受験は団体戦か、個人戦か

公開日 2020/09/02

タイトルの言葉、一度は聞いたことがあると思います。
どちらだと思いますか。

このような問いに対して、
必ずどちらか、白黒つけたがる人もいますが、
はっきりどちらと言えることなんてなかなかありませんよね。
はっきりさせる必要があるのはカリスマ性を発揮せねばならない一部のリーダーくらいじゃないでしょうか。
そうではない人がはっきりさせたがるのはそれは考えるのが面倒になってしまっただけでしょう。

団体戦とも、個人戦ともいえる
ということです。

個人戦的要素

当然ですが、
受験するのは自分です。
先生や周りの友人がいかに優秀であろうが関係ありません。
たとえ日本一の進学実績を持つ学校に在籍していたとしても、
その学校の生徒だからと言って合格するわけではありません。
自分の実力は、自分でつけなければなりません。

また、必要な勉強というのは各個人で異なります。
例えば、数学で解答できなかった問題があったとして、
計算力不足で正解に至らなかった者もいれば、
公式を覚えていなかった者、
解答の道筋を描けなかった者など、
解けなかった要因は十人十色なはずです。
そうであるなら、
計算練習をする、
公式を使う練習をする、
考え方を学ぶ、
と、それぞれすべき勉強は異なります。

団体戦的要素

こちらも結果に大きな影響を及ぼします。
人は良くも悪くも環境で変わります。
(関連記事→先生批判は、無駄です)
特に若い時ほど影響を受けやすいものです。
実際、問題児のいるクラス・学年は成績が下がりますし、(すでにそのような研究結果があります)
一丸となって頑張ろうという雰囲気があると皆どんどん伸びていきます。
真面目に勉強やっちゃってるよ、みたいな空気があると最悪ですね。
そこからは抜けるべきです。
(こういうのは学校以外にも当てはまりますね)
もし塾にそういう空気を持ち込む生徒がいれば、容赦なく退塾してもらいます。
それくらい大事なことなんです。

ちりも積もれば

公開日 2020/08/19

ルーティーンが大事という話をよくするんですが、
その理由を定量的に示したいと思います。

1000分

1日は24時間、24×60分=1440分です。
このうち、睡眠時間を8時間としましょう。
8時間は480分です。
活動時間は、1440-480=960分。
分かりやすいように、起きている時間は1000分とします。
この時間を、我々はどのように使っているのか。

例えば、
1日3回の食事は15分ずつ、合計45分かかるとします。
活動時間に占める割合は、
45÷1000×100=4.5%です。
1年で、16,425分、約274時間はご飯を食べています。

また、通勤・通学に往復1時間かかったとします。
活動時間に占める割合は、
60÷1000×100=6%です。

ルーティーンのようにスマートフォンを使っている人も多いと思います。
その使用時間はどうでしょうか。
2018年の調査では、
10代の1日の平均スクリーンタイムは約5時間のようです。
(自分のスマホを調べてみてください。)
つまり、300分ですね。
活動時間に占める割合は、30%です。

22日

いくつか計算してみましたが、
我々がいかに習慣的な行動に時間を使っているかが分かると思います。
これらは、良くも悪くも、将来に大きな影響を及ぼします。

例えば、
今より30分だけ多く、毎日勉強する時間を増やしたとします。
来年の共通テストまで150日間続けると、
150×30=4500分
つまり75時間、勉強時間が増えることになります。
活動時間換算で、4.5日分ですね。
合否の可能性が、十分変わる時間だと思いませんか。

1日5時間使用していたスマホを、
1時間減らしたとします。
他人より、年間365時間、他のことに使える時間が増えます。
活動時間換算で約22日分です。

思っている以上に、
ちりは小さくはないんですね。

読みやすい字、読みにくい字

公開日 2020/08/12

コンピュータの普及により文字を手書きすることは減りましたが、
美しい字を書くことにはまだまだメリットがあります。
きれいな字を書いているだけで、人に与える印象は良くなります。

