選挙を機会に

公開日 2022/06/29

もうすぐ参議院議員選挙です。
生徒から聞きましたが、選挙権のある高校3年生(誕生日が7月11日までの人)は学校でも期日前投票ができるらしいです。調べたら昨年の衆院選でも実施してたのですね。高校生にも是非投票してほしいと思います。
どこに、誰に投票するか決められないという人は、面白いものを見つけたので以下のリンクを参照してみてください。

早稲田大学マニフェスト研究所

各政党の公約を比較することができます。
どういったテーマが議論されているかがすぐにわかると思います。
近年は情報収集が選択的になりやすく、幅広い分野を知るためには能動的に行動する必要があります。政治・経済という面から世界を見て、将来の自分を考えるきっかけになり得ると思うのでよく読んでみると良いでしょう。
私も読みましたが、目先の問題も大事ですが、100年スパンで日本をどういう国にしていくのか、具体的な数字とともに書いてほしいなと思いました。

きっかけが少ない

将来どういうふうになりたいか決めるとまでなくとも、候補や興味のあることを生徒によく訊くのですが、ほとんど返事がない(内容がない)人がまあまあいます。
無理もないと思います。
小学校から中学校までの9年間、狭い学校の中で朝から夕方まで同じメンバーで同じ事をやっているわけですからね。高校は実業系もありますが、70%超は普通科です。
なんとなく、このまま他の皆んなと同じようになるんだろう、という感覚があるのは当然と言えます。
(それ自体が悪いわけではありませんが)
中学では職場体験があるとしてもたった3日間、総合の時間などで将来のことを考える機会はないことはないですが、非常に少ないです。
そもそも知っている事が少ない中で、将来どうするか?と訊かれても困るのは不思議ではないですね。
私も中学生のときに知っていた職業といえば、身近な先生や医師看護師、公務員、農家、お店にいる人、工場でものづくりしている人、そのくらいの認識だったと思います。他にも知っていたことはありますが、具体的なイメージとは程遠いですね。

これは就活生でも同じではないでしょうか。
インターンなどもあるわけですが、学生生活のどこかを削って時間を作っています。青田買いもよく問題になりますね。とにかく選択するための時間が少ない。十分知るための時間がなく卒業、就職という学生は少なくないと推測します。


つまり、このような制度が変わらない限りは、
自分達から動かねばならないということです。
自分の意思を以て動いている人は非常に生き生きとしています。
学校に行くのがもったいないくらいです。
あれやれこれやれと指示しなくともいつの間にかやっています。
そうなるようなきっかけを作るのが大人の責務であり、私の責務であると勝手に思っています。
そして学生は、ほんの少しでも興味を持ったものから調べて行動してみることをすすめます。
または、本当に興味のあるものがないというのであれば、
目の前にある勉強を一所懸命に取り組んでください。
そうすれば自ずから、興味が生まれてくるものです。

それは本当に効率が良いのか

公開日 2022/06/22

昨今は効率というものが神格化されてきているような気がします。
かく言う私も、何事もいかに早く、上手に事を済ませるかは常に考えていますが、
一見「効率が良さそう」でも実際にはそうでないこともあります。
これを学習の観点から見てみたいと思います。

早く単語を覚えられるか

例えば英単語を早く覚えられる方法はあります。
基本的には思い出す回数を増やしたり、寝る前に勉強したりすればある程度効率よく覚えられます。そういった情報はすでに巷に溢れているので今回は書きません。
実行すれば確かに覚えられるのですが、この実行する側にある視点がしばしば抜け落ちており、それが長期記憶化です。
つまり、学校の単語テストなどの急場凌ぎにはなるのですが、受験対策として、さらには一生物の教養として身につけるには至らないのです。
ではどうするかというと、単語の場合は単語帳で勉強が終わってはいけません。
文章の中で何度も出会ったり、実際に経験してみてそれが少しずつ自分のものになっていきます。
例えば、
biomimetics (バイオミメティクス、生物模倣)という単語がありますが、オナモミからマジックテープ、カワセミから新幹線が生まれたことを知り、それを実際に見てみたり、より詳しく調べてみる、という過程を経ると忘れることの方が難しくなります。

