「無料」の奴隷

公開日 2023/05/31

現代は素晴らしい時代です。
スマホなどの携帯端末とネット回線があれば、さまざまな娯楽がいつでも楽しめます。
一昔前はゲームといえば専用ハードを買った後、1本5,000円は下らないソフトを買って楽しんでいました。
今はダウンロード無料、多くのゲームは課金をしなくても満足に遊べます。
YouTubeなどでは0円でほとんど無限に出てくる動画を見続けることができます。
SNSを使えば0円でメッセージのやり取りや電話ができます。
どれだけ貧乏だったとしても、暇つぶしには困りませんね。

もし働かなくても生きていけるならば?

生徒にこんな質問をしたことがあります。

働かなくても良いならば、働きますか?働きませんか?

先に言いますが、良い悪いという話はしません。
その生徒は、働かないと答えました。
理由はおそらく、自分がやりたいことをやるから、だと思います。
学校に通っていると、ある程度行動が制限されるのでそのような考えになるのは不自然ではありません。好きなことをやりたいと思うのも自然です。
皆さんはどうでしょうか?

科学がもっと発達していけば、それこそ人工知能が進化していけば、そう遠くない将来、
人類は働かなくとも生きていける時が来るかもしれません。
では仮に働いても働かなくても良くなったとして、
皆さんどのように過ごすでしょうか。
働かなくても良い、というのはつまり、
無料で住むところ、食べるところが提供される(0円でなくとも格安で)ような状況です。
お腹が空いたら食べたいものを誰かが(もしくは機械が)作ってくれ、
一日中家でゴロゴロして動画を観ていても誰も文句は言いません。
もちろん、死ぬ時が来るまで。

こういうことを言うと、
中学生たちはそれでいい!と喜ぶかもしれません。
動画をずっと観てたら家族に怒られるでしょうが、お腹が空いたらお父さんお母さんが料理を作ってくれますし、いつでもどこでもスマホで遊べるし友達と話せますからね。本当は誰かがお金を払っているんですが、ネットはタダで使えるようなもので天国かもしれません。

しかし、それは想像力が足りませんね。
一日中好き勝手できるとして、それで何日持つでしょうか。
1ヶ月くらいならば、悠々自適に暮らせて幸せだと思います。
ただ、そんな生活が1年、2年、10年と続けることができるでしょうか?

なぜ自由を求めるのか考えましょう。
それは一定の束縛があるからです。
都合がいいもので、束縛があれば自由を求めるし、自由すぎるならば束縛を求めるんです。
そういうものです。
動物の絵を描いて、と言われるより
何でもいいから絵を描いて、と言われる方が困りますよね。
ある程度束縛が必要です。

「無料」のものばかり消費していると

タダで手に入る、というのは言い換えると束縛がない、ということです。
これから先、人類を束縛するものはますます減っていきます。
すると、今度はその手放そうと必死になった束縛を求めようとします。
具体的には、例えば勉強する場や働く場を求めるということです。
しかし、束縛されるものがあまりなくなった、つまり働く必要があまりないので、働きたいと思っても働けません。
皆同じことを考えるので、少数の働き口に大多数の人々が押し寄せます。すなわち、競争が生まれます。
ではその競争に誰が勝利するかと言うと、束縛されていた、もしくは自らを束縛していた人々です。
「無料」を消費し続けた人々には、競争に勝てる力などないからです。
「有料」を消費する人々は競争に勝ち、さらに能力を高めていきます。
「無料」ばかり消費する人々は、そのまま「無料」のものを消費し続けることになるでしょう。
競争しなければ良いという意見もあるかもしれませんが、比較するのが性の人間にそのようなことができるでしょうか。
対価を得ようとする労力と何もしないことを天秤にかけて、何もしないことを選び続けることほどつまらないことはないと思いますね。

私の想像の世界にお付き合いいただきありがとうございます。
将来のことのように書きましたが、現在すでに起こっていることでもあります。

説明力をつけよ

公開日 2023/05/03

なぜ数学を勉強しなければならないのか。
なぜ国語を勉強しなければならないのか。

皆そんな疑問を抱くことがあると思います。
たしかに、将来高校数学の三角関数を使って仕事をする人は少ないかもしれません。
英語を習ったところで一生日本語しか使わない人もいるかもしれません。

今回は、学校で習うことが将来どのように役立つのか、
一つの大事な例を挙げます。

富士山は本当に高い山なのか?

