勉強ができれば偉いのか

公開日 2024/11/14

学校というのはその性質上、テストの成績が良い生徒やスポーツで表彰される生徒が「偉く」なりがちです。
今から書くことを、例えば中学生に説いたとしても、あまり理解は得られないかもしれません。それは仕方のないことですが、ぜひ心に留めておいて大人になってから思い出して欲しいと思います。

滑稽だ

成績が良ければ他人から賞賛されるので、「自分は偉い」と勘違いするのも無理はないかもしれません。
成績が良いことは、確かに素晴らしいことではあります。間違いありません。
が、よく考えてください。

例えば、
英単語が10問出題される小テストで満点を取った人がいて、
おれは満点だーって威張っていたらどうですか?
たったそれだけで、って思いませんか。
小テストでなくとも同じです。
たかが入試で(あえて「たかが」と書いています。)、そのとき一回だけ合格点を取れたからって偉いですか?
地球上で知り得るものごとの中からほんの、ほんの少しだけ取り出した試験で高得点を取ることが、そんなに偉いですか?宇宙から見たら素粒子レベルにも満たないのに?
たったそれだけで。

立場は平等でない

勘違いしてはいけないことを書きます。
今書いている「偉い」というのは、人としての話です。
AさんとBさんが人を殺した時に、Aさんは罪を償い、Bさんは罪を問われない、ということがあってはならないですね。そういう意味で人は平等であるべきです。(それが地球でのコンセンサスです)
だから学校の勉強ができるだけで人の扱いのレベルが変わってはいけない。同様に、天狗になってはいけない。

しかし、一方で「偉さ」は存在します。
それは立場です。
学校ならば、生徒より先生の方が立場は偉いです。
立場の偉い人、言い換えると責任のある人が存在しなければ、学校という組織は続けられません。
何か問題が起きた時に収拾がつかなくなってしまいます。
組織運営をスムーズに行うために偉い人が存在します。
だから学校にいたら、先生の言うことを聞く必要があります。
これを理解せず、平等を誤解した結果がモンペということですね。

監視する

「立場の偉い」人も誤解します。
立場が偉いのを人として、生物として偉いと、ときに錯覚するのです。
どこにでもいます。
学校にも職場にも国の機関であろうと。組織には付き物です。
だから、立場の偉い人(権力者とも言います)を、偉くない人が監視しなければなりません。
勘違いして暴走しないように。
偉い人自身だけの問題ではないということです。
猛威を振るう前に、そうでない人が抑制しないといけない。
そうなる前までは、偉くない人にも責任があります。
そうなってしまったら最後。
その組織が崩壊するまで暴走が収まることはないでしょう。


学力も格差、大学も格差

公開日 2024/11/07

今年度から東洋大学で「学校推薦入試 基礎学力型」が始まったことは受験業界では有名です。
簡単に説明すると、推薦状がもらえたら2科目の試験を受けるだけでよく、志望理由書などの書類不要、面接もなし、12月に合否が分かる入試です。さらに併願可能。
もはや、推薦入試とは?というものですが、今後主に私立大学においてはこの動きは加速するでしょう。

現在国内には約800の大学があります。
その内私立大学、私立専門職大学は600ほどですが、その半分以上は入学者が定員割れとなっています。
学生集めに苦しんでいる大学は、様々な手を打ってきます。必然です。
この入試のように、早期に入学(候補)者を確保する施策が増えていくことはほとんど明らかです。

皆さんがおそらく考えることは、受験生の学力低下です。
易きに流れるのが人間ですから、このような制度に飛びつくのは想像に難くありません。
さすがに大学側もある程度の対策は打つはずで、合格・入学手続き後に宿題が課されることなどあるのだと思います。(調べてはいません)
しかし、2月の一般選抜まで戦ってきた受験生に及ぶことはないでしょう。(傾向です)
データによると、国公立大学は入学者のうちの一般選抜組は80%弱、上位国立大では90%超になります。
受験生本人の気持ちの話ではなく、12月で受験終了する場合と3月に終了する場合とでは、追い込み方が違いますから差が広がるのは当然のことです。
誤解されないように書いておくと、これは個人の話ではなく日本全体としてそのように向かっている、という話です。

