりであってもできないものは出てきます。
そんな時に自責思考ばかりでは精神が保ちません。
一方で、勉強していない問題ばっかりだったからたまたま不合格だった、としか考えないようではその人に成長はありません。

どちらに偏っても何かしら不具合が起きるということです。
何か最近同じようなことを書いた気がしますね。
できるだけ若いうちに、このバランス感覚を磨くのが良いのではないかと思います。

少し話が逸れましたが、
つまり運とは「ある程度」変えられると考えると良い、ということです。
自責しすぎるのも良くないが、
結果を受け、次はこの運要素を潰していこう、と考えられるのがその人の実力であるのです。

成長の早い人と遅い人

公開日 2024/03/13

入試結果が続々と出てきました。
今年も多くの合格報告が聞けてうれしく思います。
無事合格できた方、おめでとうございます!
次の目標へ向け前進していってほしいと思います。

残念ながら不合格だった人。
大学入試とはそういうものです。不合格者の方が多いのです。
しかし、これまで真摯に勉強してきたことは人生の糧となります。
無駄にはならないので安心してください。

どんな人が伸びるか

同じ期間勉強してきても、成果を出せる人と出せない人がいます。
そもそも勉強していない人は論外ですが、
本人たちは真面目にしているつもりでも、ときに大きく差が生まれます。
当塾生も例外でなく、1年でものすごく成績を上げる生徒もいれば、ほとんど偏差値の変わらない生徒もいます。
その差は一体なんなのか?

土台がある

一つ目は、基礎力のある生徒です。
ここで言う基礎力とは、
・漢字の読み書きに困らない
・計算が億劫でない
・勉強習慣がある
などのことです。
言い換えると、小中学生までで習うことを説明できるほど理解しているか、ということです。
例えば英単語テストで単語の意味を日本語で書く時、ひらがなを多用していることが多い生徒は要注意。
漢字を書けないことは、その言葉の意味の理解度に関わります。意味を理解していないと覚えることは難しくなりますからね。
高校生だろうと小中の内容を復習することは当然ありえます。

環境が良い

勉強できる環境を作る重要性はよく指導しています。
それに関する過去記事はこちら↓
意志1%、欲9%、

勉強習慣がない生徒は、その習慣が作られる環境にいない場合が少なくありません。
最も影響が大きいのは、友人や家族など周囲の人間ですね。
友人が遊びに行くならば自分も遊びに行くでしょうし、家族がダラダラと過ごしていれば自分もダラダラと過ごすのが自然です。そういう環境で自分だけ勉強というのは非常に難しいことです。
塾でもそれはかなり気をつけています。
少なくとも塾では勉強に集中するという空気を作っています。

(誤解のないように書いておくと、遊ぶとかダラダラするとかは好き勝手にやれば良いと思います。ただ受験という世界で負けてしまうだけです。)

行動が早い

最近これがもっとも大きいと感じています。
「速い」のも大事ですが、「早い」のがもっと大事。
早い話、人の指示を即日行動に移す生徒が最も早く成果を出します。
逆にごちゃごちゃと考えたり情報を集めているだけといった「賢いふり」をする人は最も遅いです。
すぐに行動して、すぐに自分から、または他人からフィードバックをもらうのが一番です。
生徒と話していると、行動の仕方から考える1年後の成績予想は比較的当たりやすいですね。

合わせすぎではないか?

公開日 2024/02/21

昨今は個人個人のニーズに合ったものがよしとされています。
車や家といった高額なものから、毎月定額のサービスまで、あらゆるものの選択肢が増えています。
Googleは検索結果を覚えて、その人が買いそうな商品の広告を表示しますし、YouTube等動画サイトはその人が興味のありそうな動画を次々に繰り出します。
塾も同様です。
一人一人に合った教材を選んだり指導をしてくれる塾の方が今は多いです。

今回の記事はそういうサービスを否定するものではありません。
私自身もそのようなものを提供しています。

ただ、世の中全体的にそちらに偏りすぎているのではないか、と考えています。

テレビの良さ

私自身はもう家にテレビは置いていませんし見ていませんが、
子どものころはもちろんよく番組を観ていました。
「どうぶつ奇想天外」とか好きでした。アニメもいくつか観ていました。
毎週決まって観る番組がある一方で、特に目的もなく観ているときもありました。
家族の誰かが点けていたのをそのまま見る感じですね。
朝のニュースや天気予報は、自分から観るというよりは親が観ているから自分も観ているんです。

つまりランダムな要素があるんです。
観ようとは思ってなかったけれど、観てみると面白くなって見続ける、ということもあります。
逆につまらないものもあります。
いろいろ観ていたら、その分少しずつ視野が広くなります。
この「観るつもりはなかったが見ることになった」ことで新しい世界を見つけることができるのが、テレビの良さだと思うんですね。

これが今や「観たいものだけをすぐ観れる動画の方が効率が良い」と言われるようになってしまいました。

バランス良く

これが間違いだというわけではありません。
しかし、「自分の観たいものだけが観れる」というのは「ランダムな出会い」が失われること、すなわち自分の生きる世界が狭くなることを同時に認めなければなりません。