問題の解法を忘れてしまう理由

数学をいくら勉強しても伸びない人は、目の前の問題を解くことだけに集中しています。
例えばテスト前に範囲指定してある問題をひたすら解いていくと思います。
確かに、高校までの定期テストや中学ではそれが通用します。
ほとんど見たことがある問題しか出題されないからです。
要するに上で書いた単語テストの勉強に似ているわけです。
完全にはわかっていなくても、とりあえず答えの出せる手続きを覚えていけばテストでは解答できるので、本人はその勉強したことがわかったつもりになっています。
1、2回解けばできるので、一応「効率」は良いのです。

しかし、これも単語と同じようにすぐ忘れてしまいます。
ではどのような勉強をすべきかというと、基本を理解することです。
わかりやすくするため例題を出します。

$$4^x – 5 \cdot 2^{x+1} – 24 = 0$$

この方程式を解くときに最初苦戦する人が多いのが、指数の処理です。
\(4^x \) を \((2^2)^x = (2^x)^2 \) と変換したり、\(2^{x+1} \)を\(2 \cdot 2^x \) と変換する必要があります。
このとき、この処理をそのまま覚えようとしていてはすぐに忘れてしまうか、または応用が効きません。
\((2^2)^x = (2^x)^2 \) という変形ができるのをしっかり理解するべきです。
例えば、\((2^3)^4=(2^4)^3\) と変形できることを試してみたり、\(\)
そもそも\(2^3=2\cdot2\cdot2\)であるから、
\((2^3)^4=(2^3)\cdot(2^3)\cdot(2^3)\cdot(2^3)=2^{12}\) と計算でき、さらにそれを一般化して
\((a^m)^n=a^{mn}\) が得られます。
指数法則を理解するわけです。

この一見「効率の悪そう」な勉強は、定期テストが終わった後も威力を発揮します。基本を丁寧に勉強しているので、すぐに忘れるようなことはありません。とりあえず問題を解くよりもむしろずっと効率が良いのです。

時間をかけてじっくりと

このような視点が蔑ろにされていないかが私の懸念するところです。
何でもスピード重視、効率重視で進めた結果、皮肉にもその逆の結果が生まれてしまいます。
手間暇をかけてじっくりと育てれば、その果実は大きく実り、土もまた次の世代を育む力を持ちます。手間を惜しむと、その果実は大きいかもしれませんが次の世代は育たないでしょう。
効率よく覚えたものは、効率よく忘れてしまうのです。

爆破予告と想像力

公開日 2022/06/15

先週の金曜日、中学生が授業に遅れてきたので理由を尋ねると、
そこで初めて知りました。

6/3(金)に諫早市役所と市内の14の中学校への爆破予告のメールが市役所へ届いたようです。
その爆破予告の示す日は6/10(金)で、警察などが調べたようですが結局何事もないようです。

誰がやったのかはわかりませんが非常に迷惑な話ですよね。
犯人の動機もわかりませんが、このような事件を耳にするたびに、
想像力が足りなさすぎると思います。

どのくらい迷惑をかけるか

簡単に計算してみましょう。

直接的にも間接的にも迷惑を被った人がいますが、際側がなくなるので限定して、
・市役所職員
・中学校関係者(生徒・職員)
とします。

およその数は
市役所職員は700人、
中学校生徒は3400人、
中学校教職員は300人です。
計4400人
関わった警察関係者は、これは私にはなかなかわかりませんが100人としておきます。
合計4500人。

少なくともこれだけの人の日常生活を乱したわけです。

市役所から警察、学校へ連絡が行き、保護者へ知らせ、
学校では生徒全員が持ち物検査をされ、
警察は市役所や学校に不審物がないか校舎中を見て回る必要があります。

少なく見積もっても、
一人当たり2時間の損失ではないでしょうか。
とすれば、
2時間×4500人で9000時間の損失です。
長崎県の最低時給821円で計算しても、約740万円の損失です。
この9000時間の価値がそれ以上なのは言うまでもありません。

