「無料」の奴隷

公開日 2023/05/31

現代は素晴らしい時代です。
スマホなどの携帯端末とネット回線があれば、さまざまな娯楽がいつでも楽しめます。
一昔前はゲームといえば専用ハードを買った後、1本5,000円は下らないソフトを買って楽しんでいました。
今はダウンロード無料、多くのゲームは課金をしなくても満足に遊べます。
YouTubeなどでは0円でほとんど無限に出てくる動画を見続けることができます。
SNSを使えば0円でメッセージのやり取りや電話ができます。
どれだけ貧乏だったとしても、暇つぶしには困りませんね。

もし働かなくても生きていけるならば?

生徒にこんな質問をしたことがあります。

働かなくても良いならば、働きますか?働きませんか?

先に言いますが、良い悪いという話はしません。
その生徒は、働かないと答えました。
理由はおそらく、自分がやりたいことをやるから、だと思います。
学校に通っていると、ある程度行動が制限されるのでそのような考えになるのは不自然ではありません。好きなことをやりたいと思うのも自然です。
皆さんはどうでしょうか?

科学がもっと発達していけば、それこそ人工知能が進化していけば、そう遠くない将来、
人類は働かなくとも生きていける時が来るかもしれません。
では仮に働いても働かなくても良くなったとして、
皆さんどのように過ごすでしょうか。
働かなくても良い、というのはつまり、
無料で住むところ、食べるところが提供される(0円でなくとも格安で)ような状況です。
お腹が空いたら食べたいものを誰かが(もしくは機械が)作ってくれ、
一日中家でゴロゴロして動画を観ていても誰も文句は言いません。
もちろん、死ぬ時が来るまで。

こういうことを言うと、
中学生たちはそれでいい!と喜ぶかもしれません。
動画をずっと観てたら家族に怒られるでしょうが、お腹が空いたらお父さんお母さんが料理を作ってくれますし、いつでもどこでもスマホで遊べるし友達と話せますからね。本当は誰かがお金を払っているんですが、ネットはタダで使えるようなもので天国かもしれません。

しかし、それは想像力が足りませんね。
一日中好き勝手できるとして、それで何日持つでしょうか。
1ヶ月くらいならば、悠々自適に暮らせて幸せだと思います。
ただ、そんな生活が1年、2年、10年と続けることができるでしょうか?

なぜ自由を求めるのか考えましょう。
それは一定の束縛があるからです。
都合がいいもので、束縛があれば自由を求めるし、自由すぎるならば束縛を求めるんです。
そういうものです。
動物の絵を描いて、と言われるより
何でもいいから絵を描いて、と言われる方が困りますよね。
ある程度束縛が必要です。

「無料」のものばかり消費していると

タダで手に入る、というのは言い換えると束縛がない、ということです。
これから先、人類を束縛するものはますます減っていきます。
すると、今度はその手放そうと必死になった束縛を求めようとします。
具体的には、例えば勉強する場や働く場を求めるということです。
しかし、束縛されるものがあまりなくなった、つまり働く必要があまりないので、働きたいと思っても働けません。
皆同じことを考えるので、少数の働き口に大多数の人々が押し寄せます。すなわち、競争が生まれます。
ではその競争に誰が勝利するかと言うと、束縛されていた、もしくは自らを束縛していた人々です。
「無料」を消費し続けた人々には、競争に勝てる力などないからです。
「有料」を消費する人々は競争に勝ち、さらに能力を高めていきます。
「無料」ばかり消費する人々は、そのまま「無料」のものを消費し続けることになるでしょう。
競争しなければ良いという意見もあるかもしれませんが、比較するのが性の人間にそのようなことができるでしょうか。
対価を得ようとする労力と何もしないことを天秤にかけて、何もしないことを選び続けることほどつまらないことはないと思いますね。

私の想像の世界にお付き合いいただきありがとうございます。
将来のことのように書きましたが、現在すでに起こっていることでもあります。