Betterを選択し続ける

公開日 2021/11/24

よく、人生は選択の連続だといいます。
選択というのは、例えば

どの学校へ通うか
どのような仕事をするか
どこに住むのか

というような大きな選択から、

どの科目を何時間勉強するか
どの服を着ていくか
何を食べるか

といった日常的なものまで様々にあります。
選択をしない日はないと思います。
ほとんどの人は、後悔のない選択をしたいと考えていると思いますが、常に自分にとってbestな選択をし続けることは難しいですね。
幸いこの国、現代は、選択できることがとても多いです。
大学一つ取っても、約800の選択肢があります。
こんなにも選べる中でbestを見つけようとすると、相当な時間と労力が必要ですし、見つけようとしている間にチャンスを逃してしまいます。

そこで私が提案するのが、小さなbetterを選択し続けることです。
要するに、ちりも積もれば山となる、ということです。
小さな選択はあまり労力がかかりません。
そしてすぐに決められることです。
これを地道に積み上げることで、自分の人生の満足度を上げていこう、ということです。

小さな選択の例を書きます。

何も勉強しないより、5分だけでも勉強してみる。
落ちているゴミを拾う。
暗い話題より明るい話題で話す。
建前ではなく本音で話してみる。
エスカレーターを使わずに階段を昇る。
少しでも身体に良いものを食べる。
いつも使っているものより品質の良い商品を買う。

感覚に差はあれど、どれもそう大きな意志が必要なものではないと思います。
常に、部屋の全部を掃除する必要はありません。
常に、低脂肪高タンパクで身体に良いものを毎日食べ続ける必要はありません。
そのようなbestな選択を取らなくとも、
このように小さくても、少しでもbetterな選択をし続けていくと、現状は好転していくはずです。
何を良しとし、何で満足するかは人によって違いますから、これは参考にしてみてください。

グラフ読み取りの注意点

公開日 2021/11/10

中学生用の英語教材に節分の話が出てきました。
「豆まきをするのは何月何日か?」
という問いがありました。
もちろん、英語で書かれた文章を読んでいればわかるようになっていたのですが、中学生も高校生も、それが2月3日前後(正確には立春の前日)であることを知らなかった生徒が多く驚きました。
世代の差でしょうか?

さて、今回はグラフ・表の読み取りの話を書きます。
学校で勉強することが如何に重要かを伝えることが我々の役目でもあるからです。
世の中にはグラフが読み取れない方が意外と多くいます。
メディアでも誤った読み方をしています。
今日は容易に様々な情報へアクセスできるようになっているので、能動的に情報を取りに行き、それを活かせるよう勉強しておきましょう。また、情報に惑わされないようにしましょう。

単位と目盛りに注意する

そもそもグラフというのは、数値を並べただけでは差や変化がわかりにくいので視覚的に捉えやすいようにしたものです。
逆に、視覚的に判断されることを利用して印象を変えることができます。
例を出します。

厚生労働省の新型コロナワクチンのページから切り取ってきたものです。
モデルナ製ワクチンに関する報道を受けて出されたデータだと思います。
ワクチンを接種した場合と新型コロナウイルスに感染した場合の心筋炎・心膜炎の発症数の違いを示しています。
つまりワクチンはそんなに危険なものでないというわけですね。

これに少し手を加えるとどうなるか。

何が変わったでしょうか。
縦軸の100万人当たりの発症数の目盛りを変えました。(右二つは変えていません。)
すると、このデータに対する印象が完全に変わってしまったと思います。
10代男性の発症率は、モデルナ製がファイザー製の約8倍。
これが最も印象に残るでしょう。
モデルナが嫌いな人はこういうふうに宣伝すれば良いわけです。
実際は100万人当たりの数字なので、それぞれ0.00037%と0.00288%でどんぐりの背比べです。
(これはワクチンを肯定も否定もする記事ではありません。ちなみに私はすでに2回打ってます。)

嘘のデータでなくとも、このように見え方が全く変わってしまいます。
割合か、絶対数か、などにも注意して読む必要があります。
縦軸と横軸の数字が何を指すのかが最も大事です。
これらは学校で勉強できるはずです。

当たり前レベルの差

公開日 2021/10/06

「昨日は12時間勉強しました。」

こう言われたら、皆さんどう思われるでしょうか。
「そんなに勉強したんだ、すごいなあ」
「できるわけがない」
「もう少し頑張ったら自分もやれそう」
「多分ウソだろう」
「普通だなあ」

色々な反応があると思います。
同じことを聞いているのに
なぜ人によって捉え方が違うのか?