受験生の学力差は広がっていきますが、同時に大学の方も格差が広がります。
ストレートに書いてしまいますが、お金さえ払えば入学できる学校はいくらでもあります。
そのような学校へ通う学生は何をやっているのか。少し考えたら分かります。
(学生の批判ではありません)
学生に迎合するような学校の存在意義とは?
淘汰されていくと思います。

とにかく勉強する

学生たちには勉強を頑張って欲しいと思います。
変に賢ぶって、悟ったフリをして、無気力になっていませんか。
もちろん社会のせいもありますが、そんなことを考えていても仕方がない。
まずはがむしゃらにやってみてはどうか。

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
獣ゆく細道 椎名林檎と宮本浩次

リバウンドを防げ

公開日 2024/10/02

勉強の成果が出るのには時間がかかります。
出題範囲の狭い小テストは、やった分結果がすぐに出ます。
一方模試や実力テストは、頑張った分の結果が出るのにしばらく時間がかかります。量をこなしていないと、なかなか目に見えて成果が出ません。
成果が目に見えないので、途中でやめてしまう人は案外多いです。
ダイエットや筋トレと同じ。
あと1ヶ月続けていたら成果が出るはずだったのに、やめるから0に戻ってしまうんです。

勉強は呼吸のように

ダイエットを失敗する人は、対症療法から入ります。
カロリーの低いものを食べる。むしろ食べない。
とりあえず運動してみる。
ネットで売っている怪しいサプリを飲む。

勉強では例えばこうです。
勉強法を検索する。
良い参考書探しをする。
「3ヶ月でMARCH合格」みたいな動画を観る。

目先はよくなる(気がする)のですが、すぐにリバウンドします。
根本的に解決するには、原因療法が必要です。
ダイエットならば、徐々に食習慣を変えていく。
勉強ならば、身の回りのもの、あらゆるものから学ぶ。

人間の体は、腸内細菌が欲しがるものを食べたくなると言われています。
高カロリーのものを習慣的に食べている人は、腸内細菌の好みがそれなので、その細菌が優勢である限り高カロリーの食生活が続きます。少しずつ腸内を変え、太りにくいものを好む細菌に入れ替えなくてはすぐに元通りです。

勉強も同様。
普段からものを考える習慣のない人が勉強が続くことはありません。
学校の勉強が特別なものなので、机に向かうのが一大イベントです。
毎日花火大会に行きたいですか?
私は勘弁です。

つまり、勉強は「いつの間にかやっているもの」になるのがベストです。

思考力をつけたいなら

公開日 2024/09/25

寒さ暑さも彼岸まで。
少し過ごしやすくなってきましたね。
受験生には普段から運動するように言っていますが、この気温ならば朝夕の散歩もしやすいのではないでしょうか。
特に、車やバスで学校へ通っている生徒は要注意です。

今回は思考力の話です。
思考力と言っても、主に2つに分類されます。
・速く、浅い思考
・遅く、深い思考
です。
もちろん、2つのうちどちらかではなくグラデーションがあり、速さと深さは完全従属でもありません。
しかしグラデーションまで考えてしまうと説明ができませんので、2つに分けて話します。

速度重視の思考

例えば、会話で使います。
ときどき返しの上手な人がいますよね。いわゆる頭の回転の速い人です。
共通テストで必要な力の一つです。
現在の共通テストは、特に国語・英語・数学は時間との勝負になっています。
英語は時間内に解き切る人は2割いないのではないでしょうか。
(すべて解答している人はもっと多いでしょうが、しっかり理解を伴って解答している人が2割もいないということです。)
深く考えるというよりも、どれだけ速く正確に答えられるかが勝負の鍵ということです。

思考のスピードを上げるには?