想像力の欠如

近年、このような犯行予告が増えているようです。
諫早では2020年にもありましたね。
背景として、やはりインターネットの存在があると思います。

そもそも想像力とは、
例えば言葉や音の情報を視覚化する、
相手の立場で物事を考える、
自分がした行動の結果を推測する、
といった力です。

この力が、情報化によって弱くなってしまうのではないかという仮説です。
紙の本とインターネット上の情報の違いがわかりやすいのではないでしょうか。
この両者の大きな違いは、情報量です。

見ない人が少数派であろうYouTubeをはじめとする動画サイト。
最近は10分の動画でも長いと感じる人もいるようですね。
TikTokで数秒から数分の動画を延々と見続けてしまう人も多いと思います。
つまり、映像という情報量の多いものを次々と見ているということです。
そこでは、なだれ込んで来る情報を処理しようとするのが精一杯で(そもそも処理しきれない)、情報量が多いため自分で補完する必要がなく受動的になっています。
私のブログのように文章ばかりの記事は読む人が少ないでしょう。
ありがとうございます。

一方で、紙の本から情報を得ようとする場合。
そこにあるのは文章のみ。
情報量が非常に少ないので、理解するためにはそこに書いてある言葉を視覚化したり、自分とは違う目線で考えたりと、想像力を必要とします。
紙の本がよくて、電子書籍は悪い、などと単純なことを書いているわけではありません。
どちらにもメリットがありますし私は使い分けています。

要するに、
想像力をはたらかせる機会が減っているということです。
特に2020年、コロナが流行り出した年に教育機関への爆破予告が急増したようですが(ソース:爆破予告の急増について)、外に出ることもできず、情報端末利用時間が長くなったであろうことととそれとは無関係には思えません。
今回の事件は、改めて我々の情報の扱い方を考える機会になるのではないでしょうか。
(想像しすぎでしょうか。)

想像力は学習にも社会で生きていくためにも、平和に暮らしていくためにも必要な力です。
少しばかり、未来が心配なわけです。

模試結果票の見方

公開日 2022/06/08

高総体お疲れ様でした。
塾生から様子や感想を聞きましたが、
まさに青春って感じですね。
多くの高3は引退していよいよ受験一本となります。
切り替えていきましょう。
部活で培った体力と精神力は受験勉強でも役に立ちます。

今回は受験生の基本の一つ、
模試の結果の見方を解説します。

意外と知らない

模試の結果票とはこのようなものです↓

これはベネッセの共通テスト模試です。
他にも駿台や河合塾などの模試や記述式模試を受験しますが今回はこれを例に説明します。

①成績

ここには得点(素点)、平均点、偏差値などがあります。

青い四角で囲ったところに
「5−8文系」とか「国数英文系」と書かれていますが何かわかるでしょうか。
5−8文系は、
5教科8科目、つまり国・数2・英・社2・理2での集計です。
(理系なら5教科7科目)
国数英文系は3教科ですね。
5−8の方は主に国公立大学志望者用です。
国公立大学は共通テストで全科目を課すところが多いのでこれを一つの参考数値にします。

3教科の方は主に私立大学志望者向けです。
私立大学は1〜3教科で受験できるところがほとんどだからです。

偏差値は、
その目的は異なる教科間で自分の位置を測るためのものですが今回は説明を省きます。
こちらの記事をご覧ください。
偏差値の見方
偏差値とは

②成績推移

ここでは過去の同じベネッセの模試結果の推移をみることができます。
左がマーク模試(共通テスト模試)
右が記述模試です。
上の表は得点と偏差値の推移で、下がその得点または偏差値をグラフに表したものです。