ここで、きれいな字とは何かというと
「バランスの取れている読みやすい字」
です。

必ずしも、書道の段位を取れるような字ではなくてもかまいません。
大事なのは読みやすさです。
例えば次の答案を見たとき、どちらが得点が高そうでしょうか。

右の答案の方が、正しいことを書いてるように思えませんか。
内容はどちらも全く同じです。
採点者の立場になってみてください。
左の答案は読みたいと思いますか?
私なら読む前に×をつけます。
字の大きさがバラバラ、枠をはみ出している、
これだけで読みにくいです。
これが大学入試だったとすると、採点者は大学教授です。
小さい字など読みたくもないはずです。
正しいことを書いていたとしても、
印象の差はとても大きいです。

また、読みやすい字というのは、視認性が高いということです。
自分が書いたものの中から必要な情報を探したり、答えと照らし合わせる時なんかで、時間の差が生まれるはずです。 


バランスの取れた字を書くためには。
小学校では、皆漢字ドリルや漢字練習帳などに漢字を書いて練習したと思います。
あれは、キャンパスノートのような罫線ではなく、
マス目が印刷されていますね。
あの正方形に収めることが、バランスの取れた字への第一歩です。
ドリルにはマスの中にさらに点線の補助線が引いてあります。
偏や旁、冠などをどこに配置するかの目安になります。
これを意識するだけでも、読みやすい字は書けると思います。

また、そのように書くという動作は頭を使います。
点の位置やはね、はらいなどを注意して書きますよね。
字を書くことが脳トレになるというのは、そういうことです。

動画との付き合い方

公開日 2020/07/22

YouTube、Netflix、AmazonPrimeなど、ここ数年で動画配信サイトが活気づいており、何かしらに会員登録している方が多いのではないでしょうか。
私はたまにYouTubeを視聴しています。水泳の動画など。
あとまれに観たい映画があるのでAmazonでみてますね。

わざわざTSUT〇YAに借りに行かなくても映画やドラマが見れるようになり、本当に便利になったと思います。(そういえば、今の高校生がCDから音楽を取り込む方法を知らなかったのは驚きでした。ほぼダウンロードやストリーミングですもんね)
ただ、このような動画サイト、使い方を誤れば受験生の敵となります。

あなたへのおすすめ

賢いコンピューターが、あなたの閲覧履歴から好みを探り、いかがでしょうかと営業してきます。
誰しもあるのではないでしょうか。
ついつい、ぽちっと再生してしまったこと。

世界のグーグルが育てたコンピュータと、優れた動画編集者が作ったサムネイルにつられるのは無理もありません。
しかし、やめるべきです。

目的を持たずに参考書を読むのと同様、
おすすめをぽちぽちすることは、
ほとんど時間の浪費になってしまいます。

なんとなーくアプリを開いて目に入った動画を観るなんてもってのほか。
何を見るのか、予め決めておきましょう。

倍速で再生

もしかして再生速度変えてないってことありませんよね。
やってない方は今すぐ1.25倍からはじめましょう。
ちょっと聞き取りにくいかも、くらいのスピードで聴いていれば鍛えられます。
YouTubeなら画面右下から変更できます。
2倍で見れるようになれば、今までの半分の時間で終わります。

もちろん、全ての動画でやるべきとは言いません。
ASMR動画なんかを、
例えばサクサクッっていう咀嚼音を2倍速で聴いても誰も得しないでしょうからね。(でも、もしかしたら新たな発見があるかもしれませんね)

・目的を明確にして視聴する
・みるなら、再生速度を上げる
この2点に注意してもらいたいと思います。

Nothing is more precious than time.

