思考力は責任から生まれる

公開日 2022/12/07

学習指導要領が改定され、
「思考力・判断力・表現力」が重視されるようになりました。
これらが今まで必要なかったかというとそうではないと思いますが、なぜこのような改革が行われたのでしょうか。

理由の一つは、
ものすごく変化の激しい時代になったからです。
変化の要因はインターネットです。
人と人との通信手段は、手紙→電話→メール→チャットと変化し、人同士のコミュニケーション速度、知恵の集まる速度が大幅に増大しました。
またコンピュータの開発で人が一生かけても到底できないような計算を瞬時に行うこともできるようになりました。
このような背景から、次々に新しい製品やサービスが登場し、既存のものはすぐに「型落ち」になります。流行り物はすぐに下火になります。〇〇の刃も今ほとんど耳にしません。
これは昭和・平成では考えられなかったことです。
(中高生のみなさんはわからないかもしれません。)

変化が激しいと、これまでのような軍隊組織は通用しなくなります。
軍隊組織というのは、階級が下のものが上のものの命令によって動いていく組織です。
上の方から下の方まで命令が伝わるのには時間がかかります。下の方から動くために上の承認をもらうにも時間がかかります。
これでは命令が伝わる間に変化が起き、伝わる前に新たな命令を下す必要が出てきます。組織は機能しなくなります。
つまり、常に上の命令を待っていては何もできなくなってしまいます。
(とは言ってもピラミッド組織が全くの悪であるとは思いません)

だから、自分で「思考」し、「判断」する必要があるわけです。

ただ軍隊組織の中で育つとその感覚がなかなかわかりません。
仕方のないことです。
親、学校、私のようなものを含め上の世代の人間は気をつけなければなりません。
どのように接すれば下の世代の思考力が育つのか?という問題についてです。

責任を持たせる

ということが必要不可欠ではないでしょうか。
軍隊組織では責任はすべて上の者にあります。
学校では先生、会社では上司、家では親です。
責任のある者は、必死に「自分で」考えます。
責任があれば、考える「必要性」が出てきます。
逆に責任がなければ考えなくて良いので考えません。
考えるというのはエネルギーのいる作業なので、必要性がなければしないのです。
楽な方を選ぶというのが極々自然な発想です。

自分で考え判断できるようにさせるためには、
その人を支配してはなりません。
経験が豊富だと、つい自分の物差しで判断してしまいます。
自分はこうだった、自分の頃はこうだった、だからこうすべきだ、と。
今日の物差しは、明日には目盛りが合わなくなっています。
責任を持たせずに、
「将来のことを考えろ」
「自分のために勉強しろ」
と言ったところで、その人は動きません。
自分のしたことの責任は上の人が取ってくれるからです。


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