常に一手先を行く考え方

公開日 2024/04/03

すでに皆さんご存知の通り、
現代、少なくとも日本国内では競争する必要性が以前より少なくなりました。
実際(今のところは)そんなに頑張らなくとも生きていけると思います。
ですが、格差が広がることはもう目に見えていますね。
また、いくら世界が豊かになっても競争が終わることはないでしょう。
少なくとも我々が寿命を迎えるまでは。
今日は競走で勝ち抜くための考え方の一つを紹介します。

新しいこと

を始めようとしたとき、何を考えるでしょうか?

〇〇大学を目指そう
今年は早起きして勉強しよう
資格取得に挑戦しよう
〇〇へ行きたい
〇〇が欲しい
・・・

願望は尽きないと思いますが、
多くの人は5秒後にこう考えます。

果たして自分にできるのか

心配ありません、正常です。
他にもいろいろと考え出します。

どれくらい時間がかかるのか
お金かかりそう
コスパ悪いかもしれない
そもそも自分には向いていないかもしれない
・・・

こうやって悩み始めますよね。
やらない理由を作り出します。
もう一度書きますがあなたは正常です。

ちょっと変えるだけ

これを少し変えるだけで、競争に勝てるようになる、と言ったら信じますか。
理屈はすごくシンプルです。
Simple is the best.

ではどう考えるか。

〇〇をしたい

どうすればできるだろうか?

これだけです。
何か欲しいもの、したいことがあれば、すぐさま
どうすれば手に入れられるか?
どうすればできるか?
を考え始めます。

多くの人は
まず先述のようにいろいろ悩んでから、どうしようかと考えはじめます。
その「悩む」過程を飛ばしてしまう。
ただそれだけです。
それだけですが、もうすでにスタート地点が違います。
「悩む」時間は様々ですが、1日のときもあれば1週間、1ヶ月なんてこともザラだと思います。
その時間分の差がつくということです。
こんなに簡単に差がつけられることはあるでしょうか。

あと40週間しかないが〇〇大学へ行きたい→ではどう勉強を進めると良いか?
予算が少ないが〇〇へ旅行したい→ではどのように費用を削るか?はたまた稼ぐか?

こんな感じですね。
これで常に一歩リードっていうことです。
はい、今からはじめましょう。



「運も実力のうち」とはどういうことか

公開日 2024/03/20

入試に運は付きものです。
大学受験の世界では、
「英語が受験校を決め、数学が合否を分ける」
と言われることがありますが、特に数学は解けるか解けないかで大きく点数に差がつきます。
数学でなくとも、例えば英語の文章で自分が知っている知識がそのまま出てきたら、文章を読まなくてもほとんど正解がわかってしまう(予想できる)こともあります。
今回は「運」について解説します。

「運も実力のうち」と聞いて何を考えますか?
多くの人は、(実力)=(自分がこれまでつけてきた力)×(0〜120%)
と捉え、(0〜120%)の部分を運と考えるのではないでしょうか。
100%の力を発揮できる時もあれば、80%、120%のときもある、ということです。
そしてこの運を不可抗力、自分では管理できないもの、と考えます。

「運」を変える

世界平和はとても一個人で叶えられるものではありませんが、
入試程度ならば運の操作は可能です。
「運」要素をひとつひとつ潰していきましょう。

全部勉強

実はほとんどの受験生ができていないことです。
皆全科目全範囲を網羅できずに本番を迎えます。
なぜかというと、
量を把握していない、多いので時間が足りない。
この二つです。
全部の勉強が完了していないので、勉強し終わったところが出題されるかしないか、という運要素が出てきてしまいます。
(勉強に終わりはありません)
例えば数学ならば、チャート式(青)やLEGENDのような網羅系参考書を制覇すれば、長大医学部だろうと満点が可能ですが、例題だけでも約1000題あり、これをスムーズに解けるように準備できている高校生はごく少数です。
その量を3年生になってから始めるとすごく大変です。

身体のメンテナンス

何よりもまず健康でなければ、高パフォーマンスを発揮できません。
試験当日風邪を引いていたから結果が悪かった、というのも実力です。
風邪が悪いわけではないです。
自分自身のメンテナンス不足です。
メンテナンスを怠らなければ、試験当日に体調不良となる確率は低く抑えることができます。
少し厳しいのではないか、と思われた方、もう少しお付き合いください。

自責思考と他責思考

運を管理できるかできないか、というのはすなわち、
自責思考と他責思考です。
自責思考とは、ある結果は自分によって起きたこと。
他責思考とは、ある結果は外部要因によって起きたこと、と捉えることです。
私はこの二つのうちどちらが良いと考えるのではなく、バランスが重要だと考えます。