これは、
「当たり前レベル」の差によるものです。

当たり前レベルとは

言葉の通り、どの程度を普通と見なすか
というものです。
(私が勝手に自分の中で作って解釈している言葉です。)
当たり前レベルは個人や集団によって変わります。
5時間の勉強を短いと思う人もいれば、
2時間でも長いと思う人もいます。
諫高附属中ではテスト勉強をすることは当然ですが、
ほとんど勉強しない生徒がいる中学校もあります。

そして、
どの程度を当たり前かと考えるかで、
その後の成果は大きく変わります。

当たり前レベルを上げていく

今の自分よりも高いところを目指すのであれば、
当たり前レベルを上げていけば良いです。
当たり前レベルを上げるのは、緩やかにすると比較的楽になります。
例えば、宿題が毎日漢字1ページの小学生に、突然毎日10ページを当たり前にしなさいと言っても、(時間的に可能であっても)やる子はほとんどいないでしょう。
緩やかに上げるならば当然時間はかかりますが、成功率は高いと思います。
もちろん、今まで毎日1時間だった勉強時間を5時間に上げる、というようなショック療法的なこともなしではありませんが、継続できる確率は下がります。
また、それが他人からの指示(自分の意志ではない)の場合、続くことはないでしょう。

だから、少しずつ上げていくことを薦めます。
小テストで70点取るのが当たり前。
75点取るのが当たり前。
80点取るのが当たり前。
90点取るのが当たり前。
というふうに、自分の中の当たり前レベルを上げましょう。
そうやって、自分を追い詰めていきます。
すると自分に求めるものが大きくなっていき、行動レベルが上がり、成果となります。

高校生は、数学で指数関数や数列を習うと思います。
当たり前レベルを、1週間で1.05倍、つまり5%だけ上げるとしましょう。
これを1年間続けるとどうなるか?
計算してみてください。
1年は52週間なので、
1.05の52乗です。
これは、約12.6となります。
1週間に5%成長すれば、1年後には12.6倍になります。
「1日1時間勉強すればまあまあ。」
  ↓
「1日12時間勉強?普通ですね。」


余談ですが、iphoneの使い方で意外と知られていないものがあったので紹介します。
最初からインストールされている電卓アプリがありますよね。

これを起動して画面を横にするとこうなります↓

指数や三角関数まで計算できます。
試してみてください。

エスカレーターでは立ち止まろう

公開日 2021/09/15

駅にこんなものが掲示されていました。

なぜ立ち止まるべきなのか?
接触転倒事故を避けるためですが、
今回は学校で習ったことを使って数字で考えてみましょう。

仮定

駅の1階から3階まで昇ることを想定する。
1階床面から3階床面までの高さを10mとする。
(諫早駅のホームから改札階がこのくらい)
エスカレーターは、三菱電機ビルテクノサービスを参考にし、秒速50cm、傾斜30度とする。
このとき、エスカレーターの右側一列を空けて乗る(歩いて昇る)ことにメリットがあるか考えます。

考察

30度60度の直角三角形の辺の比、1:2を使うとエスカレーター部分の長さは上図の通り20mになります。
普通に立ち止まって昇る場合、
秒速0.5mで進むので40秒かかります。
一方でエスカレーターを歩いた場合、
やや速めに1秒に2ステップ踏むとすると、
1ステップ20cmの高さがありますから1秒にプラス40cm、0.4m進むことになります。
これは高さなので、斜め方向は0.8mですね。
つまり、0.5+0.8=1.3、秒速1.3mで進みますから20÷1.3≒15秒かかることになります。
立ち止まるより25秒早いです。

この25秒をどう見るかは人それぞれだと思いますが、私は25秒のために事故のリスクを負うのはバカバカしいと思いますね。

1列で使用した場合と2列で使用した場合を比べてみましょう。
立ち止まって乗る人だけがいると考えると、2列使用すれば時間当たりの輸送量は単純に2倍になります。
では、立ち止まって1列、歩く人1列の場合どうなるか。
都会の駅ほど歩いている人が多いですが、仮に歩く人が3人に1人いたとします。
(歩く人同士の間隔は広いため)
立ち止まっている列の時間当たり輸送人数を1とすると、歩く列のそれは1×1.3/0.5×1/3≒0.87です。
立ち止まる列と合わせて1.87ですね。
2列とも立ち止まると輸送人数は2なので、これより少ないということです。
歩く人の間隔を狭くして2人に1人としても、輸送人数は2.3にしかなりません。

以上から、エスカレーターを1列空けて乗ることのメリットはあまりないということがわかりますね。
特にショッピングモールなどのエスカレーターで右の列を空けて乗っている光景は世界の七不思議の一つです。