他人と関わることです。
1人でスピードを上げるのは限界があります。
私の体験としては、
大学生のときにファミレスでアルバイトしていました。
あるチェーン店なのですが、常に少ない人数で店を回す必要があり、そこですごく鍛えられました。
お客さんが少ない時も掃除や仕込みなどやることが決まっており、バイトの中にはサボってやらない人はいましたが、私は真面目なので時間内にすべてやり切ることを目標にしていました。
初めはポンコツでしたが、徐々に慣れていきました。
要は何か追い立てられるものがあるかどうかです。
都会の人がせっかちなのもそのためですね。

深度重視の思考

物事をより抽象的に捉えるのに必要な思考です。
例えばある問題を多角的に捉えて思考実験をしたり、哲学的な考えに耽るときの思考です。
こちらは学校のテスト、入試で測ることが難しいです。
(小論文なら少し測れそうです。)

深く思考するためには?

1人になることです。
物理的にも精神的にも孤独になることです。
じっくりと時間をかけて考えることは、人と一緒にいるとできません。
孤独の時間が長すぎて変な方向へ思考してしまうことには注意ですね。
人間ときにはバカになることも大事です。

どちらも大事

速い、深いに優劣はありません。
人によってどちらが得意かは違います。
ただ分かりやすいのは速さなので、速い方が評価されやすいです。
深い思考が得意な人は創作や研究系の仕事が良いと思います。
ただ、どちらの思考力も鍛えられますから諦める必要はないですね。


他人はコントロールできない

公開日 2024/09/04

ネットを見ていたら
中3の子の実力テストの点数が赤点だったからスマホ禁止にした、
という趣旨の書き込みを見つけました。
残念ながら、その子が今後伸びる可能性は非常に低いです。
理由は

・依存(気味)のスマホを禁止にしたところで隠れて使う(本人の意思に関係なく)
・完全に使えない状態にしたとしても、他人からの強要であり自分の意志ではないので、受験後はすぐに元通りとなる

からです。
個人差はありますが、14、5歳というのは大人に片足を踏み入れ始めている年齢です。
自律・自立の精神を養っていく年齢です。
ここで大人が手を出しすぎると、何も自分で判断できなくなってしまいます。
支配されているから、自分の力では何もできない、と無意識に考えるようになります。
投票しても何も変わらないから選挙には行かない、と言う大人のようです。

もちろん、これは手を貸してはいけないということではありません。
まだ親の半分も生きていない子どもが何も知らないのは当然ですからね。
(中高生も、親が「親」の仕事をするのは初めての経験だということを知りましょう。)

自分しか変われない

小学生までならなんでも親の言うことを聞いていた、かもしれません。
しかし中学生になればそれは終わります。
もう親の思い通りにはならなくなります。
それからは大人と一緒です。
ある人の考えや行動を変えるということは、並大抵のエネルギーでは叶いません。
不可能だという前提に立った方が良いでしょう。
何せ他人なんですから。

このブログも、
いろいろな人の目に留まり、その人が考え方や行動を見直すきっかけ、参考になればと思い書き続けていますが、変わる人はほとんどいないと思っています。
1人でもいれば満足です。

他人を変えることは難しいですが、自分を変えることは容易です。
余裕を持って生きるコツの一つです。

コミュ力とは

公開日 2024/08/21

コミュニケーション力が必要などと言われますが、
果たしてそれを理解している人はどれくらいいるのか?
「コミュニケーション力」という言葉自体曖昧なものなので、
私の解釈の仕方の一つとして書いておきます。

まず前提として理解しておかねばならないことは、
コミュニケーションとは自分と相手、2者以上で成り立つということです。

例えば授業において、
「pq=-1は必要条件でしかないので、十分性を確認しなければならない」
みたいな説明をしたとして、
いくら講師側の知識が豊富で物事を理解する力に長けていたとしても、
生徒側が「必要条件」などを理解していないとそれが伝わらないということです。

当たり前のことのようですが、コミュニケーション力が「個人の能力」として語られる場合が多く、双方向という前提が抜け落ちている場合があるので注意したいところです。

becauseの使い方

コミュニケーションの齟齬が起きる例を紹介します。
「英文において『because』を文頭で使ってはいけないのか?」
という問いについて。

webを検索すると、次のような回答が得られます。


Because Mary is often late for the class, I don’t like her.
のような英文はよろしくない。通例、
I don’t like Mary, because she is often late for the class.
のように後ろに置く。
becauseは相手にとって新情報が含まれるときに用い、英文では旧→新の順に書くので後ろにするのが普通。



これは一見何も問題のない回答のようですが、
質問の答えになっていない可能性があることがわかるでしょうか?