99%の人は知っているでしょうが、富士山は日本で最も高い山です。
標高3776m。
島原半島の平成新山でも1483mですし、近所の山ならせいぜい数百mですから、見たことがなくても相当高い山であることはわかります。
ちなみに私は10年ほど前の9月に登りましたが、8合目付近で暴風が吹き荒れていたのでやむなく引き返しました。

さて、この富士山ですが、
本当に「高い」山なんでしょうか。
事実、日本国内では最も高い山です。
しかし、世界へ目を向けると富士山より高い山はいくらでもあります。
エベレスト(8848m)をはじめとしたヒマラヤ山脈には8000m超えの山がいくつも存在します。
この山々と比べると、富士山は「高い」というよりむしろ「低い」山ですね。

なぜこうなるかというと、
高さの基準が異なるからです。
我々は身の回りの数百mの山を基準に、富士山を「高い山」と表現します。
しかしこれがネパール人だと、ヒマラヤを基準にして考えるので、富士山は「低い山」となります。

ひとりひとり基準が違う

Aさんが高いと思っているものでも、Bさんにとっては低いことがあります。
このように、高い低いとか、大きい小さいといった(形容詞ですね)表現は、使う人によって変わってしまいます。
これが、話が通じない原因の一つになります。

先日塾の中学生が、学校の宿題がめっちゃ出た(から塾の宿題はしたくない)と言う話をしていたのですが、「めっちゃ」ってどれくらいなん、と詳しく聞いてみると私の感想としては大した量ではありませんでした。
(だからがんばってね)

もし疑問を抱かずにこんな会話を将来してしまうとどうなるか。

あなた「この掃除機すごいんですよ!めっちゃゴミ吸います!!めっちゃ汚れているカーペットでもめっちゃ早くきれいになるんですよ!!!」
お客さん「ダ○ソンで十分です。」
あなた「!?!?」

「めっちゃゴミ吸う」というのはあなたの感覚でしかないので、お客さんには1ミリも伝わりません。

あなた「今お客様が使われているダ○ソンの掃除機ありますよね。それ以前僕も使っていたんですよ。すごく良い製品ですよね〜。でもですよ、ここだけの話なんですけど、もっとすごいのあるんですよ。これ。うちの新製品です。いや、自分の会社のものだからってわけじゃないんです。これ、その掃除機の2倍の早さで掃除終わるんですよ!ほんとに。まだ小さいお子さんいらっしゃいますよね?カーペットにスナック菓子こぼしちゃった、なんてことあると思うんですよ。この掃除機どれくらいで全部吸っちゃうと思います?10秒ですよ10秒!ダ○ソンのだと20秒、いや30秒はかかっちゃうじゃないですか!すごくないですか?」

って長々書いてしまいましたが、この方が掃除機の良さは伝わると思います。
(ダ○ソンの掃除機が悪いわけではありません。申し訳ございません。)
「めっちゃ」というのはその人の感覚ですが、「2倍」とか「10秒」などは人によって変わるものではありません。だから通じやすいということです。

このような、他者へ伝えるという点は学校での学習で十分習得することができます。
特に高校数学は、解答を得るまでの過程をひとつひとつ説明をしていきますよね。
なぜこうなるか、を相手に伝えるつもりで解答は書かねばなりません。
数学だけでなく、国語や英語は自分の考えを正確に伝える語彙力を養います。
説明する力があるだけで、社会では重宝されます。

勉強したくないなら働けば良い

公開日 2023/04/26

現在日本国内には国公立私立合わせて約800の大学があります。
ネットと情報機器の普及、特にYoutubeによって、それらの大学の内部事情や存在価値が議論される機会が増えました。私立大学の約半数は定員割れであることはニュースにもなっていましたね。一部の大学では中学レベルの講義をしているところもあるようです。詳しく知りたい方は動画検索してみてください。
文部科学省調査によると18歳人口は減少する一方、大学入学者数は微増しています。
大学進学率が上昇しているということです。

え、大学行くの?