こういうのをもう少し難しくすると共通テストの数学の問題になります。

答えのないものを考えろ

公開日 2021/08/25

8月が終わります。
生徒と「日が沈むのが早くなったね」と話をしました。
セミの抜け殻よりも死骸を見ることの方が増えてきました。
秋が近づいていますね。

今年の夏期講習では、特に時間を意識してもらいました。
問題を解く際は必ずストップウォッチを使い、45分ごとの小休憩とメリハリをつけました。
そこで気づいたことの一つが、
考えても仕方のないものに時間を使っていることです。

例えば計算問題。
一つの連立方程式を解くのに5分も考えている生徒がいました。
改善すべき点ですね。
どうやって解くべきか考えるのは悪くないのですが、それでもせいぜい1分。
1分考えてもわからないのなら、飛ばして他のをやるか、すぐに答え(計算過程)を見てしまってもよいでしょう。
なぜなら、計算の仕方が決まっているからです。
ルールが決まっており、それを逸脱せずに計算し答えを出すだけです。
計算ができない原因は、ルールを覚えて身に付けていないからです。
考えてやるものではありませんね。
いつもかけ算九九を例に出すのですが、
「6×8」を「6+6+・・・+6=48だ!」
って考える人はいませんよね。
方程式も同様で、それは手段に過ぎません。
損益分岐点や最大生産量などを算出できるようになるための方法です。
(数学オタクは別として)

計算問題だけではありません。
学校で習うことの多くは、答えが決まっているもの、答えが与えられているものです。
そういうものに時間を使う必要はありません。
粛々とルールをおぼえる、言葉をおぼえる、で良いです。

頭を使うべきなのは、
答えの存在しないもの、答えの与えられていないもの
ではないでしょうか。

計算問題だったとしても、レベルが上がると答えに辿り着くまでの過程が一つでないものがあります。
解き方はどれでも良いですが、どれが良いか決めるのは自分です。
どの方法が自分にとって最もわかりやすく間違えにくいか考えることが大事です。

年齢が上がるごとに、答えの用意されてない問いは増えていきます。
その問いに答えを出すのは自分自身です。
いつまでたっても答えが見つからない問いもあります。
学生のうちは、自分に問いを与え、答えを模索していくための準備期間だと捉えてもよいかもしれません。

その準備を怠るとどうなるか。
「用意された」答えを求めることしかできず、他人の人生を生きることになるでしょう。

Q.子どもに勉強させたいです。 A.無理です。

公開日 2021/07/07

七夕ですね。
受験生が短冊に書いたのは、志望校合格でしょうか。
願うだけでは願いは叶いません。
行動を伴いましょう。

子どもに勉強してほしいと願っている方は多いと思います。
当然ですね。
勉強すればするほど生きやすい世界なので。
しかし、この願いが裏目に出ることがあります。

それは、子どもをコントロールしようとしたときです。

個人差はありますが、
中学生ともなると自分で考え行動するようになります。
親への反抗は、その成長の証ですね。
そのような時期に、無理矢理勉強させようとするとどうなるか。
やらないに決まっています。
なぜなら、子は自分の意志ではなく、
他人の意志に従わせられようとしていると感じるからです。

これは中学生や高校生に限った話ではありませんよね。
成人であろうとも、自分でコントロールできないというのは
非常にストレスのかかることです。
例えば、上司の命令に従うだけで裁量の余地のない(またはそう感じる)職場は、
世間では「ブラック企業」と呼ばれます。
勤務時間が長い、とか、給料が安い、とかはまだ良い方かもしれません。
自分の行動に自分の意思が反映されないことほど、
辛いことはありません。

子どもの意志を無視して、
就いてほしい職業に就かせようとしていないでしょうか。
子どもが興味を持っているのに、
それを潰そうとしていないでしょうか。

これの難しいところは、
親は子をコントロールしようとしてしまっていることに気づいていない
というところです。
子への愛情から、
知らず知らずのうちにやってしまうのです。

意思決定はすべて、本人がやるべきです。
そして、親や私のような者ができることは、
機会や環境を用意すること
ただそれだけです。

他者を変えることなど
到底無理であるからです。

言葉は言葉で表せない

公開日 2021/05/19

辞書を引いていて、こんな経験ありませんか。

「抽象」ってどんな意味?
→「事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。」
「表象」ってどんな意味?
→「象徴。シンボル。また、象徴的に表すこと。」
「象徴」ってどんな意味?
→「抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表すこと。」
抽象ってなに!!