いくらたくさん勉強して、どんな問題にも対応できるよう準備できるようにしたつもりであってもできないものは出てきます。
そんな時に自責思考ばかりでは精神が保ちません。
一方で、勉強していない問題ばっかりだったからたまたま不合格だった、としか考えないようではその人に成長はありません。

どちらに偏っても何かしら不具合が起きるということです。
何か最近同じようなことを書いた気がしますね。
できるだけ若いうちに、このバランス感覚を磨くのが良いのではないかと思います。

少し話が逸れましたが、
つまり運とは「ある程度」変えられると考えると良い、ということです。
自責しすぎるのも良くないが、
結果を受け、次はこの運要素を潰していこう、と考えられるのがその人の実力であるのです。

成長の早い人と遅い人

公開日 2024/03/13

入試結果が続々と出てきました。
今年も多くの合格報告が聞けてうれしく思います。
無事合格できた方、おめでとうございます!
次の目標へ向け前進していってほしいと思います。

残念ながら不合格だった人。
大学入試とはそういうものです。不合格者の方が多いのです。
しかし、これまで真摯に勉強してきたことは人生の糧となります。
無駄にはならないので安心してください。

どんな人が伸びるか

同じ期間勉強してきても、成果を出せる人と出せない人がいます。
そもそも勉強していない人は論外ですが、
本人たちは真面目にしているつもりでも、ときに大きく差が生まれます。
当塾生も例外でなく、1年でものすごく成績を上げる生徒もいれば、ほとんど偏差値の変わらない生徒もいます。
その差は一体なんなのか?

土台がある

一つ目は、基礎力のある生徒です。
ここで言う基礎力とは、
・漢字の読み書きに困らない
・計算が億劫でない
・勉強習慣がある
などのことです。
言い換えると、小中学生までで習うことを説明できるほど理解しているか、ということです。
例えば英単語テストで単語の意味を日本語で書く時、ひらがなを多用していることが多い生徒は要注意。
漢字を書けないことは、その言葉の意味の理解度に関わります。意味を理解していないと覚えることは難しくなりますからね。
高校生だろうと小中の内容を復習することは当然ありえます。

環境が良い

勉強できる環境を作る重要性はよく指導しています。
それに関する過去記事はこちら↓
意志1%、欲9%、

勉強習慣がない生徒は、その習慣が作られる環境にいない場合が少なくありません。
最も影響が大きいのは、友人や家族など周囲の人間ですね。
友人が遊びに行くならば自分も遊びに行くでしょうし、家族がダラダラと過ごしていれば自分もダラダラと過ごすのが自然です。そういう環境で自分だけ勉強というのは非常に難しいことです。
塾でもそれはかなり気をつけています。
少なくとも塾では勉強に集中するという空気を作っています。

(誤解のないように書いておくと、遊ぶとかダラダラするとかは好き勝手にやれば良いと思います。ただ受験という世界で負けてしまうだけです。)

行動が早い

最近これがもっとも大きいと感じています。
「速い」のも大事ですが、「早い」のがもっと大事。
早い話、人の指示を即日行動に移す生徒が最も早く成果を出します。
逆にごちゃごちゃと考えたり情報を集めているだけといった「賢いふり」をする人は最も遅いです。
すぐに行動して、すぐに自分から、または他人からフィードバックをもらうのが一番です。
生徒と話していると、行動の仕方から考える1年後の成績予想は比較的当たりやすいですね。

合わせすぎではないか?

公開日 2024/02/21

昨今は個人個人のニーズに合ったものがよしとされています。
車や家といった高額なものから、毎月定額のサービスまで、あらゆるものの選択肢が増えています。
Googleは検索結果を覚えて、その人が買いそうな商品の広告を表示しますし、YouTube等動画サイトはその人が興味のありそうな動画を次々に繰り出します。
塾も同様です。
一人一人に合った教材を選んだり指導をしてくれる塾の方が今は多いです。

今回の記事はそういうサービスを否定するものではありません。
私自身もそのようなものを提供しています。

ただ、世の中全体的にそちらに偏りすぎているのではないか、と考えています。

テレビの良さ

私自身はもう家にテレビは置いていませんし見ていませんが、
子どものころはもちろんよく番組を観ていました。
「どうぶつ奇想天外」とか好きでした。アニメもいくつか観ていました。
毎週決まって観る番組がある一方で、特に目的もなく観ているときもありました。
家族の誰かが点けていたのをそのまま見る感じですね。
朝のニュースや天気予報は、自分から観るというよりは親が観ているから自分も観ているんです。