世の中いろいろな人がいますが、学校の勉強がいやでどうしてもしたくない、と言う人もいます。
したくないというわけではないがどうしても苦手と言う人もいます。
これを読んでるかは知りませんが、そのような人へ。

働けばいいじゃん

と私は思います。
なぜそんなに辛いのに高校まで行って、人によってはわざわざ大学まで行って、
人生で最も貴重な10代を過ごしてしまうんですか。モッタイナイ。
特に将来何もしたいことがない人も一緒です。
何もないなら何でもいいから働いてお金稼げば良いのではないでしょうか。
わざわざお金を払って学校へ行かなくても良いのではないでしょうか。

大学へ行かないと将来が不安?

大学へ行ったからと言って将来安泰かと言うと、
全くそんなことはありません。
高卒よりも大卒の方が給料が良いという理由で進学する人もいますが、
ではなぜ大卒の方が良いのでしょうか?
一つはその会社の給与体系が学歴を基準としていること。
もう一つは大卒がその専門知識を活かして仕事をしていること。
さらに、大卒の方が期待が大きいこと。

一つ目は規模の大きな企業ほどしっかりしたものがあるので必然的に高卒よりも給料は高くなります。
仕事の中身など問わず、とにかく大企業が良いというのならば大学へ進学すべきです。
公務員も同様です。
二つ目は特に理系ですね。開発職や研究職など。代えのききにくい人材なので高給です。
ただ専門職は、勉強したくない人がなるものではないので論外。
三つ目は人の主観です。大卒の方が優れているだろうと。
これは皆が持っている偏見です。しかし世間では、大学へ通うことの意義に関して疑問を呈する人々が以前よりも増加しています。この先果たして、大卒だからと言って高卒よりも優遇してもらえるでしょうか。
時代はどんどん変わっています。

こうして見てみて、
大卒なら無条件で収入が上がるかと言うと、別にそのようなことはありません。
そして、あなたはそんなに収入が必要ですか?

選択肢

私は大学へ行くなと言っているわけではありません。
思考停止で大学進学を選ぶなと言っています。
目的がないのに、皆が行っているからという理由で行っても良いことはありません。
(特に、前述したような定員割れの大学。全部ではないです)
とりあえず、と行っても大学の勉強がわからない、またはそもそも大学でレベルの低いことしかしないとつまらないです。
ただなんとなく通うだけ、なんとなく遊んでバイトして終わる生活になります。
中には中退してしまう学生もいます。
若い時にそんな無駄な時間を過ごさず、有り余った体力で働いた方が本人のためですし国のためにもなります。
(労働力の搾取には気をつけるべきですが)
学校で勉強するよりも活躍できるかもしれませんよ。
私は中卒でも悪いと思いません。

働きたくない?
それはおそらくあなたがまだ働くということを理解していないだけです。


リスクを取らねばリターンはない

公開日 2023/03/29

リスクとは

英単語で「risk」を調べると
「危険」という意味が出てきて、
なんとなくマイナスのイメージがあります。
だから、リスクはできるだけ取らない方が良いもの、と捉えがちです。

しかし、リスクは悪いものではありません。
広い意味では皆さん日頃から何らかのリスクを負ってます。
時間を投下する、というのは誰しもが負っているリスクです。
遊びに時間を投下して楽しもうとする。
仕事に時間を投下して稼ごうとする。