先生批判は、無駄です

公開日 2020/07/08

以前私が別の塾に勤めていた時の話です。
生徒とその保護者との面談をしていました。
学習の相談などを受けるのですが、
ある諫早市内の高校の当時3年生が複数、同じことを言うんですね。

「学校の数学の先生がわかりにくい」と。

保護者の方もそう訴えてくるわけです。
だからどうにかしてほしいと。

授業中もその先生の愚痴をよく聞きました。
何度も何度も言ってくるんで、
そのたびにこう言ってました。
「そんなこと主張しても何も変わらないよ」と。
(実際は長崎弁です)

相互作用

まるでその学年全体が伝染病に患っているかのようでした。
本当にその学年の数学の成績が低かったんです。
学年一つ下なのかっていうくらい。

私はこう分析しました。
・実際にその先生の説明がわかりにくい可能性は高い。
・だから成績が低い原因の一つではある。
・しかし、最も大きな原因は、
  分かりにくいというイメージが先行していること

実際に、教わる先生によって全体の成績が左右される、ということはあります。
ただ、例の学年の場合は少々事情が異なります。
それは、子どもも大人も皆が口をそろえているところ。
子から親へ、親から子へ、はたまた家族から家族へ。
上がるものも上がらないな、と思っていました。
皆で、「分かりにくい先生」像を作り上げているのです。

それで何が起こるかというと、
先入観があるせいで子どもが話を聞かなくなるんですね。
耳を塞いでいるのと同様、
受け入れる気が全くないので、余計に授業が分からなくなります。
だから、いつまでたっても学力が上がりません。

全く、あなたにメリットがない

確かに何言ってるか分からない先生というのは存在します。
私が高校生の時もそうでした。
しかし、
分からないと主張し続け、何かが好転するでしょうか。

もちろん、生徒や保護者にその権利はあると思いますが、
現実問題、例えば担当の先生が変わる可能性ってあるでしょうか。(特に公立学校)
新しい人を入れて、その先生を解雇、みたいなことは容易くできるものではありませんね。仮に変えることができるとしても、時間と手間がかかると思います。
自分が通っている間は、事実上不可能、ということです。

あまり言いたくはありませんが、運が悪かった、ということです。

また、他の人の立場で考えてみると良いです。
もしかしたら、その先生のことが気に入っている人がいるかもしれません。
その人の前で、先生の悪口を言ったとしたら、
気分悪いですよね。

自分にとっても、周りの人にとっても、
メリットはありません。

では、どうするか?

まずは、なぜその授業が分からないのか考えるべきです。
単なる勉強不足の可能性があるからです。
人によって物の見方は違いますから、
問題解決の別の糸口が見つかるかもしれません。
その謙虚さが大事です。

そうではない場合、
自分の責任で、自分で勉強してください。
そういう時に、私のようなのを頼ってくれれば良いんですね。
解決策は、実にシンプルです。
その時に、私に愚痴らないでくださいね。
同僚の上司の愚痴を聞く気分になるので。

PDCAサイクル?

公開日 2020/07/01

7月になりました。
セミが鳴き始めましたね。
大学入学共通テストまで約29週間です。
新学期が始まってから13週間経過しました。
この意味を考え、行動を修正していきましょう。

PDCAサイクルをご存知でしょうか。
仕事を効率化するための考え方です。

P…Plan(計画)
D…Do(実行)
C…Check(評価)
A…Action(改善)

これを繰り返すことによって成果を上げるんですね。
企業の新人研修などで習うこともあるみたいです。
もちろん、仕事以外でも使えます。

ただ、個人レベルではこのサイクルには欠点があると思うので、
私なりに修正してみました。

名付けて、
PーDcaサイクル
です。

重きを置くのは、最初のPとDです。
例を挙げながら解説します。
まず最初に、
P…大まかな方向性を決定する。
例:志望校、学部、目標点などを決める。
つまり、最終的な目標です。
方向を見失わないために重要です。

その次からPはありません。時間の無駄です。
Dcaを繰り返していきます。
cとaが小文字であるのは理由があります。

D…とにかく、やってみる
例:問題集を解いてみる。
最も重要なフェーズです。
行動しないことには進歩はあり得ません。
人に聞く前に、まず実行。

c…成果が出たか
例:問題を解けたか。あるいは、模試の成績はどうか。
ここには時間をかけません。
Dに時間を割くためです。
Dを行う意味を問うので、Dに関係のないことは無視です。

a…Dの内容を修正
例:問題集を変える。進め方を変える。など
より効率的に成果を出すために、cに応じて変更していきます。
ここも時間をあまり割きたくないところです。