我々は毎日言葉を使っていますが、何のためかというと、
自分を表現するためです。
自分は今何を考えているのか、どのような気持ちなのかを言葉によって伝えます。

話している言葉は、どのように身に付けたでしょうか。
赤ちゃんのころに、広辞苑や国語辞典で調べましたか。
違いますよね。
主に親や周りの大人の話し声を聞き、それを真似することで覚えていきます。
やさしい言葉からです。
ものの名前、つまり名詞から覚えます。
「これはブーブー、あれもブーブー、あっちもブーブー」
というふうにして車という抽象概念を覚えていきます。
名詞はまだわかりますが、
「面白い」とか「悲しい」などの形容詞はどのように覚えるのか、不思議ではありませんか。
形のないものですからね。
それにもかかわらず、「面白い」と言うと(おそらく)他の人にもどのような感情なのかが伝わります。
生物のすごいところですね。

すなわち、我々は言葉を感覚で捉え、なんとなく意味を理解して使っているわけです。
そしてその意味は奇跡的にほとんどの人が共通の認識を持てているのです。

言葉の力をつける方法が見えてきますね。
できるだけたくさんの言葉に、できるだけ多く触れること
であると思います。
国語辞典ばかり使うことではありません。
どのような人が、どのような場面で、どのような表現をしたいときに使う言葉なのか
を、何度も何度も経験して、自分の中に抽象概念を作っていくことです。
これを「学習」といいます。

勝つためにはルールを知る

公開日 2021/05/12

勝負をするにあたって最も重要であること。
それは、ルールを熟知することです。

しかし、大多数の人はルールを完全には把握してません。
全くわからないということは少ないですが、ときに勝負の肝となるようなルールを知らないこともあります。

スポーツだとわかりやすいですね。
たとえば競泳のルールで、「潜水は15mまで」というルールがあります。
なぜこのルールがあるのかというと、水中は水面よりも抵抗が少ないため、肺活量さえあれば長く潜行することで記録が伸ばせてしまうからです。このルールができる前に日本人選手がこの潜行泳法を用いたことで新たに制定されました。(詳しくはググってください)

15mまで潜れる、ということをもし知っていなければ、肺活量が多い選手もそれを十分に活かすことができません。(実際に知らない人はまずいないと思いますが)

受験の世界では

多くの人がこのルールというものを意識できていないと思います。
ひとつは選考のルールです。
・必要科目とその配点
・試験の日程
・学校が求める人物像 など
その学校が求めている人材になれるよう努力することが重要なはずです。
極端にいうと、必要科目に日本史がないにもかかわらず日本史の勉強ばかりやっていたら合格可能性は下がります。選考のルールに、日本史が必要とは書いていません。

他には、規模の大きな話をすると
試験の性質です。
どのような勉強の仕方をすればよいのか、という観点です。
現在の受験制度は、主に筆記試験です。
ということは、文字を読み書きすることが得意な人が最も有利です。
文字を読むのを面倒くさがっていたら論外であることがわかります。
しかし、指導をしているとわかるのですが、
例えば国語や英語の長文問題を全文しっかりと読んでいる人は少数派です。
言われるまでは皆問題のための線が引いてあるところ辺りだけを読んでいます。
読み書きがメインであるならば、普段から読み書きをしておく必要がありますね。

また、試験というのは時間制限というルールがあります。
限られた時間で大量の問題を解く必要があります。
それを裏返すと、考えすぎてはいけない、ということです。
人によって、素早く考えるのが得意な人と、じっくり腰を据えて考えるのが得意な人がいます。
このルール上では、前者の方が有利になります。
(もちろん素早く長時間考え抜く人が最も有利です。)
ときどき、一から理屈がわからないと先に進めない、という人がいます。
いわゆる完璧主義ですね。
私もそういう面があるからわかるのですが、これは受験の世界では好ましいやりかたではありません。
少しわからなくても先に進む方が結果的に成果が出ます。
とにかく覚えてしまえば試験問題は解けます。
そのような試験の性質を理解してほしいと思います。
もちろん、じっくり考えるのは悪いことではなく、それが生かせる場面もたくさんあるでしょう。
しかし、そればかりでは「受験の世界」では成果が出にくいということも同時に知っておかねばなりません。

何としてでも勝ちたいなら

最後に、現在のルールでは勝ちようがない、という人へ。
まだ方法はあります。それは、
ルールを変えてしまうことです。

読み書きがどうしてもできない、というのであれば、
試験制度を聞く話すことメインに変えてしまうのです。
短い時間で問題を解くことが難しい、というのなら、
科挙のようなものすごく長期間の試験を課すルールに変えてしまえばよいのです。
国際水泳連盟が潜行制限したように。