今回はこのように、
リスク(費用)を負ってリターン(報酬)を得る、
というふうに考えてください。

リスクの分だけリターンも上下する

例えば、
レストランに食事に行くとします。
一般的には予算が高ければ高いほど、美味しいもの、希少価値の高いものを食べることができます。
3000円で食べ放題の焼肉屋よりも8000円のコースがある焼肉屋の方が、やっぱり肉は美味しいです。
(私は舌がバカなのでなんでも美味しく感じるのですが)
しかし、同じ金額を払ったとしてもある人にとって得られる価値は異なります。
また、同じ金額でも得られる価値はレストランによっても違います。
3000円払ったとしても、2000円に感じることもあれば5000円の価値があったと感じることもあるでしょう。
3000円というリスクを負っても、3000円のリターンが得られるとは限らない、ということです。
ただ、3000円を払うよりも8000円を払う方が、得られるリターンが大きくなる傾向があるのは確かです。

つまり、大きなリターンを得るには大きなリスクを取らないといけません。
これだと分かりにくいかもしれませんので具体例を挙げます。


入試に合格したいならば

合格というリターンを得たいならば、それなりの時間や費用を投入せねばなりません。
勉強時間を増やす、塾へ通う、参考書を購入する、ということです。
勉強時間というリスクを取っていないのに、実力よりも上の学校に合格するはずがありません。
もちろん、勉強時間を増やしたからと言って必ずしも合格するわけではありません。
費用の高い塾に通ったからと言って必ずしも学力が上がるわけではありません。
8000円の焼肉屋に行っても5000円にしか感じられないこともあるのと似ています。

お金を稼ぎたいのならば

塾生にもよくお金を稼ぎたいという人がいますが、
それなりのリスクを負う必要があります。
人よりもたくさん働く、
人よりもたくさん勉強する、
最低これくらいはいるでしょう。
8時間労働週休二日でお金持ちになりたいなんて舐めてます。
(本人の欲などをよくよく聞いてみると、実はそんなにお金は必要なかったりします)

スポーツで結果を残したいなら

やっぱり練習時間を投入しないといけません。
よい道具を使ったり、メンテナンスも必要があります。
中学生高校生にはこれが一番分かりやすいでしょうか。
部活の方へ力を入れるのであれば、勉強の方はおろそかになってしまうのも仕方ありません。
両立というのは夢で、実際はどちらも中途半端です。
(物はいいようです)
どのようにリスクを取るのかは、各々の自由です。



リスクとリターンという考え方を持っておけば、
楽して〇〇できる、に騙されることも減りますし、
リスクに対するリターンが明らかに低いくじなどにお金を費やすこともなくなります。
人生の取捨選択が上手になる、ということです。

「書いて覚える」は本当に非効率なのか?

公開日 2023/03/01

卒業おめでとうございます。
そして国公立大学前期試験お疲れ様でした。
それぞれ様々な思いがあるでしょうが、冷静に自分を見つめて進路を決めてもらいたいと思います。
この日のために努力してきたことは決して無駄にはなりませんし、将来、いつかは分かりませんがあの時勉強しておいて良かったと思える日が必ず来ます。
私も何度もそう感じましたからね。

今日は覚えることについてです。
英単語を覚えるというのは多くの中学生高校生の悩みです。
その証拠にネット上の記事や動画サイトには「英単語を〇〇日で〇〇個覚える方法」みたいなのが山のように出てきます。
特に最近、それらの記事や動画で主張されているのが、
「書いたら時間がかかるから非効率」
というものです。
目で見たり声に出したりすれば、書く時間でその3、4倍勉強できる、繰り返すことができる、というものです。
この主張自体は間違っているとは思いません。
理に適っていますし、私も高校生の時は書いて覚えることはほとんどしていませんが単語帳一冊1900個の単語はちゃんと覚えられました。

ただ、このような情報を鵜呑みにしたら危ないですよ、
という警鐘を鳴らす記事を書いておきます。

そもそも、書くよね

みなさんが受ける定期テストや入試はすべて択一式ですか。
ほとんどは、解答用紙にペンで記入しますよね。
単語の綴り、書きますよね。
普段全く書いて練習していない人が、本番突然書けるようになりますかね。
なるわけないですね。

これは漢字と同じです。
近年は特に紙に書くという動作は減ってきているので、漢字は読めるけど書けないっていうこと、多いのではないでしょうか。(大人の方もそうですよね。)
英単語も、書いてあったら意味はわかるけれど、自分で書くとなると、
あれ、ここeeだっけ?eaだっけ?みたいなことが起こるわけです。