成果が出ない人は、大抵
Doが少なすぎます。
それか、Planが曖昧ですね。

分かりやすいかは分かりませんが、
ボウリングで例えてみます。
まず、投げてみます。
ピンが3本だけ倒れました。
自分が狙った方向(真ん中より少し左)に投げられませんでした。
ボールを見ていると、左に回転がかかっていました。
この原因はボールから手を放す瞬間に、手のひらがやや左を向いていることだと推測しました。
そこで次の投てきは、手に意識を集中させて投げてみました。
すると、真っすぐに投げられたものの、端のピンしか倒せませんでした。
これは、手に意識を集中して体の向きを考えていなかったからであると気づきました。
そもそも、ボールが重く身体のコントロールが不十分であるようなので、体幹を鍛えることにしました。



投げないことには、
ピンは決して倒れませんよね。

働き始めてからこれを身につけようというのは遅すぎます。
今から実践しましょう。

形容詞マジック

公開日 2020/06/10

部屋が殺風景だったので観葉植物を置いてみました。

実は観葉植物は優れものです。
・副交感神経を活性化させるリラックス効果がる
・集中力が上がる
・簡易的な空気清浄機
これはもう置くしかないと購入しました。
これはポトスと言いますが、世話も楽みたいです。

さて、今週は形容詞の話です。
まず、形容詞とは名詞を修飾することばです。
名詞は人やものの名前であり、形容詞はそれを詳しく説明します。
例えば「高い山」ならば、「高い」が形容詞で「山」が名詞ですね。

普段の会話の中でよく使っていると思います。
「あの店のオムライスがおいしかった~」とか
「不等式の証明難しい」とか。
私もこのブログの中でも使っています。

ただ、この形容詞、使い方に注意しなければなりません。

主観であるということ

例えば、
Aさん…英語のテストが常に90点以上、数学は壊滅的
Bさん…英語は半分しかとれない。数学は常に満点。
という二人がいたとすると、
Aさんにとっては英語は「やさしい」が数学はものすごく「難しい」。
Bさんにとっては数学は「やさしい」が英語は「難しい」
と言いますよね、おそらく。
同じテストであっても感想は違います。
つまり、「やさしい」や「難しい」は主観であり、客観的ではない、ということです。
上の例であれば、多くの人(これは私の主観です)は主観であることに気づいていると思います。
しかし、我々人間は気づかないうちに形容詞に騙されてしまいます。
難しいと言って出された問題は難しく感じてしまいます。
簡単だと言われるとあっさりと解けたりします。
それは出題者の主観に過ぎず、あなたにとっては難しいかどうかはわからないかもしれないのにです。
○○町にあるラーメン屋はおいしい、と聞いても期待はしません。
ラーメンは好きなので行ってみますが、仮に自分の口に合わなかったからと言って批判もしません。おいしいと感じるかどうかは自分次第だからです。
★5つの店がまずかったとしても、食べ○○に文句を言ってはいけません。
その代わり、自分はきっと少数派なんだな、と学習します。

主観であると書きましたが、
ネガティブな主観を抑えてある程度ポジティブに捉えた方が、物事はうまくいきます。
自己暗示とも言いますね。
プラシーボ効果というものもあります。
薬だと言って小麦粉を飲ませると病気が治るというのは有名ですね。
それだけヒトは意識に支配されています。
形容詞を上手に使いこなしましょう。

テストでは見えない学力差

公開日 2020/06/03

定期テストの点数を上げることと、
学力を上げることは必ずしも一致しません。
これに関して、詳しく書きたいと思います。
関連記事→そんなに点数が大事ですか

2次不等式を例に説明します。

高校1年生の初期に習います。
超簡単に解けます。

テストで点数を得ることに特化するなら、

①因数分解する
②見えている数字の符号を逆にする
③不等号が<の時は、xを数字の内にする。
 不等号が>の時は、xを数字の外にする。

という「手続き」を憶えさえすれば良いです。
この手続きを反復練習すれば、大抵の人は得点できるようになります。
ラクに点数があがる仕組み、ですね。
(実際はその反復練習さえしない人は多いです)

