常識という壁

中学2年生の生徒に数学を教えていた時の話です。
確率の単元を予習することになり、サイコロやトランプを使った問題を扱ったんですね。その生徒、A君は成績が悪すぎるわけでもなく、最初のサイコロの問題はすぐに解いてくれました。
ですが、次の問題を目の前に、A君は固まってしまいました。

問 裏返した1組のトランプから1枚を引く。絵札を取り出す確率を求めよ。 (ジョーカーは除く)

解けたでしょうか。
ジョーカーを除いて52枚のカードから絵札のJ、Q、Kそれぞれ4枚ずつのどれかを引けばよいので、求める確率は 12/52=3/13 となります。
ほとんどの中学生は解ける問題です。ですがA君の手は一向に動きません。

勘の鋭い方ならお気づきでしょうか。
なぜA君がこの問題に手も足もでないのか。そう、彼は、

Official portrait of President Donald J. Trump, Friday, October 6, 2017. (Official White House photo by Shealah Craighead)

トランプを知らなかったのです。

カードが52枚あることも知らない。
衝撃を受けました。かの有名なトランプを知らないなんて。
安倍総理を知らない中学生はときどき会いますが、まさかトランプを知らない子がいるとは思いもしませんでした。

ですがここで考えました。
小学生のうちからスマートフォンを持つようになったこの世の中、トランプというアナログのカードゲームをしたことがない子どもがいてもおかしくないなと。
トランプというものが我々の世代では常識なだけで、A君にとっては常識でもなんでもないのです。

この出来事がきっかけというわけではありませんが、私は常識という言葉はあまり好きではありません。いわゆる常識とは、ある個人、ある集団固有の価値観に過ぎないからです。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

特殊相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタインの言葉です。
年を取っていくにつれて、考えが凝り固まってしまいがちですよね。思考停止することなく日々の課題に取り組んでいきたいものです。

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