これから先、
試験がキーボード入力や音声入力に置き換えられない限りは書いて練習する必要があるわけですが、
しかしやはり書いて覚えるのは時間がかかります。
そこで参考のために私の経験を書きます。

なぜ高校生の時に単語帳まるまる一冊(英→日、日→英、綴り、発音)覚えられたかというと、最も大きな理由は、
中学の時にたくさん書いて覚えたからです。
詳しく書きます。
中学生の時は、毎日最低ノート1ページは英単語の練習をしていました。確かそれが宿題になっていた気がします。
1ページとは言っても、英語用の13行または15行のノートなのでそんなに多い量ではありませんが、発音と意味を確認しながら丁寧にやっていました。
ここが一つのポイントです。

発音と意味を確認しながら書く

書く練習と言われたら、本当に書いているだけの人、いますよね。
当然それではただの作業になりますから、時間がかかるだけになります。
音を出さなくても口を動かしたり、頭の中で唱えたりして、
発音と綴りを叩き込んでいく感じです。
つまり、指先と口と脳を連動させるイメージです。
声に出したら耳も使います。

常にそのような練習をしていたら、どう変化していくかというと
発音と綴りがリンクされていきます。
この綴りならばこう発音することが多い、とかこの発音ならこう綴る、というように。
それがわかるようになっていきます。
中学卒業時には多くの単語は綴りを見るだけで発音が予想できるようになっていました。

そして高校生ですが、
高校の教科書で、中学までは掲載されていなかった発音記号の存在を知ります。
(今は中学の教科書にも載っています。当時もそうだったのでしょうか。)
この記号を読めるようになったら、いちいち発音調べなくて済むようになると気づいてから、先生の発音や音声を聞くたびに、「この記号はこんなふうに読むのか」と勉強していきました。
発音記号について特に集中的に勉強したわけではありませんが、日々そんなことをしているうちにほとんどわかるようになりました。

まとめ

・中学生の時に発音と綴りの関係を、書くことで感覚として習得していった。
・高校生になってから発音記号を覚え、上記をより容易にできるようになった。

これらの下地を作っていたからこそ、
大学受験生時には英単語をほとんど書かずして覚えられた、
と分析しています。
つまり、私にとっては書いて覚える練習は役に立ち、効率的に覚えられたということです。

書いて覚えるのは非効率だと断定的に言えるものではない、
ということです。

何のために予想するのか

公開日 2023/02/22

この時期になると、日本中の杉の木を伐採したくなる花粉症歴12年のタナカです。
花粉症ほど自分がならないと辛さがわからないものは少ないと思います。
鼻水が出る、目が痒くなる。
字面ではそんなにひどいものではなさそうに見えるところがポイントです。
症状のない方は、大したことないんじゃない?って感じに接すると恨まれるのでご注意ください。
この時期に受験っていうのも辛いですね。
受験生は耳鼻科に行って万全の対策で試験に臨んでください。

さて、国公立大学の前期試験が2/25ですが、
こういう試験前というのは様々な憶測が飛び交います。
3年連続で〇〇は出題されたから今年は出ない、△△が出るとか
問題を作成する教授が変わったから〇〇は出ない、とか。

予想してどうする?

サッカーの勝利チームを予想する。
いつ地震が起こるのかを予想する。
株価が上昇するか下落するか予想する。
いろいろな予想がありますね。
何のために予想しますか?
もちろんエンタメとして楽しみたいのであればそれで良いと思います。
しかし、勝つために予想をしているならば、
それではたまたま勝つことはあってもほとんどは負けるでしょう。

その予想は統計に基づいたものでしょうか。
サッカーとか野球とか、これまでのデータを用いてどちらのチームがどれほどの確率で勝つかを数字で表すことはできます。
ですがそういうのは統計を真剣に勉強した人か、企業が大量のデータを集めて分析してやっとできることです。
世の中の人の予想のほとんどは、「あてずっぽう」です。
そんなわれわれ素人が勝てるはずはありませんね。

