答えのないものを考えろ

公開日 2021/08/25

8月が終わります。
生徒と「日が沈むのが早くなったね」と話をしました。
セミの抜け殻よりも死骸を見ることの方が増えてきました。
秋が近づいていますね。

今年の夏期講習では、特に時間を意識してもらいました。
問題を解く際は必ずストップウォッチを使い、45分ごとの小休憩とメリハリをつけました。
そこで気づいたことの一つが、
考えても仕方のないものに時間を使っていることです。

例えば計算問題。
一つの連立方程式を解くのに5分も考えている生徒がいました。
改善すべき点ですね。
どうやって解くべきか考えるのは悪くないのですが、それでもせいぜい1分。
1分考えてもわからないのなら、飛ばして他のをやるか、すぐに答え(計算過程)を見てしまってもよいでしょう。
なぜなら、計算の仕方が決まっているからです。
ルールが決まっており、それを逸脱せずに計算し答えを出すだけです。
計算ができない原因は、ルールを覚えて身に付けていないからです。
考えてやるものではありませんね。
いつもかけ算九九を例に出すのですが、
「6×8」を「6+6+・・・+6=48だ!」
って考える人はいませんよね。
方程式も同様で、それは手段に過ぎません。
損益分岐点や最大生産量などを算出できるようになるための方法です。
(数学オタクは別として)

計算問題だけではありません。
学校で習うことの多くは、答えが決まっているもの、答えが与えられているものです。
そういうものに時間を使う必要はありません。
粛々とルールをおぼえる、言葉をおぼえる、で良いです。

頭を使うべきなのは、
答えの存在しないもの、答えの与えられていないもの
ではないでしょうか。

計算問題だったとしても、レベルが上がると答えに辿り着くまでの過程が一つでないものがあります。
解き方はどれでも良いですが、どれが良いか決めるのは自分です。
どの方法が自分にとって最もわかりやすく間違えにくいか考えることが大事です。

年齢が上がるごとに、答えの用意されてない問いは増えていきます。
その問いに答えを出すのは自分自身です。
いつまでたっても答えが見つからない問いもあります。
学生のうちは、自分に問いを与え、答えを模索していくための準備期間だと捉えてもよいかもしれません。

その準備を怠るとどうなるか。
「用意された」答えを求めることしかできず、他人の人生を生きることになるでしょう。