おすすめの動画は基本的には似たジャンルのものばかり出てくるので、似たような動画ばかり観ることになります。
塾でたとえるならば、
その生徒に合わせたペースで指導、そして生徒が勉強することは、その生徒にとっては無理がなく「楽に」進んでいける反面、受験という観点ではいつまでたっても周りに追いつけない、ということでもあります。
今の自分よりも成績上位の世界が見えないわけですね。

言いたいのは、
「約束された出会い」と「ランダムな出会い」があるが、
世界が前者に偏っているということです。
だからときには効率の良さを忘れるのも大事だということです。
そもそも前者が効率が良いとは限らないのですが。

言霊を味方につけよう

公開日 2024/02/07

言葉というのはとても不思議な力を秘めています。

ほんの一言だけでも
ある人を元気づけたり、勇気を与えたり、
逆に悲しませたり、不機嫌にさせたり。

同じことを伝えようとしても、
「なんでそんなことするの?」と訊くのと
「そうした理由を教えてくれる?」と訊くのでは印象が違います。
もちろん人によっても受け取り方は違います。
私も生徒への言葉の掛け方には注意を払っていますが、
まだまだ力不足だと反省する日々です。

たかが言葉、されど言葉。

あなたの一言が、その人の人生を左右しているかもしれません。

言霊を敵に回してしまう人

普段使っている言葉を注意して聞いていると
その人がどのような環境で生活をしているかを知る大きな手がかりとなります。

常々書いている通り、人は環境によって行動の決まる生物ですので、その人の言葉は普段周りの人間が使っている言葉と似ていることが多いです。
そして、その言葉は未来の行動に大きな影響を及ぼします。
ヤンキー言葉を使っている人は行動がヤンキーみたいになっていきます。

何にでも言えます。
幼い頃から、「あなたは要領が悪い」
と言われて育った人は、そのまま要領が悪いままになってしまいます。
本人がそう思い込むわけです。
「自分はそういう人間だ。」と、無意識に刷り込まれます。

周りから「優しい子だね」
と言われ続けていると、本当に優しい子になります。
元々「優しい」のではなく、「自分は他人に対して優しい人間だ。」と無意識に思い込むから現実に優しい人間になるのです。

きっと身に覚えがあるはずです。

同様に、
良いペースで成績を上げてきていたのに、
入試本番で力を発揮できずに志望校を落とした生徒がいます。
1ランク上のA大学(本人が最も行きたい)を目指せるはずが、周囲から県内のB大学へ行けと言われ続け、それが現実になってしまったのです。

これが「言霊を敵に回した」結果です。


その影響力を知っているので、
普段の指導でも「言霊を味方につける」ことができるように振る舞っています。
来てくれるからには、生徒には挑戦する勇気を持ってほしいですし、将来活躍できる大人になってほしいと願うからです。
さらに、その元生徒たちが同じように勇気を与えられる指導者になってくれというのは少し欲張りでしょうか。

自称進学校だって?!

公開日 2024/01/31

「自称進学校」「自称進」

知らない方のために説明しておきます。
一般的には大学進学を目指す人のための高校を進学校と呼びますが、一部ネット上で、
「卒業生が大した大学へは進学していない高校」
「上記のようであるのに『すごい進学校』っぽさを出している高校」
というような意味で使われています。
その高校の生徒である人も、そうでない人も使っています。

「一部ネット上で」とは書きましたが、なんということでしょう。
現実世界でも使われていました。
これについて言いたいことがあります。

今すぐやめてほしい

このような言葉を使っているのなら、即刻やめましょう。
YouTubeやTiktokで自称進学校をネタにする人がいるのでその影響かなとも思いますが、
はっきり言うと恥ずかしいです。
特に自分で自分が通っている学校(または卒業した学校)のことをそう呼ぶのが恥ずかしいです。
そういう人の心理は99%、
「自分の実力のなさを学校のせいにしようとしている」
ですよね。

もちろん高校に全く非がない、ということはないと思います。
生徒の理解度を無視する授業スピードであったり、
課題が異常に多かったり、
拘束時間が長かったり。
それがなければもう少しランクの高い大学へ入れる(入れた)かもしれない。
そう思う気持ちもわかります。

しかし、そんなことばかり考える人にそもそも成長の余地はない。
高校へ入学する前に、いくらでも実態を調べられたはず。
課題が多かろうと、対処の仕方はいくらでもあるはず。
やろうと思えば、高校はやめることもできる。
通信制高校に入ることもできる。
法律で縛られているわけでもないので、環境は変えようと思えばいくらでも変えられる。

そんな行動力もなしに、「自称進」と口だけとは。

問題提起

上述したように、高校側にも問題点はあります。
少なくともネットでそのような意見が出るということは、それを解決する余地があります。
(もっと言うと、制度にも問題があるでしょう)
生徒側はほとんどが自分のための主張でしょうが、これを問題提起として捉えるとどう変えていくべきかが見えてくるのではないでしょうか。