テストでも同じで、
予想して当たるなんてまずないと思ってください。
つまり、〇〇が出るかもしれないからそこに山を張ろう、っていうのは間違っています。
自分から負けに行くようなものです。

予想とは、準備のために行うものです。
当てるためのものではありません。
「2023年の4月に人類が滅亡する」(?!)と予想するのなら、
地下シェルターを作るなり地球脱出を試みるなり(?!)用意をすれば良いのです。
「南海トラフ地震が起きる」と予想するのは、
非常食を用意したり避難経路を確認したり準備する時間を作るためです。
当たるか当たらないかはあまり重要ではありません。
未来のことなど誰もわからないからです。

試験でも一緒で、
例えば大学によって出る問題の種類は多少異なりますから、傾向を掴んで準備をします。
しかしそれは、最近あまり出ていない単元の勉強をしない理由にはなりませんね。
可能性が少しでもあるのならやるべきですし、そのような準備をした人が余裕を持って勝つことができます。
なぜなら、皆が面倒くさがるからです。
(もちろん戦略として勉強するものを絞ることも大事ではあります)

〇〇は3年連続で出題されているから今年は出されない、というのは、
サイコロで6が3連続で出たから次は6は出ない、
と言っているようなものです。

点数を目標にしても良い?

公開日 2023/02/08

あと1週間ほどで中学も高校も学年末テストがはじまります。
生徒の皆さんは学習は進んでいるでしょうか。

Before everything else,
getting ready is the secret of success.

「成功の秘訣は、何よりもまず準備をすることだ。」

アメリカの自動車会社フォードを創業したヘンリー・フォードの言葉です。
これまでに、十分準備ができた、という状態でテストに臨んだことがあるでしょうか。
100%は難しいです。
しかし90%の準備はできると思います。
中学生なら95%できます。
1科目でもないのなら、まだまだ改善の余地があります。

テストとなると、結果、つまり点数に目が行きがちです。
そもそも点数は何のためにあるでしょうか?
「前回より5点上がった」とか
「10点下がったから子どもを怒る」
のようなことをしてしまっていないでしょうか。
非生産的です。

例えば、
前回のテスト→小学生レベルのテスト
今回のテスト→大学受験レベルのテスト
だったとして、
「30点下がった」と落ち込みますか。
いや点数が落ちるのは当たり前でしょ、って思いますよね。

しかしこれが2学期の期末テストと学年末テストになると、気づかずに下がった上がったと評価してしまうことがよくあるんです。
異なる問題のテスト間で点数の評価をしても意味がないということです。

テストの点数というのは、
そのテストの試験範囲の学力を客観的に判断する材料です。
テストを作成した先生側はどの生徒がどれほどの学力を持っているか比較しながら判断できます。
数値化した方が比較しやすいので点数を出します。
数値化しないと成績もつけにくいですからね。

平均点というのもあてになりません。
もし、クラスや学校といった小さい集団内でどれくらいの位置にいるのかが気になるのであれば、平均点は大事な指数になるでしょう。
しかしA中学とB中学で、テストの難易度がほとんど変わらないのに平均点が10点違ったら?
または平均点がほとんど同じだけれど、A中学の方が難しい試験だったとしたら?
気にしてもあまり意味はありませんね。

点数を目標にしても良いものもあります。
例えば漢字や単語の小テストなんかは、何が問題として出題されるかがほとんどわかります。
勉強した結果が直接反映されるので点数を目標にすることに意義があります。
また、入試で最終的におおよそ何点取れたら合格できるのかは知っておかねばなりません。
合否は点数のみで決まるからです。

それに対して定期テストや実力テストはあまり意味がありません。
点数を目標にするのではなく、
試験範囲の問題がどれだけ自力で解けるようになるかを目標にしましょう。
例えば、学校のワークが試験範囲になるのなら、
そこにある問題の何%を解けるようになるか目標を設定して勉強に取り掛かり、試験前に達成度をチェックすると良いですね。
そうすると、勉強の仕方が良かったのか悪かったのか自分で判断できます。
改善点を考えれば次のテストにつながります。
これがテストへの準備です。

