たのしいとラクの勘違い

公開日 2022/03/30

先日授業中にある中学生から聞いた話です。
〇〇高校のA先輩が、英語の勉強が楽しそうだからその高校を選んで入ったが、実際は難しくて全然楽しくなかった、という主旨の話をしたそうです。
まあまあ耳にする類の話です。

どうしてそんなことになったのか。
考えてみましょう。

楽しい勉強?

英語を楽しく勉強するというと、どのようなことを想像するでしょうか。
例えば好きな洋楽を聞いたり、ドラマを見たり、ネイティブと話すことでしょうか。
各々の好きなことを使って勉強すれば楽しいかもしれません。

しかしそれは学校ですることでしょうか?
学校に来ている生徒全員、A先輩の好きなことを同じように好きでしょうか。
もしそうであるならば、
学校の先生はそれに合わせて授業をすれば生徒全員の成績はよくなるかもしれませんが、
そんなことはあるでしょうか。

すなわち、生徒全員が楽しいと思える勉強の仕方など存在しないし、
それを学校に求めることは見当はずれです。
楽しく勉強したいならば、
自分で動くべきでしょう。

目的意識

A先輩はなぜ英語を勉強したいを思ったのでしょうか。
よくある希望は、「英語で話せるようになりたい」ですね。
動機は何だって良いし、些細なもので構わないと思いますが、
おそらくそのような漠然とした動機では勉強は続かないでしょう。

学校で授業を受けるだけで話せるようにはなりませんね。
50分授業が週5回あったとして250分。
1週間は10,080分です。
そのうち3分の2起きていたとして6720分。
6720分のうち250分しか英語を使っていないのに話せるようにならないでしょう。
もし本当に話せるようになりたいのなら、
単身で英語しか使えない環境に飛び込むのが一番だと思います。
話せないと生きていけない。
そんな状態ならあっという間に覚えます。
(私がやったことがあるわけではありませんが)

楽なものの価値は低い

ここで「楽である」とは、「苦労のない、力を必要としないこと」と定義します。
A先輩は楽しく勉強することと、楽に身につけることを勘違いしているかもしれません。
楽をして勉強していても、身につくものはわずかで大した価値はありません。
楽をしていても身につくということは、どんな人でもできることだからです。

英語を話せるようになりたいならそれしか使えない環境に飛び込めと書きましたが、
それって楽でしょうか。
多分、最初はものすごくしんどいと思います。
帰りたくなると思います。
しかし人というのは適応力がありますから、必要なことはどんどん覚えていきます。
そして、だんだんと楽になっていくと思います。

価値のあることを身につけたいならば、
辛いこともあるということは覚悟しなければなりません。