これからわかるのは、第一志望校の
前年の合格者との比較です。
折れ線グラフは自分の得点推移と前年合格者の平均点の推移です。
一目で自分がどの程度成績を上げるべきかがわかります。
グレーの帯は前年合格者の学力層です。
つまり、この中に入れるようにしよう、ということです。

③合格可能性

志望校ごとに集計した成績です。
ご存じA〜E判定や志望者内順位、分布を見ることができます。
ライバルがどのような成績を取っているのかがわかるということです。
黒い四角がたくさんありますが横軸が人数で、白い四角になっているところが自分の位置です。
自分より上に山があるなら、それは越えねばならない山です。

アルファベットでの判定ですが、
A・・・合格可能性80%以上
B・・・同60%以上80%未満
C・・・同40%以上60%未満
D・・・同20%以上40%未満
E・・・同20%未満
となっています。

記号でわかりやすいですが、
わかりやすいものには罠が潜んでいることもしばしばです。
Aでも落ちます。場合によってはEでも合格します。
我々はある程度経験があるので、
D判定だが今後伸びが期待できそうな生徒、
逆にB判定だが危ない生徒がわかります。
機械での判定ではなかなかわからないことですね。
鵜呑みにしないようにしましょう。
一番大事なのは、
志望校の過去問で合格点を取れそうかどうか、です。




一通り説明を終えました。
今はスマホ用アプリで模試の成績を見れるようになったので、紙の成績表は見ない人が増えたのではないでしょうか。
アプリの成績表は、情報が少なすぎて(成績表自体が断片的なのに)断片的な情報しか見ることができません。
一度はじっくりと紙の成績表を「読んで」みましょう。
共通テスト対策になりますよ。

あえて茨の道を選ぶということ

公開日 2022/06/01

「生きているっていう実感がある仕事がしたいです。」

6年程前でしょうか。
まだ私がこの塾を立ち上げる前、別の塾で指導していたある生徒S君の言葉です。


昨日生徒と話していてふと、思い出しました。
英語の授業で読んでいた文章に関連した、「多くの人々が通る整った道」か、「誰も通ったことのないような茨の道」か、という話です。
人生の喩えですね。


多くの人が通った道というのは何か。
多くの人が通る道というのは、
多くの人が通るので整備されやすく、
後に続くものほど楽に(楽というのもそれぞれですが)通ることができます。
ノウハウがたまっているので、それを教授されるとある程度の快適さが保証されます。


一方で、茨の道。
ほとんど、または誰も通ったことのないような道です。
地図はありません。
何が起こるかは、進んでみないとわかりません。
取り返しのつかないことになるかもしれません。
しかし、道を切り開いて行く時の高揚感、
新天地を発見した時の達成感は何事にも変え難いです。

こういう時代だからこそ


現代、特に日本という国はものすごく恵まれていると思います。
衣食住に困ることはなかなかありません。
病気をしても生き続けることができます。
大昔はそんなことはなかったでしょう。
狩に行かねば餓死します。
住む場所を考え、きちんとした住居を作らないと動物に襲われたり凍死したりします。
今はそんなこと考えられません。
実際、そんなに頑張らなくても命の危機に瀕することはそうそうありませんよね。
通信環境の発達で、家を出なくても娯楽はあります。
インターネットさえあればよいという人もいるでしょう。
頑張る「必要」がないということです。
若い世代ほど今現在の状況に満足しているのではないでしょうか。
だから、なぜそんなに頑張らないといけないの?と疑問に思う人がいてもおかしくないと思いますね。




そんな状況だから、「生きている」という実感が湧かないのも当然です。
「生きている」ことの尊さを肌で感じにくいのです。
だからこそ、あえて茨の道を進んでみるという選択には価値があると思います。
もちろん頑張らなくても生きていけるので、そういう人を否定するつもりは全くありません。
頑張らなくてもそれなりに一生楽しく過ごせると思います。
それで良いという人に押し付けることもしません。
しかし、茨の道を進むときの「生きている」という感覚を経験することはないでしょう。
冒頭のS君も、そんなことを感じていたのかもしれません。