私はいくら点数が低くても、準備の量が多ければ褒めて質を上げる方法を教えますし、いくら点数が高くても、準備をしていなければ評価はしません。

思考力は責任から生まれる

公開日 2022/12/07

学習指導要領が改定され、
「思考力・判断力・表現力」が重視されるようになりました。
これらが今まで必要なかったかというとそうではないと思いますが、なぜこのような改革が行われたのでしょうか。

理由の一つは、
ものすごく変化の激しい時代になったからです。
変化の要因はインターネットです。
人と人との通信手段は、手紙→電話→メール→チャットと変化し、人同士のコミュニケーション速度、知恵の集まる速度が大幅に増大しました。
またコンピュータの開発で人が一生かけても到底できないような計算を瞬時に行うこともできるようになりました。
このような背景から、次々に新しい製品やサービスが登場し、既存のものはすぐに「型落ち」になります。流行り物はすぐに下火になります。〇〇の刃も今ほとんど耳にしません。
これは昭和・平成では考えられなかったことです。
(中高生のみなさんはわからないかもしれません。)

変化が激しいと、これまでのような軍隊組織は通用しなくなります。
軍隊組織というのは、階級が下のものが上のものの命令によって動いていく組織です。
上の方から下の方まで命令が伝わるのには時間がかかります。下の方から動くために上の承認をもらうにも時間がかかります。
これでは命令が伝わる間に変化が起き、伝わる前に新たな命令を下す必要が出てきます。組織は機能しなくなります。
つまり、常に上の命令を待っていては何もできなくなってしまいます。
(とは言ってもピラミッド組織が全くの悪であるとは思いません)

だから、自分で「思考」し、「判断」する必要があるわけです。

ただ軍隊組織の中で育つとその感覚がなかなかわかりません。
仕方のないことです。
親、学校、私のようなものを含め上の世代の人間は気をつけなければなりません。
どのように接すれば下の世代の思考力が育つのか?という問題についてです。

責任を持たせる

ということが必要不可欠ではないでしょうか。
軍隊組織では責任はすべて上の者にあります。
学校では先生、会社では上司、家では親です。
責任のある者は、必死に「自分で」考えます。
責任があれば、考える「必要性」が出てきます。
逆に責任がなければ考えなくて良いので考えません。
考えるというのはエネルギーのいる作業なので、必要性がなければしないのです。
楽な方を選ぶというのが極々自然な発想です。

自分で考え判断できるようにさせるためには、
その人を支配してはなりません。
経験が豊富だと、つい自分の物差しで判断してしまいます。
自分はこうだった、自分の頃はこうだった、だからこうすべきだ、と。
今日の物差しは、明日には目盛りが合わなくなっています。
責任を持たせずに、
「将来のことを考えろ」
「自分のために勉強しろ」
と言ったところで、その人は動きません。
自分のしたことの責任は上の人が取ってくれるからです。


あなたの勉強は評価ができるか?

公開日 2022/11/23

中学生は期末テストが終わりました。
お疲れ様でした。
高校1、2年生はこれからテストですね。
準備は進んでいるでしょうか?
計画を立てているでしょうか?
いつまでに何が終わる?
この質問に明確に答えられるようにしましょう。

「準備」をすれば物事はスムーズに動きます。
中学生高校生のみなさんの準備はテスト勉強です。
テスト勉強ならみなさんしていると答えると思います。

しかし私が今書いている「準備」のテスト勉強とは違うと思います。
みなさんのほとんどがやっているのは、
「とりあえず教科書の問題と授業プリントをやる」
「学校のワーク類をやる」
のようなものです。

これは「準備」とは言えません。
厳しく言うと、ですが。

「準備」というのは、

評価のできるもの

でなくてはなりません。
どういうことか。
評価ができるというのは、その勉強をした結果どのような効果があったか測定ができ、それを基に検証、そして次回への改善策が考えられるということです。