上記の質問は、
「Because she is often late for the class.」
という英文を書いてはダメなのか、という問いであるかもしれません。

これに対する回答は、
「Becauseは接続詞であるから、主節と合わせて使う必要がある。ただし、口語では問題ない。」
となります。
このように、
同じ質問でも、その文章だけでは質問者の意図が完全には伝わっていないことがよくあります。
ちなみにchatGPTに同じ質問をして返ってきた回答は次のとおりです。

ーーーーーーここからーーーーーー

「because」を文頭に置くこと自体は文法的には間違いではありませんが、特定の文脈で適切かどうかが問題になります。文頭に「because」を置くと、その後に続く文が原因や理由を説明する副詞節となります。そのため、通常は主節(メインの文)とともに使用されます

例えば、以下のような文は問題ありません:

  • “Because it was raining, we canceled the picnic.”

ここでは、「Because it was raining」が理由を示す副詞節で、「we canceled the picnic」が主節です。

しかし、「Because」で始まる文が単独で使われると、不完全な感じになり、文法的には不適切とされることがあります。

例えば、「Because I was tired.」という文だけでは、主節がないため不完全な文になります。この場合、「Because I was tired, I went to bed early.」のように続けるのが正しい使い方です。

したがって、文頭に置くことは可能ですが、主節と一緒に使うことが重要です。

ーーーーーーここまでーーーーーー

一つの例に過ぎませんが、
これが「通じていない」ということです。
どのようにしたら回避できるでしょうか?

質問者目線では、
できるだけ詳細に状況を伝えることです。
今回の例では「前提」が重要です。
「becauseを文頭で使う」というのが曖昧だから、回答者はまず頭に浮かんだ「新旧情報の話」をしてしまいます。
逆に回答者側にできることも、
まず前提を確認する、ということです。
どのような文でbecauseを使うのか、という点を質問者に問うのが先です。
大抵の場合、質問者はそもそもどのような前提での話なのかを理解していません。

つまりコミュニケーション力というのは、
相手の話の背景を探りながら、また知識量・経験量などを見積もった上で応答する力であり、
この力は相手にも求められる、ということです。
ゆえに、
相手に話が通じないと感じる場合、自分自身も力不足であるということです。

ちょっと、聞いてる?

公開日 2024/08/07

人は想像以上に話を聞いていないものです。
大勢の人を前にして話をしたことがある方ならばわかると思いますが、
自分が話していることを終始聞いているのはせいぜい2割ほどです。
もっと少ないかもしれません。
学校の校長先生の話をずっと集中して聞いている生徒は数えるほどでしょう。

1対多数ではなく、1対1で話していても、
お互いの話をすべて理解していることは稀ではないでしょうか。

すべて伝わると思ってはいけない

あなたは、今目の前にいる人が考えていることがすべて分かっているエスパーですか。
分かっている?
あ、私医者じゃないんで、病院はあちらです。

お互いのことをすべて知っている、というのは恋愛小説の中だけにしてください。
すべて知りえることなどありません。

すべては無理ですが、
半分くらいならばできるかもしれません。
互いに理解し合うための材料の一つとして、言葉があります。
言葉を学ぶ意義はそこにあります。
言葉を知らなければ、自分の考えていることを表現する術が減ります。
(言葉がないと、表現の仕方はときに物理的暴力になります)
言葉を知らない子どもなどなおさら。
いくら口で注意しようが、分からないものは分からない。
赤ちゃんは表現力がないので泣きます。
だから大人は言葉を教え、表現力をつけさせなければならない。
また、時間をかけて理解しようとせねばならない。
これは大人同士でも同じことですね。

1対1で

1対複数は、よっぽど話が上手かったり、
そもそも共通する興味のある話でもない限り、誰かは聞いていません。
その人は自分に向けた話ではない、と思っています。
塾では最大4人同時に話しますが、それでも油断すると誰かが上の空です。
大事な話は1対1で。
立場的に有利な側が2人いるのもおすすめしません。
対話ではなく面接になります。