ただ、このような解法を憶えてわかった気になっているだけだと、少し数字をいじっただけの以下のような問題が解けなくなります。

あれ…? 因数分解できない!
先生分かりません!!
ってなります。
こう解きます。

①の問題で使ったような手続きで覚えているようだと、
この問題は「種類の違う問題」として認識し、また新たに解法を覚えようとしてしまうのです。
本当は、これら2つの問題の解法は全く同じであるのに、です。
どちらも、グラフを使って説明できます。
それは一番下に書きます。

この問題を解く考え方を使った問題がいろいろありますから、
手続きしか覚えていないと
それらを1つ1つ「暗記」していくことになります。
だから、その場でテストは解けて点が取れたとしても、
すぐ忘れてしまいます。
これが、点数が取れても学力がついていない典型だと思います。
(実力テストでは点が取れなくなります)

一つ注意すべきことは、
だからと言って手続きを軽んじてはいけない
ということです。
より高度な事象を考えるためには、
初歩的な操作などは機械的にできるようするべきです。
いちいち、7×8 はなぜ56なのか?
などとは考えませんよね。

学力というのは一朝一夕に身に付くものではありません。

2次不等式の解法

x^2-4x-12<0 は、
y=x^2-4x-12 のグラフと
y=0 のグラフ(つまりx軸)を描いたときに、
y=0の方が上になっているxの範囲を答える。

横軸がx軸、縦軸がy軸

グラフの赤い部分がy=0より下にある。
赤い線と黒い線の境目のxの値が-2と6である。
よって答えは、-2<x<6

もっと細かく言うと、
x^2-4x-12<0
この左辺のxに何かしら数字を代入したときに、
計算結果が0より小さくなるようなxの範囲を求める、という問題である。
例えば、xに-3を代入すれば、左辺は9となり、0より大きくなってしまう。xに0を代入すれば、左辺は-12となり、これは0より小さい。
実際、x=0 は答えの範囲内にある。

同様に、
x^2-5x-12<0 も、
y=x^2-5x-12
y=0
の二つのグラフの大小を考える。

方程式にした理由は、
y=x^2-5x-12 と y=0 のグラフの交点を求めたいからである。
あのルートの入った数字は、赤い線と黒い線の境目となるxの値を表す。
①の問題とやっていることは変わらない。

成績を上げようとする前に

公開日 2020/05/20

こんにちは
ツイッターにずっとこのブログの更新履歴を呟いていたはずが、なぜか古いものが消えててちょっとがっかりしました。自動化してたのに。

さて、マズローの欲求階層説はご存知でしょうか。

ここでは詳しく説明しませんが、
簡単に言うとピラミッドの上の方の欲求を満たそうとするためには、まず下の階層の欲求を満たさねばならない、ということです。
例えば、生理的欲求、つまり食事や睡眠を十分に摂ったりできれば、次の安全欲求、安全に生活したいという欲求が生まれてくる、というものです。

学業の成績を上げたいという欲求は、自己実現の欲求、承認欲求、社会的欲求あたりに分けられると思います。
それより下の階層の欲求が満たされていないと、その欲求は湧いてこないということですね。

経験上、あまり勉強をしたがらない子ども(大人もですが)はやはり、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求が満たされてないだろうと推測できることが多いです。
例えば、単純に睡眠不足であるとか、一番多いのは人間関係ですね。
同年代と合わないとか、いじめに遭っているとか。
こういうのから真っ先に解決しなければなりません。
環境を変えるのが手っ取り早いですね。消耗してるのはもったいないですし、その環境にいるだけ損ですからさっさと逃げましょう。軽く聞こえてしまうかもしれませんが、最も合理的な解決策です。(合理的な判断というのが難しくもあるのですが。)