とりあえずやった勉強は効果測定ができません。
なぜなら、
何を、いつ、どこで、どのようにやったか、が雑然としているからです。

たとえば数学の勉強で、
とりあえず場当たり的に問題を解いていったとして、
あとはその結果(点数)だけを見ても得られるものはほとんどありません。
点が良かったとしても、勉強の中でなにが良かったかがわかりません。

一方、
少しでも勉強スケジュールを考え、
何をいつまでにするかを決めた上で勉強に取り掛かり、
その結果を得たならば、
何が原因として良い結果だったか、あるいは悪い結果だったかがわかりやすくなります。
前回と比べて単純に解く問題量を増やしたら順位が上がったのであれば、その点に効果があることがわかりますし、問題数を絞った結果芳しくなかったのなら演習不足という結論を出すことができるかもしれません。
因果関係までは行かずとも、相関性は把握できるかもしれません。

一言では、
経験を糧にできるかできないかの差
ということです。

基準を設ける

きちんと評価のできる準備をするには
数字を使うのが最も良いでしょう。
使う問題集を決め、
・1日あたりに取り組む問題数と時間
・復習の頻度
などを予め決めてから取り組むなど。
それをテスト後に評価し、次のテストでも同じような指標を使って改良していくのです。
たとえば、前回との違いを復習の頻度だけにすると、その変化が与える影響を測定しやすくなります。
(もちろん、問題が違うテスト間で比べるのはやや難しくもありますが)

地味な勉強が勝つ

公開日 2022/11/16

私は週3回泳ぎに通っているのですが、
そのプールの常連のおじちゃんおばちゃんたちに、来年の大会に出ないかと誘われました。
そもそもの目的は体力の維持向上でしたが、良い目標になるので参加することに決めました。
(大会とは言っても登録選手が出るようなものではないですが)
最近はクロールと背泳ぎの練習を中心にしています。
そのプールでは私が練習している時間は私より年配の方たちが9割5分なのですが、それはそれは元気な方達です。中には70歳で勢いよくバタフライを泳いでいる方もおり、あるいは私と同年代よりも体力があるんじゃないかというほどです。そのような先輩方に続きたいと思います。

大学受験生はいよいよ共通テストまで2ヶ月です。
模試の判定が返ってきたりして、焦る生徒が出始める時期です。
心理的に不安定になると起こりがちなのが、いろいろな情報に惑わされることです。
コロナが流行り始めた頃にもありましたよね。
特に塾生には、今まで勉強してきたことを継続してほしいと思います。

あまい誘惑

単語帳を1週間で覚える方法!
1ヶ月で逆転合格!
などなど、裏技的な動画を探して見たりしていないでしょうか。
見ていたら黄色信号です。

そのような情報が間違っているとは言いません。
「少数の」成功体験はあるでしょう。
「実行できれば」うまくいくこともあるかもしれません。

ただ、知っておかねばならないことは、
自分で考えない人ほどそういうあまい誘惑に引っかかる、ということです。
そして、引っかかるとほぼ100%失敗します。

このような誘惑は世の中に腐るほどあります。
冒頭で水泳の話をしましたが、
「これをするだけで○倍速く泳げるようになる!」
みたいな動画や記事がありますが、見てみると正しいが大したことは言っていないし、そもそもそんないきなり速く泳げるようになることなんてありません。
定番となりましたが、
「このサプリを飲むだけで1週間で3kg痩せる!」
という宣伝もそうですし、
ネット記事の煽り文句も同じです。
いくらでも出てきます。

なぜこのような文句が多いかというと、それに引っかかる人が多いからです。
しかしそれらが完全に悪いというわけではありませんし、何か法に触れるというものでもありません。

地道な積み重ね

勉強にしろ何にしろ、
結局これしかないのです。
数学が得意になるためには計算練習が必要ですし、英語が得意になるためには単語をたくさん覚えることです。
シュートが得意になりたいなら何本もシュート練習が必要ですし、サーブが得意になりたいなら誰よりもサーブを打つ練習をすれば良いのです。
このような一見地味な練習が、あとからどんどん効いてきます。
その効果はなかなか衰えません。
その一方で、一発逆転的なのは効果は一瞬。
その人の実力にはなりません。