逆に考えると

つまらない話だと思っても聞いていれば何か発見があります。
知識が足りないために理解できない、ということが多々ありますし、
つまらない話とはどういうものか、を学ぶ場にもなるからです。
話を聞かない人の方が多いので、
「普通」じゃない人になりたいならば、
人の話をよく聞いておくだけでも差をつけられます。

人類総依存症計画

公開日 2024/07/03

自習室に来て、荷物を置く、椅子に座る
次に何をしていますか。

なんとなくスマホを見る

違う、そうじゃない。
20秒以内にテキストやノートを取り出して、
すぐさま問題を解き始める。
これが合格する受験生の行動です。

ドーパミン

神経伝達物質の一つで、快く感じる原因となる脳内報酬系の活性化において中心的な役割を果たしている。
eヘルスネット より

快楽を得ようとするときに脳内に放出される物質です。
例えばギャンブルでたまたま大金を得ると、またその快感に浸りたくなりギャンブルを続けてしまいます。
そこに関与する物質です。
ドーパミンは悪い物質、というわけではありません。
学習能力を高めたり、意欲を出すのにも役立っています。
しかし、その使い方(というより使われ方)を間違えると「依存症」になってしまいます。

SNSをつい見てしまうのも依存症の一つです。
例えばどのタイミングでドーパミンが出ているかというと、
通知が来た時
アイコンの右上に出てくる数字
こういうのに刺激されます。
それでなくとも、脳を刺激してくる仕掛けはいろいろな場所に施されています。

スマホゲームは、定期的にユーザーを「気持ち良くさせる」仕組みを作っています。
ログインボーナス
ガチャ
期間限定装備
あらゆる手を使って、そのゲームに時間を使ってもらうようにします。
(それ自体が悪いとは言えません)

我慢できない

ここからは別にデータとかがあるわけではなく、
私の直感に近いものです。

長期的にものを考える、あるいは深く抽象的な思考をする力が平均的に弱くなってきているのではないかと思います。
簡単に言い換えると、
人が目の前にある、すぐに得られる報酬に飛びつくようになってきている
ということです。
他の言い方をすると、ヒトがそれ以外の動物に近づいている、逆戻りしている。

何かを得たいと考えてから、それを手に入れるまでの時間がとても短くなっています。
我々は普段そのような環境に身を置いているので、それが当たり前になってきています。
欲しいものがすぐ手に入るから、我慢をする必要がない。
その代償として、先のことを想像できなくなる。

そもそも動物は、種を存続させるため、食べるために生きていますから、
そのような状態に違和感はないのですが、
皆さんはどう思われるでしょうか。

なんでSwitch持っていっちゃダメなの?

公開日 2024/05/15

先週LINEで自習室の利用について注意喚起をしましたが読んでいただいたでしょうか。
今回は「ルール」について考える記事です。
最後までお読みください。

近年は携帯電話・スマホを持っていくことが許されている学校が増えましたね。
少し前までは禁止のところがほとんどでした。
持っていくことは許されていても、校内での使用を禁止または制限されているのではないでしょうか。
ではなぜ制限されるのか、そのような校則が作られているのか考えたことはあるでしょうか。

スマホでなくとも、基本的には小学生のときから、
学校での学習に関係のないものは持っていくことが禁止されていたと思います。
(または保護者の方が禁止していた)
なぜでしょう?

そのルールは必要なのか

例えばの話。
学校へゲーム機を持っていったとします。
スマホでも良いです。
授業中に、となりの人がゲームしてたらどう思いますか。
学校は国語・数学・英語などの教科を勉強するところでありゲームをしにくる場所ではないは当然わかりますね。ほとんどの人にとっては不快だと思います。
その場の勉強する雰囲気を邪魔していることになります。出ていってもらいたいですね。

しかし例えば、
ゲーム機を持っていったとしても、
授業中はすごく授業に集中している生徒が、休み時間とか昼休みだけ、ゲームしていたらどうでしょうか?
別にいいんじゃない?
ってなりませんか。