あとは健康面です。
一番下の生理的欲求。
毎日同じ時間にしっかりご飯を食べていますか。
昼間100%の力を発揮できるくらい寝ていますか。

出来ているなら感謝しましょう。

勉強以前の「基礎・基本」ですね。

自由と責任

公開日 2020/05/05

※普段やらないスタイルで書いてみました。思いついたままに書いただけなので読みにくいです。読むのが好きな方だけ読んでみてください。
他の記事の方が役に立ちます。たぶん

某感染症に関して、まだまだ我々は知識が不足しています。
先日も少し書きましたが、現代というのはかなり多くの人があらゆる情報にアクセスできる時代です(国によってはそうでないところもありますが)。大学の図書館に行かなくとも、少々調べれば専門的で高度な情報を手に入れることができます。テレビやラジオがなくても、ニュースであったりバラエティ番組やドラマ・アニメなどの娯楽を好きな時間に愉しむことができます。その反面、フェイクニュースなどの誤った情報や不正確な情報も、すさまじいスピードで拡散されていきます。Twitterが良い例です(決してTwitterを批判しているわけではありません)。では正確な情報を手に入れられる人とそうでない人というのはどのような差があるのかというと、一つはリテラシーの差であると思うのです。リテラシーとは、英語で literacy 「読み書きの能力」という意味です。ある特定分野の知識があるときに「~のリテラシーがある。」というふうにも使われています。リテラシーを発揮するためには様々な力を鍛える必要があります。漢字を読めるようにすることはもちろん、文の意味を理解すること、文と文のつながり(文脈)を理解すること、その文章を理解するために必要な前提知識、情報源を把握することなど、枚挙に暇がありません。そもそも文章を全て読まない人もいます。このように非常に多くの要素からリテラシーは形成されるので、個人個人のリテラシーの差が生まれます。では、リテラシーの低い人が情報を受け、それを発信してしまうとどうなるかというと、山梨県のCOVID-19感染者の女性に関するインターネット上の情報のようなものが出てきます。あまり詳しくは書きませんが、2020/05/04時点ではまだ不明な点があったにも関わらず、家族も同罪というような風潮が一部であります(本当かどうかは分かりません)。不確かな情報が拡散され、それを真実だと思い込む人がいるということです。このような情報を発信したり、鵜呑みにしてしまう原因は、感情的になっていること、具体的には恐怖でしょう。そういうのを流したとして、何か得があるわけでもないでしょう。もちろん私はすべての人間の人生を知っているわけではありません。感情的になってしまうような状況に陥って苦労されている方もいらっしゃるでしょう。しかし、だからといって他人を傷つけるようなことはあってはならないですよね。そうしても何も事は好転しません。感情的にならないようにするにはどうすれば良いかというと、一つは知識を得て、それを基に考えること、想像することです。地域・性別・職業・家族構成など、個人が置かれる環境はこのような要素が複雑に絡み合ってできています。まずは自分の知らないものがいくらでもあることに気づくこと。そして他者を知り、重んじること。自分と異なる人を知るということは、想像力を養ってくれるに違いないと確信しています。私は、簡単に言うと、人々が自己中心的になっていかないかが心配です。極度に感染症を恐れることは、自滅行為も同然です。ただただ、犠牲を少なくしつつ復興していくことを目的とすべきではないでしょうか。中には、この感染症があと1か月ほどで完全に「終息する」と考えている方もいるようですが、ほぼ不可能です。政府の方針も基本的には当初から感染者をゼロにすることが目標ではなく、感染者数をある程度抑えて常に医療機関に重症者を受け入れられる体制を整えていこうという「収束」であるだろうと考えます。したがって我々は、長期的にウイルスとどう対峙していくかを考え動くべきだということです。そのための「新しい生活様式」ですね。政府に責任があると騒ぐ人、自己責任だと主張する人もいますが、どちらかというわけにはいきません。政府は政府なりの対策を講じてもらわないと国民は困りますし、国民は政府や地方自治体にばかり頼らず、自分らでできることをやらねばなりません。誰かに責任転嫁しようとしたところで、身を滅ぼすのはその人自身です。
自由は、タダでは手に入りません。