AI的な人

公開日 2021/05/05

こどもの日です。
あんまりこいのぼりを見ないなあという感想です。

「先生、この問題を教えてください。」
という質問に対して、
「答えはこうです。」

このような問答はあまりしたくありません。
学力が伸びないからです。
(質問するなという意味ではありませんよ)
ただ、テストの成績は上がるかもしれません。

答えが分かったらつまらない

20年前、私は虫取り少年でした。
カブトムシ、クワガタムシはもちろんのこと、バッタやチョウやトンボなど捕まえて遊んでいました。
夏休みにはほとんど毎日、晴れていれば近所の公園にセミ取りに行っていました。頭が狂っていたんじゃないかと、今となっては思うくらいです。

読者の方にも同じような経験をした方はいらっしゃると思います。
そこで考えてみます。
クワガタムシを取りに行ったとして、
「どの時間に、どの林の、どの木のうろの中にクワガタがいる」
という「答え」がわかっていたら、
それって面白いでしょうか。
私は全く面白くありません。
ゲームでも、例えば最初から敵の倒し方を調べておいて、予定通り勝ってって、面白いでしょうか。
(面白いと思う人もいるかもしれませんが)

勉強にしても同じです。
今からこの問題の解き方を教えますよ。
こうしたらこうなります。以上です。
これでは感動も何もないですね。

こうすればこうなる、という答えを教える、または教わることが絶対に悪だとは思いません。
ただ、そのような短絡的・機械的学習をしているだけでは思考力はつかないだろうと。
わからない状態でもがいているときが最も成長できるときです。
学校の課題は多いし部活もあるしどうすればいいんだあああああぁぁぁぁぁぁ
といってどうにかしようと考えるのが大事です。
同じような悩みを抱えている人がいても、その解決策のようなものは一人一人違うはずです。
全く同じ条件で生きている人は存在しないからです。
住んでいる地域、家族構成、通っている学校といった環境から、本人が優先したいこと、最適な睡眠時間、動機など内的なものまで、それらが全く同じ人間などいませんから、答えなんて存在しません。
自分で考えるしかないということです。
我々はそのような「複雑系」のなかにいます。
例えば、二次方程式は解の公式を使うだけで解けますが、
自分がどう生きていくかという問いに対する解は誰にもわかりません。
二次方程式の解は高々3つの係数によって定まりますが、生き方は3つの要素だけで決まりませんよね。
到底数えられるものではありません。
方程式を解くほど単純ではありません。

こうしたらこうなるという単純な論理だけで生きていると、
それこそ「AIに仕事を奪われる人」になりかねませんね。

テストの復習やれてますか

公開日 2021/04/28

模試を受けた後何をしていますか。
定期テストの結果が返ってきたとき何をしていますか。

やったー点数上がったー、とか
数学やばいーやっぱり苦手ーとか
それだけで済ませていませんか。

今すぐ、テスト結果への見方を変えましょう。

保護者の方にも残念ながらいらっしゃいます。
点数だけを見て、一喜一憂していては進歩はありません。
テストは点数や偏差値を測るだけのものではありません。
模試なんか、一回3000円とか5000円とかしますよね。
おいしいお肉が食べられます。
将来、もっといいお肉を食べられるようにテストを活用しましょう。

復習には3倍以上、時間をかける

60分で解く問題であれば、180分は復習に時間を費やすということです。
というか、きちんと復習しようと思ったらそれくらいはかかると思います。
もちろん絶対3倍というわけではなく、それくらい必要だという「気持ち」です。
4倍でも5倍でも良いです。
まずこれを頭に入れておいてください。
1回解き直して終わり、ではないのです。

①分析
②学習
③確認

この手順で進めましょう。

①分析
自分ができていること、できていないことに分類します。
この問題はできた、この問題はできなかった、ではありません。
「微分をして放物線の接線を求めることと、求める領域の図示はできていたけれど、積分の計算で間違っているな」
という具合に細かくみていきます。

注意するべきなのは、自分に甘くならないこと。
「ほとんど」合っているから大丈夫、と高を括ると足をすくわれますよ。

②学習
分析の結果、自分が身につけるべきことがわかるので類似問題等で学習します。
分析せずにこれをやるのと、分析をしてからやるのでは効果が段違いなのは言うまでもないかもしれません。
数学ならチャート、英語なら文法書など、分厚い参考書はこのような場面で役に立ちますね。

③確認
学習したことが定着しているか確認します。
短期記憶として頭にあるのでは意味がないので、学習して1週間後など日を空けて取り組みます。
自分が如何に勉強できていないか絶望します。
繰り返し学習しなければならないことを痛感してください。

以上の手順を完了した時点ではじめて
復習しました
と宣言してください。