つまりランダムな要素があるんです。
観ようとは思ってなかったけれど、観てみると面白くなって見続ける、ということもあります。
逆につまらないものもあります。
いろいろ観ていたら、その分少しずつ視野が広くなります。
この「観るつもりはなかったが見ることになった」ことで新しい世界を見つけることができるのが、テレビの良さだと思うんですね。

これが今や「観たいものだけをすぐ観れる動画の方が効率が良い」と言われるようになってしまいました。

バランス良く

これが間違いだというわけではありません。
しかし、「自分の観たいものだけが観れる」というのは「ランダムな出会い」が失われること、すなわち自分の生きる世界が狭くなることを同時に認めなければなりません。

おすすめの動画は基本的には似たジャンルのものばかり出てくるので、似たような動画ばかり観ることになります。
塾でたとえるならば、
その生徒に合わせたペースで指導、そして生徒が勉強することは、その生徒にとっては無理がなく「楽に」進んでいける反面、受験という観点ではいつまでたっても周りに追いつけない、ということでもあります。
今の自分よりも成績上位の世界が見えないわけですね。

言いたいのは、
「約束された出会い」と「ランダムな出会い」があるが、
世界が前者に偏っているということです。
だからときには効率の良さを忘れるのも大事だということです。
そもそも前者が効率が良いとは限らないのですが。

言霊を味方につけよう

公開日 2024/02/07

言葉というのはとても不思議な力を秘めています。

ほんの一言だけでも
ある人を元気づけたり、勇気を与えたり、
逆に悲しませたり、不機嫌にさせたり。

同じことを伝えようとしても、
「なんでそんなことするの?」と訊くのと
「そうした理由を教えてくれる?」と訊くのでは印象が違います。
もちろん人によっても受け取り方は違います。
私も生徒への言葉の掛け方には注意を払っていますが、
まだまだ力不足だと反省する日々です。

たかが言葉、されど言葉。

あなたの一言が、その人の人生を左右しているかもしれません。

言霊を敵に回してしまう人

普段使っている言葉を注意して聞いていると
その人がどのような環境で生活をしているかを知る大きな手がかりとなります。

常々書いている通り、人は環境によって行動の決まる生物ですので、その人の言葉は普段周りの人間が使っている言葉と似ていることが多いです。
そして、その言葉は未来の行動に大きな影響を及ぼします。
ヤンキー言葉を使っている人は行動がヤンキーみたいになっていきます。

何にでも言えます。
幼い頃から、「あなたは要領が悪い」
と言われて育った人は、そのまま要領が悪いままになってしまいます。
本人がそう思い込むわけです。
「自分はそういう人間だ。」と、無意識に刷り込まれます。

周りから「優しい子だね」
と言われ続けていると、本当に優しい子になります。
元々「優しい」のではなく、「自分は他人に対して優しい人間だ。」と無意識に思い込むから現実に優しい人間になるのです。

きっと身に覚えがあるはずです。

同様に、
良いペースで成績を上げてきていたのに、
入試本番で力を発揮できずに志望校を落とした生徒がいます。
1ランク上のA大学(本人が最も行きたい)を目指せるはずが、周囲から県内のB大学へ行けと言われ続け、それが現実になってしまったのです。

これが「言霊を敵に回した」結果です。


その影響力を知っているので、
普段の指導でも「言霊を味方につける」ことができるように振る舞っています。
来てくれるからには、生徒には挑戦する勇気を持ってほしいですし、将来活躍できる大人になってほしいと願うからです。
さらに、その元生徒たちが同じように勇気を与えられる指導者になってくれというのは少し欲張りでしょうか。

自称進学校だって?!

公開日 2024/01/31

「自称進学校」「自称進」

知らない方のために説明しておきます。
一般的には大学進学を目指す人のための高校を進学校と呼びますが、一部ネット上で、
「卒業生が大した大学へは進学していない高校」
「上記のようであるのに『すごい進学校』っぽさを出している高校」
というような意味で使われています。
その高校の生徒である人も、そうでない人も使っています。

「一部ネット上で」とは書きましたが、なんということでしょう。
現実世界でも使われていました。
これについて言いたいことがあります。

今すぐやめてほしい

このような言葉を使っているのなら、即刻やめましょう。
YouTubeやTiktokで自称進学校をネタにする人がいるのでその影響かなとも思いますが、
はっきり言うと恥ずかしいです。
特に自分で自分が通っている学校(または卒業した学校)のことをそう呼ぶのが恥ずかしいです。
そういう人の心理は99%、
「自分の実力のなさを学校のせいにしようとしている」
ですよね。