つまり、
ゲームやスマホそのものの問題ではないんです。
それを使う人、使い方の問題なんです。
もし、
上で書いたようにゲーム機やスマホを学校へ持っていったとしても、
使うタイミングを間違えずに、学習進度にも支障がないとすれば、
それらの持ち込みを禁止する必要があるでしょうか。
ありませんよね。

皆がある程度の節度を持っていれば、
わざわざルールを作る必要などないんです。
正確には、最低限のルールだけでいいんです。

ルールが全くいらないわけではないが

ルールをなくせば良いわけではありません。
人は皆それぞれ、少しずつでも感覚が異なります。
となりの人がゲームをしていようがしてまいが何も気にならない人もいます。逆にかなり神経質な人もいます。
集団生活をする上では、できるだけ多くの人の最低限の快適さを求めなければなりません。

しかしルールが多すぎると、自由度が低くなり、物事に柔軟に対応できなくなっていきます。
国家のレベルでも同じですね。
細かいルールを作りすぎると成長を阻害します。

ルールを作る理由

本来ならばいらないルールでも、作らざるを得ない状況になることがあります。
先ほどの例で言うと、授業中にもゲームをしちゃう人です。
授業や自分の勉強の邪魔にならないように、休み時間だけにする、というように節度を持っていればよかったものを、他人に迷惑をかけるような行動をしてしまったがために、
「学校にゲーム機・スマホを持ってきてはならない」
というルールが新たに設定されるわけです。
つまり、
自分で自分の首を絞めている。

そのことに気づいて欲しいものです。

自習室も同じ

自習室でときどき次のような行為が見られます。
(他の生徒から聞いたものを含みます)
授業時間中のことです。

・スマホをいじる。例えばLINEやインスタ、Tiktokなど。
・塾での学習に関係のない雑談をしている。

このような行為が続く場合は例えば以下のようなルールを設定せざるを得なくなります。

・自習室のスマホ持ち込み禁止。
・授業時間中(毎時10分〜00分)の雑談一切禁止。
・禁止事項をn回行った場合は以降自習室利用を禁止。

このようなルールを設けることは、
塾にとっても生徒にとってもデメリットの方が大きいです。
塾にとってはルールを設定、管理運営する労力がかかりますし、
生徒にとっては、緊急で連絡したい時や少し調べものをしたいときにスマホがないと不便でしょう。

ご協力をお願いいたします。

季節で考える勉強スケジュール

公開日 2024/05/01

ベトナムへ行ってきましたが、
4月は乾季で雨が少なく、1年で最も暑い時期です。
13時ごろは40℃近くになりました。
特に今年は気温が高かったようです。
病院やホテル、都市部のビルでもない限り、すべての部屋にエアコンを装備していることはないので本当に暑い。
だからか最も暑い時間は仕事などせずに休んでいる人が多かったですね。
(夕方から夜になると23℃くらいになって日本の夏よりも過ごしやすいです。)
寒い地域に住んでいる人の方が学力が高いという説を見たことがありますが、わかる気がします。

それで思い出して記事を書いています。
日本も季節によって気温が大きく違います。
ならば季節によって勉強の仕方が変わっても何ら不思議ではないですね。

〇〇の秋

食欲の秋とか、スポーツの秋とか、読書の秋とか言われますね。
やはり勉強も秋が最もしやすいです。
なぜなら過ごしやすいから。
涼しく感じるくらいが一番頭が働きやすい気がしませんか。
つまり秋から冬にかけてはじっくり考える勉強をするのに向いています。
科目で言うと数学や物理ですね。

夏は理社!

逆に暑い時期は考える気力を失いやすいです。
だから夏は、そんなに考えることのない科目、暗記ものの多い科目、
つまり化学・生物・社会などが最適。
受験生の夏休みには理社をやれと言われますが、これが理由の一つです。
暑くて数学なんてやってられない!→理社をやろう!
というわけです。
(英数は継続してやってくださいね)

時間でも考える

1年でなくとも、1日でも気温差はありますから、
1日のうちでどの時間帯にどの科目をやるかも考えられます。
気温の低い朝は数学、昼間は理科、夜は英語、
というふうにです。
気温でなくとも、共通テストの時間割に合わせても良いでしょう。

自分の勉強を最適化したい人は試してみてください。