もちろん高校に全く非がない、ということはないと思います。
生徒の理解度を無視する授業スピードであったり、
課題が異常に多かったり、
拘束時間が長かったり。
それがなければもう少しランクの高い大学へ入れる(入れた)かもしれない。
そう思う気持ちもわかります。

しかし、そんなことばかり考える人にそもそも成長の余地はない。
高校へ入学する前に、いくらでも実態を調べられたはず。
課題が多かろうと、対処の仕方はいくらでもあるはず。
やろうと思えば、高校はやめることもできる。
通信制高校に入ることもできる。
法律で縛られているわけでもないので、環境は変えようと思えばいくらでも変えられる。

そんな行動力もなしに、「自称進」と口だけとは。

問題提起

上述したように、高校側にも問題点はあります。
少なくともネットでそのような意見が出るということは、それを解決する余地があります。
(もっと言うと、制度にも問題があるでしょう)
生徒側はほとんどが自分のための主張でしょうが、これを問題提起として捉えるとどう変えていくべきかが見えてくるのではないでしょうか。

他人から学ぶことの難しさ

公開日 2024/01/24

「まさか自分がそうなるとは思わなかった。」

一度は苦い思いをしたことがあるでしょう。
「まさか自分が騙されるとは思わなかった。」
「まさか自分がこんな災害に遭うとは思わなかった。」
「まさか自分が試験に落ちるとは思わなかった。」

人間誰しも、他人から見聞きしただけのことは「他人事」(ひとごと)です。
自分のこととは考えもしない。
自分の身に降りかかって初めて理解します。
嗚呼、こういうことだったのだな、と。
後悔するのです。

変えられるのは未来だけ。
過去を悔いても変わりません。
「他人事」だったことが起きてしまったら、今後同じようなことが起きたときにどのように対処するかを考えたら良いのです。
また不利益を被りたくはないですよね。
ならばまずは少なくとも、

「他人に起こったことは自分にも起こりうる。」

と胸に刻んでください。
それだけで解決するわけではありません。
解決するならば我々が習う歴史は全く違うものであるはずです。
また「まさか」を繰り返すことはほぼほぼ間違いありません。
しかし、少し「自分のことであると思う」だけでも回避できる失敗はいくらでもあるはず。

「自分も詐欺に遭うかもしれない。」
「いつ地震が来てもおかしくはない。」
「共通テストで数学Ⅰを解いてしまうかもしれない。」

悲観的になれと言うのではなく、
他人事だと考えるのをやめよ、ということです。
自分が経験できるのは一人分の人生だけなので、そこから学べるのは一人分だけ。
他人というのは70億とは言わずとも、周りの100人が経験したことから学べば、100倍の知見が得られるのです。
これが歴史を学ぶ意義の一つです。

カンニングの責任は大人にある

公開日 2023/12/13

カンニング
[名](スル)《ずるい、の意》試験のとき、隠し持った参考書や他人の答案を見るなどの不正行為をすること。「—ペーパー」  goo辞書

一度は見聞きしたことがあると思います。
私は中学生の時にカンニングされた(されそうになった?)ことがあります。
定期試験の時に隣に座っていた男子生徒が明らかに不審な動きをしたので、
「見せてたまるか!」と、悟られないようできるだけ自然な動きで自分の答案用紙を隠しました。
当時はなんでそんな格好悪いことするかな、くらいにしか考えていませんでしたが、
いろいろな生徒を指導してきて一つわかったことがあります。
それは、
カンニングをする生徒は過程を重視していない、楽しめていない。
そしてその原因は、
結果にしか目を向けようとしない周囲の大人にある
ということです。


わかりやすい例で言えば、
テストが返却され、生徒がそれを親に見せた時。
「なんでこんな点数なの?!」
「もっと勉強しなさい!」
こういうのは最悪です。
そう言われて勉強する子どもはいません。
むしろもっとしたくなくなりますよね。
「せっかくがんばったのに・・・」

そして、その子どもはどのように考えるようになるかというと、
「点数が良ければ褒められる。点数が悪ければ怒られる。点数さえ良ければ怒られることはない。」
悪い意味での結果主義になってしまいます。
カンニングとは、大人の期待に応えようとした子どもの努力です。
悲しいことにそれもまた、否定されてしまいます。
「どうしてカンニングなんかしたの!」


結果なんて放っておいても誰かから評価されます。
いやでも評価されます。
試験勉強をがんばった。
数学は苦手だができるだけのことはやろうとした。
そういう過程を讃えられる、労えるのは、親をはじめとした周囲の大人だけです。

全教科勉強せよ

公開日 2023/11/15

期末テストシーズンです。
定期テストの準備をしっかり行うことは、
その先の入試への成功の鍵となり、ひいては社会人になってからの仕事にも影響を与えます。
準備ができる人間になりましょう。

5教科さえやれば良い

とか思っているそこのあなた。
三流、いや、それ以下です。
定期テストは全教科勉強しましょう。
音楽も保健体育も技術家庭科も、全部です。
副教科はしないとか、理数系しかしないとか、そんなことをしていると視野が狭くなります。
(そもそも「副教科」って変ですね)

すべては繋がっている

国語は国語、数学は数学、音楽は音楽
などと考えていませんか。
もう少し詳しく書くと、
音楽の時間に勉強することは音楽でしか使えない、そういうふうに思っていませんか。
否!
そんなことはありません。
音楽は数学や物理にも密接に関わっています。
12の音階は、振動数が公比2の12乗根の等比数列ですし、振動数は物理で習いますね。

何が言いたいかというと、
国語とか数学とか音楽とかいう「科目」というのは、学生が習いやすいように、もしくは教員が教えやすいように人為的に区分されたものにすぎない、ということです。
わざわざ分けて教えている、ということです。

これは仕方のないことです。
このように科目分けしないと、一定基準の教育を行うのが目的の学校は成り立たないでしょう。
レストランのチェーン店にマニュアルがあるのと一緒です。
マニュアルのおかげで、レストランやファストフード店では全国どのお店でも安心して同じ味が食べられます。

話を戻すと、
科目を限定して勉強していると、そのような繋がりに気づけないわけです。
だから、勉強しても将来使わない、と世界が狭くなってしまうのです。
勉強すれば、世界がより鮮やかに見えるわけです。

ゆえに、全教科勉強。

最後にもう少し。
ノートに書くだけが勉強ではありません。
散歩しながら理科の勉強はできますし、スーパーへ買い物について行けば家庭科の勉強もできます。
それが勉強でないと思うのは、それこそ視野が狭い証拠です。



気持ちがあるから行動できる??

公開日 2023/11/08

なかなか体調不良者が減りません。
学校の方もちょっと風邪かなんかが流行ったりと落ち着きませんね。
かからないように予防する、他人にうつさないようにする。
受験生は人生かかってますからね。
コロナで得た教訓を思い出して。

さて今回のテーマは「気持ちと行動」です。
先に結論を書きます。
「気持ちがあるから行動する」
のではなく
「行動に気持ちがついてくる」
です。

三日坊主

人はなにかしらの行動を取ろうとする時に、その理由を求めがちです。
なんで勉強しないといけないのか。
みたいにですね。
疑問をもつことはすごく良いことですが、
そんなことを考えて考えて全く行動しないようでは何も進歩がありません。

気持ちも理由の一つになります。
〇〇大学に行きたいから勉強する。
〇〇さんが好きだからアプローチする。
間違ってはいません。
ただ気持ちって、続かないんですね。
無理やり気持ちを維持しようとするから「三日」で終わるわけです。

Don’t think,Feel!!

続けられるようにするには、
先に行動します。
行動することで、気持ちが作られていきます。
そしてその気持ちがまた次の行動を促すのです。

志望大学に行きたいのであれば、その大学に相応しい人の行動をとる。
徐々にそうなっていくのではありません。
最初から合格者のつもりで行動します。
例えば、過去問は実力がついてから解くのではなく、初っ端に解く。
もちろん初めはほとんど解けないでしょうが、
実際どのような勉強をすべきかが見えるでしょう。
志望大学の赤本が机に置いてあるだけでもモチベーションになるはずです。
文房具についても、合格者に相応しいものを使います。
今時、成果を出す人でぼろぼろの道具を使っている人はいません。
(単語帳やノートはぼろぼろかもしれませんが)
いかにも消しにくそうな、柄物の消しゴムとか使っていませんか。
使っているのを見るだけで察しがつきます。
普段使うものは良いものにしましょう。
このように行動していけば、いつの間にかもっと勉強するようになっています。

スポーツだって同じです。
初心者用の道具を使うようでは強くなれません。
初めから上手い人と同じものを使って練習。
初めから強者のように振る舞うんです。
よくありますよね、入門用って書いて安価で売られています。
それを使っていると、いつまでも気持ちは初心者のままです。
良いものを使っていると、それに相応しくなるために強くなろうという気持ちがはたらきます。